2009/10/28 OTC Cadaveric Hand&Wrist course 2日目 [平日]

8:10 セミナー会場のIRCADに到着。コーヒーや軽食が置いてあるので自由に頂ける。
ロビーのカフェテリア.jpg
8:30 手術室に移動する。ここではディスポの手術着に着替える。今日は一日中この恰好で過ごすことになった。手術室には上腕からのcadaverが15-6体置いてある。だいたい2人一組でこれを用いて実習が行われる。Tuebingenのanatomyで行われたコースもそうだったが、まず講師がdemonstrationをして(直接見にも行けるが、各テーブルには比較的大きなモニターが付いているのでそこでも見ることができる)から、実習にうつる。
9:00 まず始めに橈骨遠位端骨折の骨接合が始めた。コンビはリトアニアのSmikus君とだ。デジカメを向けると笑顔で手を振ってくれた。
手を振るSmikus君.jpg実習室風景.jpg
デモでは方形回内筋は温存することもあるが、通常は橈側縁でcutすると言っていた(plate固定後は縫合しないという先生やshoe race sutureのようにして締めあげて縫合するという先生など様々)。Smikus君が展開したいということで助手をする。彼はdemoの先生の言う通り忠実に、腕橈骨筋の付着部もしっかり剥離していた(この操作が後で厄介なことになってしまうのだが・・)。骨折は自分でつくることになる。まずは関節外単純(A2)を作成してplate固定を行い、更に関節内単純(C1)として、再度plate固定を行う。使用plateはS社のVariaxである(polyaxialのlocking plate)。デモの説明でもwatershed lineについて強調していた。このcadaverの橈骨掌側面の関節面からの立ち上がりの角度が結構急峻であるため、plateの形態と若干合わなかった(関節面に近い適切な位置に設置しようとすると若干plateが浮いてしまう)。しかしpolyaxialなので遠位locking screwの刺入方向を工夫すれば何とかなる。
10:20 次にNon-bridging創外固定のデモが行われていた。しかし参加者の中では興味がないのか見ていない者もいる。勝手に自分らで色々と試してしまっているグループもある。この先生は背側から創外固定pinをsubchondral supportするのが大事だと言っていた。
実習デモ風景.jpg
10:50 Coffee breakとなる。手術室は3Fでロビーは0Fなので移動する。真面目なグループはそのまま続けていたが、殆どは休憩に入っていた。
11:20 次はGupta先生が、posterior interosseus flapのデモをしてくれた。このcadaverには血管に樹脂が注入されている(テュービンゲンの時は赤色だっだが、こちらは緑色だった)。血管の同定が容易である。血液が流れていないとflapの挙上は難しいので、これはデモを見るだけの感じになっていた(後で休憩時間に一人でやってみたが、やはり難しかった)。その後、DRUJの不安定性に対するBrachioradialis wrapについての説明があった。橈骨神経浅枝に注意して、Brachioradialisを付着部から展開し(ここで先ほどSmikus君が橈骨遠位端骨折の整復の時に剥離し過ぎて付着部が剥がれてしまっているのが解りショック!)、別皮切で筋腱移行部を展開してcutし、遠位側に引き出すという手技である。その後、ECUとFCUの間から尺骨を展開し骨膜下に剥離、cutしたbrachioradialis tendonを方形回内筋の下(橈骨に接して)を通し、尺側に出す。DRUJのやや近位で尺骨をwrapするように今度は背側からEDCなど伸筋腱群の下(橈骨に接して)を通し橈側に出す。最後は橈側でbrachioradialis付着部と尺側に回した腱断端を縫合して終了。どの程度の緊張度にするかは難しいが、使っているうちに結構緩むそうなので少しきつめが良いのかも知れない。また、腕橈骨筋力が落ちそうだが、muscle成分は残っているのでそこまでは気にならないと言っていたが果たしてどうだろう?
腕橈骨筋wrap.jpg
12:40 Lunch timeとなった。昨日もそうだが、テーブルにはまずオードブルのようなものが既に置いてあり、残りは(温かいもの)それを食べ終わってから取りに行くというスタイルになっている。さすがはコース料理の本場フランスだけはある。味もなかなかよろしかった。
プチコースのランチ.jpg
今日は昨日からの2人(リトアニア・デンマーク)に加え、親日家のLiverneaux教授が座ってきてくれた。先生は今Robotic surgeryに力を入れておられ、熱くその将来について語ってくれていた。現在でも技術的には遠隔手術(例えば東京で操作して福岡で手術を受けるなど)は可能だということだが、情報送信費用がかなりかかってしまうそうだ。しかし、これらの問題も数年後には解決するだろうと自分のiPhoneを見せながら(5年前にはこんな便利なものはなかったと)説明してくれた。日本でも先進医療として認められれば大病院を中心に普及していくに違いない(もう実際に導入している所もあるようだが)。
13:30 午後は中手骨骨折や矯正回転骨切りなどについてのデモがなされる。S社のハンド用plate setには矯正骨切り用のplateも入っている。このplateを用いれば比較的簡単に±20°までの回旋変形を矯正できる。他には第5中手骨頚部骨折に対しての側方アプローチによるplate固定の説明があった。これには議論もあり、頚部であればK-wireの髄内釘でも成績に差がないという意見もあった。保存的にも治療できるケースも当然ながらある訳で、一つの治療方法に固執することなく、case by caseで考えることも重要なのだろうと思わされた。
14:30 デモではkite flapやvascularised bone graftが説明された。しかし、残念ながら参加者のCadaverには樹脂が注入されていないので、flapの挙上は難しい。あまり試しているグループはなく、骨接合などの方を主にしているようだった。Smikus君もsoft tissueを扱うよりORIFの方が好きだと言っていた(image checkはcadavarの上肢を持ち歩いてimageの所まで持っていき確認する。誰もプロテクターは付けておらず、被曝を気にしてる様子はなかった。ロシア人は被曝には敏感だと思っていたのだが・・)。
image checkに並ぶ参加者.jpg
15:00 Kite flapやmetacarpal flapを一人でやっていると、ここストラスブール大学の若い先生(おそらく片付けなどの手伝いできている)が一緒についてくれた。私と同様、あまりそこまで詳しくはなさそうだったが、一緒にあれこれ考えながらtryしてみた。結構楽しかった。
15:30 もう既にだいたいの参加者はcoffee breakに入っていた。実習は終了のようだ。片付けの人達がまだかな?という感じで見に来るのでそろそろ諦めることにした。
15:40 最後に講義室で講義が幾つかあった。最後と言うこともあり、若干気が緩んだのか少し眠たくなったが、何とか気力を振り絞り頑張った。
16:20 最後のコースのアンケートの記入があり、それを提出すると証明書が授与される。飛行機の関係で早めに帰る人もあり、少し早めに終了となった。私は今日も宿泊なのでゆっくりしていたが。
大学病院のクリニック棟.jpg
17:00 ホテルまでのバスが出るということだったので、大学病院周囲を散策しながらぶらぶらして戻って待っていても、バスがいくらたってもやって来ない。自分を含めて計5人待っていたのだが、15分過ぎても来ないので、おかしいと思い聞きに行くと、参加者がいないようなので今日のバスは来ないことになりましたと。。。。え~聞いてないしと、ちょっとムカッとしたが、仕方なくタクシーを2台呼んでみんなで帰ることになった。最後はとんだハプニングがあった。タクシーは一人クウェートからやってきた年配の先生と一緒になった。エジプト出身とのこと。湾岸諸国はインド人も多いが、エジプト人も結構多いのだと言っていた。やはりオイルマネーで潤っているようで税金はないそうである。

2009/10/27 OTC Cadaveric Hand&Wrist course 1日目 [平日]

8:40 OTC(Osteosynthesis & Trauma Care Foundation)主催のCadaveric course : hand and distal radius ; Strasbourgに参加する。始めにイントロダクションということで日本でも有名なTaglang教授が挨拶してから開始となった。続けてCourse outlineをベルギーのStockmans教授(今回のcourse director)がされる。まだ若く聡明な印象。以前ルイビルに留学していたことがあるそうで英語の発音が良い。本日は講義中心で明日がcadaverを用いた実習になる。この施設(IRCAD)の紹介もなされたが、ここではCadeverを用いた様々なトレーニング(腹腔鏡、関節鏡など)が行われている。昨年台湾にも同様な施設が建設された。日本でこのようなコースは基本的に開催できないだけに羨ましい。
IRCD外観.jpgIRCD建物.jpgコースディレクターの説明.jpg
9:00 午前中前半のセッションは橈骨遠位端骨折についての講義だった。レントゲンの正しい撮影方法(手関節正面での尺骨遠位端のECU grooveの見え方など)からscapholunate instabilityの診断方法など画像診断から始まる。
