2009/10/20 そろそろ終わりが近づいてきたのを実感する [平日]

7:30 朝のカンファレンスが始まった。また昨晩、急患手術があったようだ(深夜3時から手術を開始したとのこと。呼ばれなかったけど)。上腕部の鋭的損傷で血管損傷も伴っていた。手術は朝方までかかったそう。ちなみに急患手術を深夜などに行ったドクターは、基本的に翌朝は来なくて良いことになっている(手術予定であっても、誰かが代わるように手筈を整える。代わりがいないような手術が翌朝組まれている場合、前日に当番になることは通常ない)。昨晩、当番だったDoldrer医師は予定手術に名前が挙がっていたが、カンファ終了後帰宅して行った。また、病院に泊まらなければならないという訳ではないのだが(必ずチームごとに当番がいる。Traumaはウンテン2人、オーベン1~2人が当番)、忙しい時には休める場所も確保されている。
7:45 HPRVのカンファが早めに終わったので、trauma teamのカンファに顔を出す。実は、昨日Hoentzsc教授にfellowshipの感想文を専用の台帳に書いておくように言われていたので、作って持っていったのだ(台帳には過去のfellow達の感想文が書かれており、世界各地から訪れている。多いのは中近東アジア特に湾岸諸国とインドから。日本からは過去2人しか見当たらなかった。みんなありきたりの感じだったので、趣向を凝らして色鉛筆で日本っぽいさし絵を入れて作ってみた)。また、短い期間だったが教授には色々とお世話になったので、日独友好バッチを進呈してあげた。
8:00 手術に行く前にPCで作業をする。今日HPRVチームは大きな手術の予定がない。細かな手術が詰まっていた。Schaller教授の母指CM関節形成術だけは少なくとも見ておこうと思っていた。手術進行表は病院内のPCから見ることができるので、今麻酔中とかが一目瞭然なのである。
手術タイムテーブル.jpg
9:00 手術室に向かう。今日はtrauma teamもそれ程手術が組まれていないらしく、SunderとRajaのいずれも手洗いしておらず、外から見学している。このインド人2人は背格好が良く似ている。Rajaは私と同様、結構デジカメで写真をバシバシおさめている。二人ともソニーのサイバーショットを使っている。日本製人気はここでも根強いようだ。
10:00 あまり見どころがない日もあるもので、そういう日は手持無沙汰になってしまう。まあ8週間くらいいると、手術室内で珍しげな場所もなくなっているわけだが、急患用手術室(septic区画の手術室とは階段でつながっている)の一角に患者用WCがあるのを始めて発見した。今までseptic区画にいてトイレに行きたくなった場合、いったん手術室の外に出てWCに行っていた。入る際はもう一度手術衣を着替えなければならず面倒だった。ここなら着替えずに用を足せる。しかしあと2日しか残っていなかった。
10:30 教授の母指CM関節形成術(Eping法)が始まった。他のドクター執刀で何度か見ていたが、教授はどうするのか興味があった。はじめに、手根管症候群の合併があるようで、手根管開放を行った(いわゆる小皮切に近い展開で特別な器具は用いていなかった。あっさりと終了し、母指CM関節背側に緩いS字皮切(3cm弱)を入れ展開。橈骨神経背側枝を避け(癒着が中等度みられた)、肥厚した関節包を切開し、関節内を展開、ここから大菱形骨を摘出していくわけであるが、ここが結構やりにくいと思われる。教授は第一中手骨基部にシャンツスクリューのようなピンを手回しでねじ込んで、それをjoy stickにして大菱形骨を摘出し易いよう工夫していた。教授に許可を取って手技は場面場面をデジカメでおさめておいた(残念ながら肩越しから無影灯が当たっている術野は反射して見えにくい)。大菱形骨摘出後にFCRが確認できるようになる。このhalf slipを用いて第1中手骨基部にsuspension plastyする。Tension balanceはどのように決めるのですか?と尋ねると、教授はこのように、と言って手関節を掌屈(最大ではない)させた位置に保持して見せてくれた。この感覚は慣れなのであろう。腱同士はinterlacing sutureではなく、普通に絡めて強固に縫合していた。骨孔には摘出した骨の一部を詰め込んでいた。
母指CM関節症.jpg母指CM関節形成術(Eping法).jpg
11:20 今日は、日本に荷物を送るための手筈を整えなければならない。秘書さんに尋ねて、どうすればできるだけ安く、簡単に(ここから)送ることができるか調べてもらう。その間に部屋に戻り、荷造りをした。