9:20 続いて橈骨遠位端骨折の分類についての講義では、数多くの分類を解説してくれた。Abraham Collesの文献の引用から始まり、当時は保存的治療が中心で外観は悪いが機能的に大きな問題がなかったこと(論文発表当時(1830)の平均寿命は35-6歳だったとのこと)とか、多くの分類があるが再現性に乏しいこと、治療に直結している分類が少ないことなどを述べておられた。世界中で最も汎用されているのはAO分類だが、講師の先生(Stockmans教授)は、Fernandezの分類を愛用しているとのこと。この分類は受傷メカニズムによって分類され、それぞれのコテゴリーによって治療指針が決まるため、臨床的には有用だそうだ。しかしstudyでまとめる際には煩雑だと言っていた。
9:40 USAルイビルのGupta先生(インド系?)の講義では、知識の整理をさせてもらった。主に橈骨遠位端骨折の治療の変遷について文献的考察を中心に述べておられ解りやすかった。特にScott’s Parabolaという図を用いて橈骨遠位端骨折の手術の変遷を説明しておられたのが印象に残った。掌側ロッキングプレートが考案され、論文となり、それを支持する報告が増え、一気に普及していった経緯、今後は合併症などの報告も増え、反省期に入っていくという感じ。ダメなプロダクツであれば、これから一気に廃れていくのかも知れないが、このプレートは暫く生き延びていくだろう。
10:30 各講義の後に質問・討論時間があるのだが、ロシアからの参加者集団が幅を利かせていて(10人以上参加して最大勢力)、毎回質問する大柄の男性もいる。机の前にはvoting systemとマイクが備え付けられているので、マイクをオンにすれば自由に質問できるし、演者が時々聴衆の意見を求めるのだが、その時に番号を押せば、それがすぐ結果のグラフとなって反映される。今後大学の講義などでも取り入れられていくことだろうと思われる。
熱心に聞き入る参加者たち.jpg
11:00 質問などで長引き時間が押してしまっていたが、ようやく休憩になった。休憩時間は縮めずに充分に取るところは日本とは違うなと思う。いつものように軽食やジュース・コーヒーなどが振る舞われる。日本人は自分だけなのでまずは周りの動向を伺って見る。
11:20 次は、橈骨遠位端骨折の治療に対してそれぞれの得意分野の先生方がまず講義をし、それから討論していくという感じ。Kapandji pinningを愛用しておられるフランスの先生は、この方法が好きな理由にKapandji先生が好きだからと言っておられ、参加者の笑いを誘っていた。いい方法だけど残念ながらused technicqueになったと言っていたのが印象的だった。この点に関してはO茂先生の論文がevidenceになっていることは間違いない。次に創外固定を愛用している先生は、今でも使用しているということで熱く語っていた。現時点ではひいき目に見ても適応は限られており、勝ち目は少ないような気がするが。最後に掌側ロッキングプレートについてであったが、私も論文作成のために関わった分野でもあるので大方の内容は理解できている。方形回内筋の処置、尺骨茎状突起骨折の処置については殆ど言及されていないのが個人的には寂しい感じがした。
13:00 全体的に遅れ気味でようやく昼食となる。ロビーはちょっとしたカフェレスト風になっており、そこで参加者・facalty一緒に食べる。食事をもらう列で待っていると、日本語で話しかけてくれる先生がいてびっくりする(アナタハ日本人デスカ?)。ここストラスブール大学のhand unitの教授であるPhilippe Liverneaux先生だった。以前、日本で研修をしたこともあり、親日家のようである。多くの日本のhandsurgeonの名前を知っていた。京都が大好きとのことであった。これが日本風だと言ってお互いお辞儀しながら名刺交換をした(この光景は欧米人には可笑しく映るらしい)。食事は、独りで寂しげに食べている身長185cmくらいあるリトアニアから1人でやってきたSmikus先生(32歳と言っていた)と一緒にした。気の弱そうな感じが親近感を覚え近づいてみた。暫く挨拶なんかをしていると、デンマークから来たRasmussen先生と言うちょっと年配の先生も座って来た。1人でやって来た人は似た者同士で集まる傾向にあるのだろう。このおじさんは、娘が日本の漫画や映画が大好きなので一緒に良く見るとか言っていた(宮崎駿監督作品がお気に入りとのこと)。この2人とは折をみてセミナー中は一緒に過ごすことが多くなった。
13:40 午後の始めのセッションは、橈骨遠位端骨折治療の合併症やDRUJの問題などについて討議された。橈骨遠位端骨折治療後の尺側部痛の頻度については、1990年代は25-40%との報告がなされていた。しかし、この当時はピンニングや創外固定など主体となる橈骨側の治療がまだ満足できるものとは言えない時代だったためだ。この当時は橈骨側が術後転位を来すことも多く尺骨茎状突起骨折を止めるべきだったのだろう。ロッキングプレートの登場以降に関しては、我々の報告もさることながら、尺側部痛の発生頻度はかなり減ってきているものと思われる(当院dataでは軽度尺側部痛も含めて5%以下:follow up期間14ヵ月)。
解りやすい講義だったGupta先生.jpg
ルイビルのGupta先生に、尺骨茎状突起骨折を合併した場合、どのようなケースに内固定するのか?尺側部痛の発生頻度は?と質問してみた。答えは、まず橈骨側を固定した後に前腕回内位で徒手的にDRUJの不安定性を評価して不安定であれば(この評価についても突っ込んで聞いてみたが、明確な返答は得られず。Soft endという表現をしていたのみ)固定するとのこと。尺骨茎状突起骨折の生じた部位ではないとのこと。当然骨性要素がなくても不安定性がある場合はTFCCのrepairをするとのこと。しかし、二期的にやっても良いのかも知れないとも言っていた。やはり尺骨茎状突起骨折側の治療については若干治療体系に変化が見られている印象を受けた。また、DRUJ不安定性を生じた場合のサルベージ手術として、腕橈骨筋を筋腱移行部で切離し、遠位橈尺骨をrappingするという術式を説明してくれた。明日demoもあるそうだ。
15:10 coffee breakとなる。今日は座学だけなので疲れてきた。内容的には興味深い分野でもあるので眠くはならなかった。リトアニアのSmikus君はもの静かだ。大学病院(リトアニアには医学部は2つしかないとのこと)では、橈骨遠位端から遠位の分野を扱っているとのこと。いわゆるhand surgeonで整形のトレーニングはレジデント時代に少ししかやっていないとのこと。医学部は6年間で卒後試験を受け、1年インターン(全科を回るそう)をした後、2年間外科系なら外科のレジデントをするとのこと。それからorthopaedicなどに分かれていくそうである。Handはorthopaedicとは別でplastic surgeryもあまり扱わないのだそうだ。ちょっとドイツとは異なるよう。
15:30 本日最後のセッションは手部骨折・外傷についてであった。中手骨骨折、指節骨骨折と講義があり、最後に軟部組織複合損傷についてGupta先生が激しい症例をいくつも呈示してくれた。ルイビルにはかなり重度手部複合損傷がやってくるようだ。Severeな症例も見事に再建されているのには感動した。また、特にfix & flapの概念を強調されており、可能な限り早期に血流のある軟部組織で損傷部位をカバーした方が成績良好ということをdataを示しながら述べていた。日本でも北海道の土田先生が良く言っておられることである。Technicalに可能であれば目指せばならない到達点と思われる。
16:50 最後にcase disscussionがあった。机に備え付いているvoting systemを用いて参加者全員で検討していく。なかなか治療に悩ましい症例が続く中、PIP関節脱臼骨折(背側・掌側ともに骨片あり)に対して、経皮的に掌背側からscrew固定を行って良好な結果を得たという症例には驚かされた。
17:40 講義終了後にRobotic surgeryのDavinchシステムについて、Liverneaux先生が解説してくれた。また、実際にcadaverを用いて尺骨神経剥離のデモもやってくれた。あとで私も機械を扱わせてもらったが、思いのほか操作は簡単でかなり思い通りに動いてくれるのには驚いた。現在、適応は限られるだろうが今後は進歩していく分野(特にマイクロサージャリーなどでは)だろうなと考えさせられた。
遠隔手術装置ダビンチ.jpgダビンチのアームたち.jpg
18:10 1日目終了。バスに乗り込みホテルに戻る。
19:30 ホテルから食事会会場にバスで向かう。ストラスブールの景勝地、プチフランスと呼ばれる運河の畔の木組みの家々の街並みが美しい一角ということである。夜ではあったが観光する時間があまりなかっただけにちょうど良かった。
20:00 街灯のランプが暖色で何とも落ち着いた一角である。スイスやドイツの南西部に雰囲気が似ている(ストラスブールはアルザス地方に属しており、食べ物や文化など独特な雰囲気を醸し出している)。
夜のプチフランスエリア.jpgアルザス料理レストラン前.jpg
21:00 リトアニアのSmikus君とデンマークのRasmussen先生、S社の広報女性やプロダクツ担当の男性、クウェートの先生と一緒のテーブルだった。フランスの女性はこういう場では結構派手は格好になる印象。またドイツ女性よりスカート着用率が高いような気がする。ファッションにも敏感なストラスジェンヌが多いのだろうか?
レストラン内部.jpg
23:20 かなりいい感じになってホテルに戻ってきた。明日は起きられるか自信がなかったので妻に連絡して起こしてもらうことにする。

2009/10/23 ドイツ整形外科学会の中で日独整形外科学会が開かれる [平日]

8:15 ホテルフロント前にて集合。日本からの集団でバスをチャーターしてくれている。この学会は、実にいろいろと手配してくれているのだ。お陰でかなり楽をさせてもらいました。外はあいにく小雨がぱらついている。
8:40 学会会場であるメッセベルリンに到着。非常に広い。建物は少し古い感じもするが幕張メッセよりも大きいと思われる。でも会場に比較して入り口は小さく解りづらかった。
ドイツ整形外科学会入口.jpg
我々は事前に登録を済ませてあった(すでに学会参加証が送られてきていた)ので、受付は素通りして参加証をぶら下げて中に入って行く。するといきなり展示場が延々と続いている。かなりたくさんのブースを通り過ぎてから、各会場に行くという構造になっている。この学会は各ブースの展示の方が重きを占めているのではないかという程である。
9:10 15分程歩いてようやく日独整形外科学会会場に到着。横に広い感じの独特な造りになっていた。80人程度は座れるだろうか?大方それ位の規模である。みな順番にPCに本日の発表スライドをコピーしていく。若いドイツの青年が担当してくれていた。
9:30 学会が開催された。ドイツの学会でありながら、8割以上が日本人という何となく違和感のある雰囲気。しかも使用言語が英語という不思議な学会である。 始めのセッションは人工関節の長期成績という内容だった。ドイツ側からも3題ほど出されていたが、ドイツ側代表の何人かの重鎮の先生の施設からだ。たまにはいろいろと他分野の演題を聞いてみるのも新鮮で面白い。
10:50 休憩。だいたいこちらの学会は休憩が長いのが特徴で軽食が振る舞われる。知人との語らいの時間として有効に利用しているようだ。私は展示場を少しずつ回っていた(何しろかなり広いので下手に動き回ると戻って来られなくなってしまいそうなのだ)。
11:30 多くの企業が出店している中で大きさと集客力で群を抜いていたのが、Depuy社だった。ここは、ベルリン名物Curryburustを無料で振舞っていたのだ。ブースに休憩所があり、ドクター達が飲み食いしながら語らっている。しかし、あまり展示内容には興味なさそうだった。他にはカクテルやビールを出しているブースもあり、ここら辺はドイツならではという感じ。今回、AO fellowshipの際に事務局になってくれていたSynthesのブースも比較的大きかった。ここはしっかり商品説明にも力を入れていた。新しかったのは、肋骨骨折用のインプラント(救急医療の分野では多発外傷に伴う多発肋骨骨折に対しては、早期に骨接合を行うことで疼痛管理、呼吸器合併症が減るという発表なども増えている)である。ロッキングに加えて、片側は平たい髄内釘のようになり、肋骨髄内に差し込むようになっていた。また興味深かったのは、Armyの医療支援で使用する特設手術室の展示である。室内は普通の手術室と遜色ないほどの造りになっている。軍服姿の担当者が格好良かった。
お世話になったSynthes社前.jpgArmy特設手術室展示.jpg特設手術室内.jpg
12:30 日独整形外科学会の方に戻ると(このセッションは聴講しなかった)、ちょうど昼休憩に入る所だった。会場外に食事が準備されていたので頂いた(ちょっと味の濃いポタージュスープやウィンナー、サンドウィッチ類など)。日本側の参加者たちと挨拶をしたりする。こういう時に名刺は便利である(今回留学前に自宅で作成した)。国内では敷居の高そうなビッグネームの先生方とも、異国の地では比較的気軽に話せるようになるから不思議なものである。さて、まだ時間に余裕もあるため、展示場をくまなく回ってみよう。展示場巡りの一つの理由として、新たなマテリアル、インプラント類の発掘がある。しかしいくら回っても吸収性のプレートにはお目にかかれなかった(香港のSICOTの時は見つけられたのだが)。しかし新しい骨補填材料に関しては、多くのメーカーが各種アピールしていた。また、こちらではalograftも良質なものが提供できるようである。Depuy以外でもCurryburstを振る舞っているブースがあった(申し訳ないが現地のメーカーで何を扱っていたのかも覚えていない)。イイ匂いにつられて行列に並んで食べてしまった。他もぶらついてみると、救急ヘリのブースもあるのには驚いた。
救急ヘリブース.jpg
14:30 午後のセッションが始まった。今度は脊椎である。日本でもそうだが、人工関節・脊椎はどこの学会でも内容豊富で盛況だ。しかし外傷や手の外科というのはたいがいこのような規模の会だとその他になってしまう。日本人でドイツ語の上手な先生も何人かおられ、ドイツ語で発表されていた。ただ、時間にはルーズな人も多く、しっかり時間を守っている人の方が少ない感じだった。
16:00 休憩時間。あるブースでは、若いモデルの女性を下着姿にさせいわゆる柔道整復や按摩のような施術をしていた。見学者の中にはモデルを見ているのか手技を見ているのか解らない者もいる!?(でも見ている人は少なく意外と人気ない)。すると、前方よりHiユキチ!と言ってくる人がいる。BGのtraumaの若手先生だった。ちょっとでも一緒に働いたことがあるから、こういう場で会うと妙に嬉しい。
16:30 最後のその他セッションが始まる。口演5分、討論殆どなしという感じで進んで行く。非常にtightなスケジュールになってしまっている(ポスターではなく、全ての演題を口演で採用したためこのようになったとのこと)。
17:15 予定より10分位遅れて自分の口演開始。2回ほぼ同様の内容で発表したことのある内容だったので、それ程緊張はなかった。質問は座長から1つとフロアから1つのみだった。何とか終わってくれてホッとする。
日独整形外科学会口演.jpg
この後、PCの入れ替えで時間がロスしたり、発表時間を守らないなどの影響もあり、予定より30分程度遅れて終了となった。
18:30 歩いて15分くらいかかる入口に到着。バスが外で待ってくれている。雨は幸い止んでくれていた。外はもう真っ暗になっている。
18:50 ホテルに到着。これから昨日に引き続き懇親会が催されることになっているので、荷物を置いて急いで準備する。またバスで送ってくれる。至れり尽くせりだ。
19:40 パーティー会場に到着。日本ではまずないであろうコンセプトのレストランだった。何とレストラン横に大きなガレージが併設されており、クラシックカーが展示されている。これらには値札がついているので、気にいったら購入することができるようだ。残念ながら車にそれ程詳しくないので、どの程度価値があるのかは解らなかったが凄かった。