12:00 秘書さんのワゴン車を借りて、詰めた荷物を病院まで運ぶ(主に重い本などを送ることにした。1箱でおさまったので良かった)。秘書のTumaさんだけいたが、調整してくれたMonaさん(この方は英語が堪能)は休憩に入っていた。Tumaさんは彼女から伝言を受けてくれていて、病院から送れるように手配してくれたとのことだ。代金も日本からよりも安くてすみそうで良かった。
12:30 Casinoに朝食へ。今日はビーフシチューライスにした。味はちょっと甘すぎの感じ。
甘かったビーフシチューライス.jpg
13:00 荷物は夕方取りに来てくれるということになったので後回しにする。
13:30 手術室に再び向かう。Nusche先生が舟状骨骨折(近位型の遷延癒合例だが転位はほとんどない)に対して、海綿骨移植+背側からのHebert type screw固定を行っていた。ここに何故かtraumaにfellowに来ているハズのRajaがいる(良く考えたら私もHPRVに来ていたのに暇な時は勝手にtraumaの方も見に行っていた)。彼はインドにいたころはhandを主にしていたそうであるが、9年前にクウェートに移ってからはgeneral traumaになっているとのこと。今でもHandに興味はあるよう。また、彼は大胆にもNusche先生に向かって、こうした方がいいんじゃないですか?みたいに指示したりしている。なかなかものをハッキリ言う人間のようだ。ガイドピンが舟状骨内のfairwayにしっかりおさまっていることをimageで確認し固定した。
眉間に皺を寄せるNusche先生.jpg
14:10 trauma teamが急患手術をしていた。閉鎖性の下腿骨折(転位のない近位と骨幹部骨折)に対して、創外固定をしていた。こちらはだいたい終了し、これから下腿の筋膜切開を行うようだ。後で聞いてみると術前に圧測定はしていなかったらしい。臨床所見で診断できると言っていた。この症例は骨折があったため、外側の切開のみでlateralとanteriorを除圧するだけで十分だったようである。
下腿骨折に対する創外固定.jpgコンパートメント症候群に対する筋膜切開.jpg
14:40 今朝、更衣室でZwart先生に会った時に、今日の午後にTKA後の皮膚トラブルに対して腓腹筋皮弁をするけど良かったら見に来るか?と言われていた。先生は昔からここに勤めておられるのだが、HPRVができるまではflapなどは全部自分でしていたとのことで、今でも時々やっているのだそう。しかし症例を見に行くと、予想より軟部の状態が良かったため、洗浄・デブリを行い一期的に閉鎖するのみで終了となった。膝蓋腱の半分くらいは消失していたし、今後また何らかの追加手術は必要になるのかも知れない。
15:15 荷物担当者の所まで出向く。昼に梱包した荷物は25Kgをわずかにオーバーしていた。20Kgまでであれば病院から手続きが簡単に比較的安価に送ることができた。しかし、オーバーしてしまっているので、荷物の量を減らすか、ここに問い合わせてくれと言って、ホームページのアドレスを渡される。ちょっとガックリきてしまった。
15:35 夕方のカンファに参加する。今日の小手術の術後レントゲンや明日の手術予定を話し合っている。今は学生が何と5人もいる。最も長い、Gonser(愛称Philip)君は、PJという最終学年で年明けに最終試験が待っている。仕事しながら勉強もすることになるのでかなり生活はハードだとのこと。
16:00 早速、DHLのホームページから手続きを取ってみるが(現地版なので解読するのにかなり苦労する。途中タイムアウトになってもう一度やり直しさせられたり・・)、聞いていた値段より異常に高い。おかしいと思って、TELでも問い合わせてみるが、航空便で20Kgを超えるとかなり高くなるようだ。5Kg減らして、明日もう一度詰め直すことにするか。ちょっと残念だが。。。
17:30 またインド人2人がインターネットをさせてくれと言ってやってきた。ここは自分の部屋ではないけどと思いつつ、Rahmanianもいないし、あと2日だからいいかなと受け入れてあげた。彼らは、その後2人で街に繰り出して行った。
18:00 部屋に戻り衣類の整理を行った後、夕食を作る。何とか食材を帰るまでに減らしていかなければならない。
19:00 外はもう暗くなってしまった。こちらに来た当初は20:30でもまだ明るかったのだが、確実に日が短くなってしまっているのを感じる。

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