レストラン併設ガレージのクラシックカー.jpg
20:00 パーティー開始。今日もコース料理のようだ。飲み物もワイン・ビールとどんどん出てくる。兵庫の田中先生夫妻、神戸の謝先生夫妻などと同席させて頂き、先生方の懐かしいドイツ留学話を興味深く聞かせてもらった。当時は東西分裂時代でもあり、飛行機もアンカレッジ経由だったり、今のようにインターネットや携帯もない時代だったので情報収集が大変だったことなど苦労話も聞くことが出来た。
田中・謝夫妻とともに.jpg聖マリア病院吉田先生と.jpgドイツ側代表Scholz教授と.jpg
21:00 jet lagで眠くなってしまう方もいたが(特に奥様方など)、宴もたけなわになる。多くの方々と情報交換も出来たので有意義な食事会だった。
22:30 バスでホテルに戻る。今日も結構ほろ酔い気分である(昨日より)。留学も発表も終わってしまったのでホッとしていたのかも知れない。

2009/10/21 事実上最後の研修日となった [平日]

7:30 いつものように朝のカンファレンスが開始される。Bratani医師が症例を提示している。研修初日のカンファの時はこれからどうなるだろう?と不安な気持ちが強かったが、終わりが近づくとそんな思いも随分前の記憶のような気がして懐かしい。かと言って内容を理解できているかと言うと、必ずしもそういう訳ではない。結局は雰囲気だけ。Philipがいつまでだったっけ?と小声で聞いてくる。研修は今日までだけど、明日の朝のカンファが最後になるんだと言った。シャーデ!(残念!)と。
7:45 今日は色々と忙しい。まずはベルリンでの発表原稿や航空券のe-ticketなど、重要なdocument類をプリントアウトしなければならない。この病院のPCは外部からのUSB情報などは認識されないようになっている。院内のEDVというユニット(コンピューターなど情報処理を扱う部署)にUSBを持参し印刷をお願いした。厳重にsecurity checkがなされており、ここを通さないと院内PCの情報も持ち出せない(今や日本でも当然のシステムになっていると思う)。ここのSchanzさんという方は、いかにも機械に詳しそうで頭の良さそうな人だった。
8:15 今度はPostelleという院内の郵便物を扱う部署に出向く。若い女性しかまだ来ていなかった。昨日の事情を説明し、荷物の内容物を減らしたいのだと告げる。重い本類など6Kg分除いて、服類など少しかさばる荷物1Kg分を追加した。Just 20Kgで料金は82Eurだった。DHLの航空便(2週間かかるが)で日本まで運んでくれる。2つに梱包し直せば良かったのだが、面倒だったのと帰りは意外と荷物が少なくなっていたのが幸いした。
9:00 手術室に出向いてみる。今日もHPRVは大きな手術予定は組まれていない。Lotter医師がデュプイトレン拘縮の患者のPIP関節破壊(理由は不明?)に対して、関節固定術を行っていた。術前状況やこうなった経緯など聞けずじまいだったので、?が残る手術となってしまった。
9:30 隣の部屋ではtrauma teamが脛骨骨幹部骨折変形癒合(骨髄炎の合併も疑われる)に対して、創外固定器(hybrid type)を用いた変形矯正・固定を行う予定になっている。このような感染症例はこちらのseptic区画で行われる。執刀は、今日ベルリンに経つ予定のHoentzch教授のようだ。少し遅れて登場。手術中は結構恐い感じで下の先生を熱心に指導している。事前に存じ上げていなかったが、この先生は創外固定の権威の先生だったのである。知らないとは何とも恥ずかしい限りである。今日が最後だと思い集中して手技に注目していた。下の先生にさせていたが、細かな注文が実に的確で鋭かった。20°以上あった角状変形は矯正して(骨切りは行わず)10°以内におさまった。今後Xpを確認しながら徐々に矯正していくと言っていた。
下腿骨変形遷延癒合.jpg下腿骨髄炎疑い.jpgかわいいプロテクターをつけるヘンチ教授.jpg
10:40 教授は帰っていかれたが、まだ脛骨前面をデブリした部分が閉鎖できていない。VACしておくのかと思いきや、何とか頑張って閉じていた(しかし創縁が血流不全にならないようにガーゼをはさむなどの工夫はみられた)。壊死しなければ良いが・・・。
創外固定設置中.jpg
変形遷延癒合部矯正後.jpg
11:30 いったん病院の部屋に戻る。今日の夕方のカンファでHPRV全員に絵葉書(日本からの)を渡す予定にしていて、名前を漢字で書いておこうと思い立ったのだ。秘書さんに全員のフルネームのリストを貰って、当て字を考えることにした(例えば、Hans-Eberhard Schaller Prof. : 班主絵羽亜鳩 車羅唖 教授、Theodora Manoli : 瀬尾努羅 真海苔など)。その医師の雰囲気に合うような漢字を当てたいのだが、なかなかこれと言うものが思い浮かばない。結局は不吉な意味の漢字以外で作成するほかなかった。
12:30 自分の部屋に戻り、昨晩下ごしらえだけしておいたお好み焼(馬鹿の一つ覚えのようだけど・・)を焼いておく。夕方のカンファは何人集まるか解らないのだが、少し多めに準備しておこう。
13:30 再び、手術室に戻る。asepticの方も顔を出してみるが、trauma teamは学会出張のドクターが多いためか手術が比較的少ない。急患手術室の方はHPRVの小手術がいくつか行われていた。手術室での知り合いには簡単にお別れの挨拶をしておいた。今日はウィンクするファビアンやベテランスザンナがいなかったのが残念だ。結局彼女らには挨拶できずじまいとなってしまった。
14:30 もう一度septicの方の手術室に向かう。殿部の局所皮弁が予定されていたのだが、火傷患者の緊急手術が入っていた。JaminetとZwick医師が気管切開をしている。気道熱傷による浮腫予防の手段だ。Plastic surgeonもburn patientを扱うのであれば、少なくともできなくてはならない手技のようだ。その後、熱傷部位のデブリに入っていた。合間に優しげなまなざしのおじいさん看護師(Willy)が若手Nsと一緒の写真を撮ってくれた。Willyにもお別れを言った。それを聞いていた手術中のJaminetがカローシ・ユーキチ!今日で終わりか~?と聞いてくる。研修は今日までだけど、また明日の朝のカンファには来るよ。Alles Klar!(了解!)、Chao!(Tschues:バイバイよりさらにくだけた感じ。んじゃ!)
手術室若手Nsとともに.jpgベテラン看護師Willy.jpgカローシJamninet.jpg
15:00 大方焼いておいたお好み焼を持って来て、カンファ室横のキッチンで再度焼き直す。患者さんが一人待っていたので、ソースの臭いが漂っていたかも知れない。皿やフォーク類は置いてあるので、準備完了。あとはいつ持ち込むかのタイミングを図らねばならない。夕方はカンファ中に患者さんを診察することも良くあるからである。
15:30 カンファが始まる。今日は幸いSL離解による手関節痛疑いの患者一人だけだった。
今後手関節鏡を検討しているとのこと。少し経ってから、ワゴン車に乗せて飲み物(コーラ・スプライト)とともに持参する。皆、どうした?みたいな雰囲気になって、少しカンファが中断する。つたないドイツ語でお礼のあいさつをして(例の机を叩く拍手がわりをしてくれた)、振る舞った。残念だったのは、教授が魚とエビにアレルギーがあるらしく、食べられなかったことだ。気持ちだけで嬉しいとは言ってくれたものの(事前checkが出来なかったのも悔しい・・)。また、出来たてではなくなったのでへなへなになってしまった。若手には好評のようだったが、ちょっとしょっぱ過ぎたかも知れない。
16:00 漢字名前入り絵ハガキやドイツ語・日本語対訳表をあげる。8週間のお礼として奇抜で良かったみたいである。漢字は皆喜んでくれた。教授もこんな細かい字を書くから日本人や中国人は器用なのかな?漢字はマイクロの練習にもいいかも。とか言っておられた。その後、飲み食いしながら、先日のSchaller教授主催のドイツ手の外科学会の写真集(カメラマンが撮ってくれたもの)を皆でスライドショーにして観覧した。いろいろと学会中の出来事もフラッシュバックしていたようで、笑いありの楽しいひと時だった。最後には記念撮影をしてくた。HPRVチームのメンバーはこちらから語りかければ気さくな先生も多いが、基本的にはtrauma teamの先生よりはあっさりとクールでスマートに仕事をこなしていく先生が多かった。Nusche先生が寄ってきて、明日の朝は来られないから今日が最後だと言ってわざわざ挨拶しに来てくれ、食器の片付けまでも手伝ってくれた。何とも優しい先生であった。最後にManoliが今日、当番で病院にいないといけないんだけど、この余りもらっていっていい?と訊いてきたので差し上げた。残されるよりは嬉しいものだ。
HPRVメンバー.jpgいつも陽気なDr.Nusche.jpg
17:00 Philip(まだ学生)に余ったふりかけをプレゼントする。ライスにかけるんだよと念を押しておく。こちらはあまりライスを食べないから。ライスはパサパサだからどうかな?
17:20 長いようであっと言う間だった8週間弱の研修が終わってしまった。だいたい6週間HPRV、1週間Trauma、1週間 学会や休暇と言うメニューだった(週末は殆ど自由に過ごさせてもらったし)。自分的には異国の地での生活ができたという点でまず満足している。ドイツ語がもっと理解できていたら更に充実した研修になっただろうけど、現実的には無理な話。やはり英語力だと思う。インド人が強気でいられるのは、母国語のように彼らが英語を巧みに(しかし発音はエラく訛っている)使いこなせるからなのだ。知識はあっても語学力のために討論できなくなってしまうこともしばしばあって、歯がゆい思いもした。若いドクターは是非、外人と対等に討論できるだけの英語力を早めに付けておいた方が良いと思う。

2009/10/20 そろそろ終わりが近づいてきたのを実感する [平日]

7:30 朝のカンファレンスが始まった。また昨晩、急患手術があったようだ(深夜3時から手術を開始したとのこと。呼ばれなかったけど)。上腕部の鋭的損傷で血管損傷も伴っていた。手術は朝方までかかったそう。ちなみに急患手術を深夜などに行ったドクターは、基本的に翌朝は来なくて良いことになっている(手術予定であっても、誰かが代わるように手筈を整える。代わりがいないような手術が翌朝組まれている場合、前日に当番になることは通常ない)。昨晩、当番だったDoldrer医師は予定手術に名前が挙がっていたが、カンファ終了後帰宅して行った。また、病院に泊まらなければならないという訳ではないのだが(必ずチームごとに当番がいる。Traumaはウンテン2人、オーベン1~2人が当番)、忙しい時には休める場所も確保されている。
7:45 HPRVのカンファが早めに終わったので、trauma teamのカンファに顔を出す。実は、昨日Hoentzsc教授にfellowshipの感想文を専用の台帳に書いておくように言われていたので、作って持っていったのだ(台帳には過去のfellow達の感想文が書かれており、世界各地から訪れている。多いのは中近東アジア特に湾岸諸国とインドから。日本からは過去2人しか見当たらなかった。みんなありきたりの感じだったので、趣向を凝らして色鉛筆で日本っぽいさし絵を入れて作ってみた)。また、短い期間だったが教授には色々とお世話になったので、日独友好バッチを進呈してあげた。
8:00 手術に行く前にPCで作業をする。今日HPRVチームは大きな手術の予定がない。細かな手術が詰まっていた。Schaller教授の母指CM関節形成術だけは少なくとも見ておこうと思っていた。手術進行表は病院内のPCから見ることができるので、今麻酔中とかが一目瞭然なのである。
手術タイムテーブル.jpg
9:00 手術室に向かう。今日はtrauma teamもそれ程手術が組まれていないらしく、SunderとRajaのいずれも手洗いしておらず、外から見学している。このインド人2人は背格好が良く似ている。Rajaは私と同様、結構デジカメで写真をバシバシおさめている。二人ともソニーのサイバーショットを使っている。日本製人気はここでも根強いようだ。
10:00 あまり見どころがない日もあるもので、そういう日は手持無沙汰になってしまう。まあ8週間くらいいると、手術室内で珍しげな場所もなくなっているわけだが、急患用手術室(septic区画の手術室とは階段でつながっている)の一角に患者用WCがあるのを始めて発見した。今までseptic区画にいてトイレに行きたくなった場合、いったん手術室の外に出てWCに行っていた。入る際はもう一度手術衣を着替えなければならず面倒だった。ここなら着替えずに用を足せる。しかしあと2日しか残っていなかった。
10:30 教授の母指CM関節形成術(Eping法)が始まった。他のドクター執刀で何度か見ていたが、教授はどうするのか興味があった。はじめに、手根管症候群の合併があるようで、手根管開放を行った(いわゆる小皮切に近い展開で特別な器具は用いていなかった。あっさりと終了し、母指CM関節背側に緩いS字皮切(3cm弱)を入れ展開。橈骨神経背側枝を避け(癒着が中等度みられた)、肥厚した関節包を切開し、関節内を展開、ここから大菱形骨を摘出していくわけであるが、ここが結構やりにくいと思われる。教授は第一中手骨基部にシャンツスクリューのようなピンを手回しでねじ込んで、それをjoy stickにして大菱形骨を摘出し易いよう工夫していた。教授に許可を取って手技は場面場面をデジカメでおさめておいた(残念ながら肩越しから無影灯が当たっている術野は反射して見えにくい)。大菱形骨摘出後にFCRが確認できるようになる。このhalf slipを用いて第1中手骨基部にsuspension plastyする。Tension balanceはどのように決めるのですか?と尋ねると、教授はこのように、と言って手関節を掌屈(最大ではない)させた位置に保持して見せてくれた。この感覚は慣れなのであろう。腱同士はinterlacing sutureではなく、普通に絡めて強固に縫合していた。骨孔には摘出した骨の一部を詰め込んでいた。
母指CM関節症.jpg母指CM関節形成術(Eping法).jpg
11:20 今日は、日本に荷物を送るための手筈を整えなければならない。秘書さんに尋ねて、どうすればできるだけ安く、簡単に(ここから)送ることができるか調べてもらう。その間に部屋に戻り、荷造りをした。
12:00 秘書さんのワゴン車を借りて、詰めた荷物を病院まで運ぶ(主に重い本などを送ることにした。1箱でおさまったので良かった)。秘書のTumaさんだけいたが、調整してくれたMonaさん(この方は英語が堪能)は休憩に入っていた。Tumaさんは彼女から伝言を受けてくれていて、病院から送れるように手配してくれたとのことだ。代金も日本からよりも安くてすみそうで良かった。
12:30 Casinoに朝食へ。今日はビーフシチューライスにした。味はちょっと甘すぎの感じ。
甘かったビーフシチューライス.jpg
13:00 荷物は夕方取りに来てくれるということになったので後回しにする。
13:30 手術室に再び向かう。Nusche先生が舟状骨骨折(近位型の遷延癒合例だが転位はほとんどない)に対して、海綿骨移植+背側からのHebert type screw固定を行っていた。ここに何故かtraumaにfellowに来ているハズのRajaがいる(良く考えたら私もHPRVに来ていたのに暇な時は勝手にtraumaの方も見に行っていた)。彼はインドにいたころはhandを主にしていたそうであるが、9年前にクウェートに移ってからはgeneral traumaになっているとのこと。今でもHandに興味はあるよう。また、彼は大胆にもNusche先生に向かって、こうした方がいいんじゃないですか?みたいに指示したりしている。なかなかものをハッキリ言う人間のようだ。ガイドピンが舟状骨内のfairwayにしっかりおさまっていることをimageで確認し固定した。
眉間に皺を寄せるNusche先生.jpg
14:10 trauma teamが急患手術をしていた。閉鎖性の下腿骨折(転位のない近位と骨幹部骨折)に対して、創外固定をしていた。こちらはだいたい終了し、これから下腿の筋膜切開を行うようだ。後で聞いてみると術前に圧測定はしていなかったらしい。臨床所見で診断できると言っていた。この症例は骨折があったため、外側の切開のみでlateralとanteriorを除圧するだけで十分だったようである。
下腿骨折に対する創外固定.jpgコンパートメント症候群に対する筋膜切開.jpg
14:40 今朝、更衣室でZwart先生に会った時に、今日の午後にTKA後の皮膚トラブルに対して腓腹筋皮弁をするけど良かったら見に来るか?と言われていた。先生は昔からここに勤めておられるのだが、HPRVができるまではflapなどは全部自分でしていたとのことで、今でも時々やっているのだそう。しかし症例を見に行くと、予想より軟部の状態が良かったため、洗浄・デブリを行い一期的に閉鎖するのみで終了となった。膝蓋腱の半分くらいは消失していたし、今後また何らかの追加手術は必要になるのかも知れない。
15:15 荷物担当者の所まで出向く。昼に梱包した荷物は25Kgをわずかにオーバーしていた。20Kgまでであれば病院から手続きが簡単に比較的安価に送ることができた。しかし、オーバーしてしまっているので、荷物の量を減らすか、ここに問い合わせてくれと言って、ホームページのアドレスを渡される。ちょっとガックリきてしまった。
15:35 夕方のカンファに参加する。今日の小手術の術後レントゲンや明日の手術予定を話し合っている。今は学生が何と5人もいる。最も長い、Gonser(愛称Philip)君は、PJという最終学年で年明けに最終試験が待っている。仕事しながら勉強もすることになるのでかなり生活はハードだとのこと。
16:00 早速、DHLのホームページから手続きを取ってみるが(現地版なので解読するのにかなり苦労する。途中タイムアウトになってもう一度やり直しさせられたり・・)、聞いていた値段より異常に高い。おかしいと思って、TELでも問い合わせてみるが、航空便で20Kgを超えるとかなり高くなるようだ。5Kg減らして、明日もう一度詰め直すことにするか。ちょっと残念だが。。。
17:30 またインド人2人がインターネットをさせてくれと言ってやってきた。ここは自分の部屋ではないけどと思いつつ、Rahmanianもいないし、あと2日だからいいかなと受け入れてあげた。彼らは、その後2人で街に繰り出して行った。
18:00 部屋に戻り衣類の整理を行った後、夕食を作る。何とか食材を帰るまでに減らしていかなければならない。
19:00 外はもう暗くなってしまった。こちらに来た当初は20:30でもまだ明るかったのだが、確実に日が短くなってしまっているのを感じる。

2009/10/19 Prof. Hoentzschにご指導いただく [平日]

7:30 久しぶりにHPRVのカンファに戻ってきた。Traumaは1週間だけの研修だったが、その前にcadever courseやドイツ手の外科学会があったのでカンファには暫く参加していなかった。昨晩はJamninetが当直で、夜間に緊急手術を2例(いずれも火傷)していたようだ。少々疲れ気味の顔をしている。その他週末の外傷症例が呈示されていた。カンファ終了後に日本からのお礼のお菓子を振る舞ったのだが、朝は忙しいのであまり手をつけてはいなかった。でも置いておけば時間がある時に食べてくれるだろう。
8:00 回診に付いて回った。今日は月曜なのに教授がいない。一番下のWellingが今日も病棟係だ。こちらの若手医師はまず病棟係から始まり、徐々に外来担当が増え、さらにcinsultant医師に付いて(特に決まったオーベンはないよう)手術に入れるようになる。久し振りにHPRVの病棟を見て回ったが、まだ入院継続中の患者も結構いた。以前、術直後は顔の暗かったおじさんも今ではすっかり元気に明るくなっていた。やはり術後経過が良いと気分も自然に良くなるものだ。また、先週手掌部の悪性腫瘍で切断になるかも知れないと言われていたおばさんも切断は免れたようで、こちらも顔が明るかった。
9:00 今日は、手掌への高圧注入損傷後のchemical reactionによる軟部組織壊死の症例に対して(幸い、屈筋腱・神経・血管の損傷はわずかのみに留まっていた)、前鋸筋筋膜の遊離皮弁手術が予定されている。Rahmanianは現在長期休暇に入っているので、執刀はPhau先生、asisstにLotter医師(おそらく今回初めてflapの挙上を任された)が入った。私は、10時00からHoentzsch先生と面談の約束が入っていたので手洗いは遠慮させてもらい外からの見学にしてもらった。挙上は前回も一度見させてもらっているのでイメージは掴めている。問題はどの位置でmuscleを切離していくのかと、その筋膜弁の厚さである。あまりにも分厚いと手掌への移行であるため、bulkyで機能的にも整容的にも宜しくないからだ。胸背動静脈を慎重に剥離し前鋸筋枝を慎重に温存していく。外からみていても拍動が確認できるくらいこの辺りの血管径は太いので同定は容易である。
9:40 Op室にHoentzsch教授から連絡が入り、予定が30分後に変更になった。合間に日本からの菓子折りを休憩室に持っていき振る舞った。気付いて食べてくれた人はお礼を言ってくれるので解る(中にはこっそり持ち帰ってしまう人もいるが)。
10:20 手術室を後にして教授室に向かう。その前に先週1週間分のtrauma teamの手術症例を秘書さんに頼んでプリントアウトしてもらっておく。記録をまとめる際に役立つのだ。お礼にほうじ茶ティーバックを一つ渡す(何だかチップみたいに)。
10:30 定刻通り教授室へ。ドイツの先生は時間には比較的厳格なので、日本人もJRのダイヤのように乱れない所を見せなければならないのである。笑顔で中に案内してくれる。手ぶらでは何なので菓子折りやほうじ茶、日本語・ドイツ語対訳表(自作)を携えていった。すると偉く喜んでくれた。この先生は結構親日家のようで、部屋には緑茶もあるし、急須は南部鉄器製のものを使用している。日本にも講演などで10回くらいは行っているとのことだった。まずは、AOからの支給金の最終的な精算をしてくれた(前回頂いた分よりも上乗せがあったのだ)。Hoentzsch教授がAOの窓口になっておられる。Schaller教授は形式的には責任者になっていたが、実は大元締めはこの先生だったのである。
Prof.Hoentzschとともに.jpg
11:00 私がベルリンで今度発表する演題(橈骨遠位端MIPOの臨床成績)を見たいと言うので、簡単に披露すると、思いがけずに賞賛してくれた。しかし、最終臨床成績に関してMIPO群と従来群は有意差ないのです。と言っても珍しいのだろうか?結構食いついてくれた。さすがにmedical techniche developmentというセクションの教授だけある。新しい手技やデバイスにはかなりアンテナを貼っておられるようだ。この際なので、ついでに吸収性プレートについても宣伝しておいた。まだ、ドイツでは使用されていないようである。また、部屋には幾つかインプラントや骨モデルが置いてあったのだが、現在、ASLS(Angular Stable Locking Sistem)という髄内釘の成績を調査しているそうで紹介してくれた。まだ日本ではお目見えしていないと思われるが、欧米では既に使用さいれているとのこと。ここBGでも30例以上使用して良好な成績をおさめていると言っておられた。何がポイントかと言うと、遠位ロッキングスクリューにsleeve(吸収性素材)を装着してnailとscrewを安定化させるというものである。Angle stabilityが得られるため骨幹部の粉砕骨折などには良い適応がありそうだった。教授室で小講義をマンツーマンで受けるという贅沢な経験をしてしまった。また、明日はスイスに講演に行くということらしいのだが(対外的活動をかなりされている)、興味があったら一緒に行くか?と誘われる。明日もHPRVの手術があるので・・・、手術予定を見てみて、Schaller教授とも相談してから考えます。と言うことにしておいた。また、12:30に会おう!(今日クウェートから研修生が来るので一緒に食事をしようと言うことになった。Flapの手術が・・・と思ったのだが断るのも悪いと思っていいですよ。と返事してしまった)。
11:30 flapとは別のaseptic区画の手術室に向かう。こちらにも日本からの菓子折りを持って行った。ちょうどSunderもうろついていた。昨日、彼は一人でシュトットガルトに観光に行ってきたらしい。市内バスツアーを申し込んで回ってきたそうだ。観光の様子を楽しげに話してくれた。
11:50 Shaller教授が久し振りに執刀されるので、見学に行った。やはり落ち着いたメスさばきである。舟状骨偽関節に対して舟状骨摘出(詳細については記載は控えておく)を行っている。メスのみで大方舟状骨までアプローチしている。やはり熟練の技が光ってみられた。
手術に没頭するProf.Schaller.jpg
12:30 昼食に向かう。クウェートからの研修生は(シンセスのfellowで2週間滞在予定とのこと)、Rajaと名乗り、またもやインド人であった。出身はSunderと同じマドラスとのこと。部屋が207というから我々と同じフロアである。どうもfellowship doctorはその一角に固められているような感じ。Hoentzsch教授はとても面倒見が良く、我々のような異邦人を温かく迎え入れる世話人のようである。もう窓際族などと呼んではいけない。
13:00 若いtrauma teamのドクターがHoentzsch教授に何やら許可をもらって鍵を借りていた。今からトレーニングルーム(骨モデルやインプラントが置いてあり、手術の技術訓練などを行う部屋)に行くらしい。興味があったので一緒に着いて行くことにした。
13:15 等身大骸骨の各パーツに創外固定を設置してある。また、たくさんの骨モデルが置いてありトレーニングをした痕跡がみられた。このような施設が病院にあれば、若手の訓練には非常に良いと思われた。インプラント類や骨モデルの調達にはある程度コネクションがなければ難しいと思われる。
創外固定された骸骨.jpgclosed reductionモデル.jpg
13:30 再びflapの手術を見に戻った。すでに血管吻合に入っていた。こちらにきてPhau医師の執刀した症例でまだ失敗症例を見たことがないので、何となく安心感がある。マイクロ下の光景は解らないが手際を見ていると熟練している。吻合はほぼ終了したようである。ちょっと小休止を取っていた。
前鋸筋筋膜弁移行後.jpg
朝は霜が降りて曇天だったが、今は晴れ間が増えている。Op室から外を眺める風景(手洗いしないで外からの見学の時は外を眺めていることもしばしばだった)はすっかり木々が色づいていて綺麗である。
木々の色づく病院付近.jpg
14:00 閉創はDoldrer医師がじっくりされていた。こちらも終了し手を下して帰っていかれた。前鋸筋筋膜弁は多少volumyではあったが、血流は良い。大腿部から全層で採皮して植皮していく。現時点では美容的に問題があるが、経年的に少しずつ萎縮していくそうである。
15:00 終了したので部屋を後にする。カンファまで多少時間があるので、こう言う時間に出来事をできるだけまとめておく。
15:30 朝置いていった日本のお菓子も少し減っている。まだ様子伺いと言う感じなのだろうか?好奇心旺盛な学生が手をつけてから徐々になくなっていった。好評ではあったが、こちらの人は基本的に甘いものの方が好きのよう。カンファには3人ほど患者が入ってきた。一人は絞扼輪症候群の赤ちゃんだった。時々手のanomaryの子が受診されたが、手術にはあたらなかった。明日の予定表を見てみると、特にこれと言ったものは組まれていない。明日のことでちょっと考えてしまう。
16:10 Rahmanian部屋(もう自分の部屋のように使っている)でインターネットに接続。現時点でこれが日本とのライフラインになっている。これがないと日本の情報は殆ど解らない。黙々と作業をしていた。
17:30 SunderからPHSに連絡が入る。Yukichiが使っているインターネットの回線を貸して貰えないだろうか?とのこと。彼が病院で使用しているのはケプラー室のPCで鍵がかかっていると使えないのだそうだ。今日もRahmanianは休みなので内緒で貸してあげることにした。
17:45 今日やって来たRajaと一緒に現れた。やはり同郷なので(広いインドで同じ言語を話す人間に遭うと嬉しいものらしい)仲良くなっていた。確かに心なしかいつもよりSunderが偉そうに見える。彼は独特の口調がある。志村けんのバカ殿で、あ~ん?って聞き返すことが良くあったが、彼は語尾にこのあ~ん?(isn’t it?みたいな感じ)を良く入れてくるのだ。こちらも癖で移りそうになってしまうくらいだ。
18:00 彼らは交互にインターネットでメール確認なんかをしていた。その後、2人でちょっと街に出るそうである。帰ってきたら、またお好み焼を食べさせることにした(HPRVでお好み焼パーティーをする話があったのだが、出来そうもなくなってしまったので、残っている食料を片付けなければならないから)。
18:20 急患受付から部屋に戻る時、空を見上げると、天空に一直線に立ち上がる飛行機雲を発見した。これくらいきれいに見られるのもここならではである。
一直線に上昇する飛行機雲.jpg
19:00 お好み焼は4人分くらい焼いてみた。肉は今回も使っていないので自分的にはもの足りない。イスが一つ足りないのでRajaに持参してもらってささやかな歓迎会を催した。Zwart先生にもらっていたビールが1本残っていたので、出そうとするが2人とも飲まない。仕方なく独りで飲むことになってしまった。Rajaは小食だそうだが、美味しいと言って残さず食べてくれた。
20:20 それぞれの国の話などが出て盛り上がった(インド人2人が時々現地の言葉で喋り合ってしまうこともあったので、意味不明になることもしばしばあった)。2人は週末一緒にミュンヘンに行くか~?みたいなノリになっていた。同士ができるといいものだ。
インド同郷のSunderとRaja.jpg
20:40 お腹も膨れた2人は部屋に帰っていった。私は余ったお好み焼きの素を使ってもう1枚焼いた(今度は肉も入れてみる)。もう自分自身は食べられないので、今日も急患受付の人に(今日は愛想の良いおばさんだった)持っていってあげた。

2009/10/16 夕方寒空をスーパーまで買い物に出かける [平日]

7:45 朝のカンファレンス開始。Zwart先生が日本語会話表をくれと言っていたので渡してあげる。カンファ後早速発音してみている。先生はオランダ出身で、ニューギニア(旧オランダ領)に住んでいたこともあるし、インドでも5ヵ月ばかり働いたこともあるのだそう。だから異文化には興味があるのかも知れない。
8:00 今日も朝は自分の仕事を片付けることとする。trauma teamの場合1例目にお目当ての手術が組まれていることが少ないからである。
9:00 遅れて手術室にやってくる。気楽な身分である(実際、見たい手術を自由に見て良いということになっているので)。今日もACLをしている。執刀はまだ若手のoberarztのようだ。先日のalbrecht先生と同じやり方で固定していた。先日良く解らなかった骨孔と移植腱を固定するpinは吸収性とのこと。この先生は脛骨側を固定する際に、バネばかりを用いて(何ニュートンかは不明)tension balanceを決めていた。
9:30 今日はtrauma teamが3列平行で行われている。今は1例目が終了し、2例目が始まろうとする時間帯である。同時にACJ(TossyⅢ°と言っていたけど、画像上下垂位でもⅡ°と思う)脱臼の整復固定、不安定型骨盤骨折(垂直剪断型だが転位は少ない)に対するspino-pelvic fixation、tibial plateau骨折のORIFが行われようとしている。今日がtrauma最終日だし、欲張りな私は全ての手術を少しずつ見学できるように外回りをすることにした。邪魔と思われてもいけないので、image係を少し手伝ったり、物を取りに行ったりとちょっと働いてみた。お陰で自由に文句も言われず(内心どう思われているか知らないが)見学することができた。まず、ACJ脱臼整復固定は、短時間で済んでしまった。C-Cligamentのことなどお構いなしのようである。そう言えば、抜釘期間を聞くのを忘れていた。また今度聞いておくことにする。Tibial plateauは外側のsplit typeで陥没はないようだった。関節鏡の準備はしていないので、imageのみで行うのだろう。若手にさせながら、白髪のRether先生が指導している。この先生は比較的下の先生にさせることが多い印象である。怪しいこともあったが、基本的には骨折治療についてはベテランで基本的事項をしっかり下の先生に教えていた。今日の肝のscrewがうまく効いて若干離解していた骨折部もしっかり寄ってくれた。また脛骨粗面にも骨折部が及んでおり(もう少し整復できそうな気もしたが)、ワッシャー付きのscrewで最後に固定を加えて終了した。固定性に問題はなさそうである。
tibial plateau fracture.jpg今日一番のscrew固定.jpgtibial plateau術後.jpg
もう一つの脊椎・骨盤症例の執刀はStuby先生で脊椎の先生なのだろうか?あまり見たことのない先生がassistに入っていた。脊椎のpedicle screwに関してはこのassistの先生の方がむしろ主導権を持っていたくらい。何とこの固定はいわゆる経皮的(小皮切)での固定である。いわゆるGalveston法を小皮切で行っているのだ。Pedicle screwをL4・L5の両側4ヵ所にまず刺入し(正・側image checkで確認)、その後にStuby先生の得意分野と思われるilio sacralにscrewを刺入する(やはりimage workが重要)。この3ヵ所にlodを連結する訳だが経皮的にどうやって設置するのか?と疑問であったが、どの程度ロッドを弯曲させれば良いのかを体外で確認できる専用のデバイスがあり、それを用いて調整していた。ロッドをちょうど良い形にbendingさせた後、皮下トンネルをくぐらせてそれぞれのpedicle screwに固定していくという訳である。あまり見慣れない手技だったので感心してしまった。やはり外傷外科医は幅広いなと思ってしまった。日本ではここまで一人ですることはないだろうけれども。
体外でロッド湾曲を確認する.jpgsupino-pelvic固定術中イメージ.jpg
11:00 各手術手術室を見回っている際に、麻酔前室で膝窩部から注射をしようとしていたので何をしているのか尋ねてみると、膝窩部ブロックというoriginalの方法で足部の手術の麻酔準備をしているとのこと。年配の先生が若い(美人)女医さんに指導していた。神経刺激装置を用いて確認しながら坐骨神経周囲にチューブを留置していた。加えて静脈麻酔を用いて寝かしている。やはり色々なやり方があるのだと感じた。
膝窩部ブロックをする美人麻酔科医.jpg
12:00 他の部屋でHPRVチームのLotter医師とZwick先生がSL dissociationに対して、同部の固定術を行うというので寄ってみた。患者はまだ若いようだが、靱帯再建ではなく固定を選択している。Nusche先生の方針のようであるが、その方が成績が安定しているからと言っていた。自分自身には固定の経験も陳旧例の再建の経験もないので何とも答えようがなかったが、まだ年齢が50くらいと若いのが気になってしまう。この症例には関節鏡は準備されていなかった。Zwick先生が腸骨の採骨まで手伝うと、ちょうど良い頃にNusche先生がハロー!と言って入ってきて交代となった。中継ぎ・抑えみたいに役割分担がなされているのが面白い。
13:30 Tibial plateauの列では既に、60代男性の変形性足関節症に対する足関節固定術が佳境に入っていた(Sunderが手洗いして参加している)。外果も内果も飛ばしてしまって骨切りしてスクリューのみで固定していたのが新鮮(現在日本では関節鏡視下に固定することも結構あると思う)。
14:00 何やら手術室内で私に呼び出しがかかっているとのこと。Nsのスザンナに言われて始めて気がついた。肘の手術の手伝いがいないので来て欲しいとのことだったので向かってみる。もう麻酔をかけ終わったが、まだ下の先生が来ていないので準備してくれという(前もそんなことがあったけど)。
14:20この症例は肘頭骨折tension band wiring術後の偽関節という診断で、plateに入れ替える予定だそうだ。手洗いし終わった頃に下の先生が現れた(この間一緒に飲んだ背は普通だが体格が良い先生。名前は聞いたが忘れてしまった)。消毒し終わったが執刀のStuby先生がなかなか現れない(始めたらダメなのか?と聞いてみたが、consultant医師が執刀、若しくは許可がないと手術が始まれないとのこと。抜釘まで先にやっておいたって問題ないようなのだが・・・)。ちょっと遅れたのを気にしてか、先に展開しておいて!みたいに言って手を洗い始めた。
14:40 結局、偽関節部はimageでも殆ど動かず、局所的にも癒合している感じであった。どこかに電話で確認していたが、結局plate固定のみすることになる(要は急患で受けた先生と手術している人間が異なるので、時々このような連携ミスのようなことが生じてしまう。術前の評価や局所所見を取ることなどがこちらはどうも甘い印象を受けてしまう)。そう言う意味では、手術は職人のように片付けているという感じ。一人でtotalに見ているということは殆どない。ある意味効率は良いが、何となく日本人には違和感を覚えざるを得ない。
15:20 手術は問題なく手早く終了したが、果たして手術の必要があったか?ということを考えると複雑な気持ちになってしまった。局所所見もあまりなかったと言っていたので。
15:40 本日最後の手術が準備された。ルーマニア生まれのDr. Schererと一緒に準備した。鎖骨骨幹部骨折術後で抜釘後の再骨折症例である。術後半年以内に抜釘しているようなのでその時期にも問題があったのかも知れない。Stuby先生の予定だったが、他の関節鏡チームのconsultant医師が代わって執刀した。この先生は、関節鏡手術は上手だったが、この手術には時間がかかってしまっていた。おそらく最近あまり骨折手術などしていなかったのかも知れない。プレート固定を終了した頃にStuby先生が現れ、すみませんみたいに言っている(多分この執刀した先生の方が上なのだろう)。imageを見てウンダバー(素晴しい)!とかプリマ(最高)!とか妙に持ち上げていたのが面白かった。ちょっと年功序列を感じた一瞬であった。
16:30 外は小雨がぱらついている。いったん部屋に戻ってゆっくりする。
17:10 今はちょうど雨も降っていないようなので、街のスーパーまで買い物にでかける。外はコートがないと寒いくらいになってしまった。この1週間で急に冷え込んできた。吐く息はもう既に白いしポケットに手を入れていないと寒い。
17:30 スーパーで買い出しをする。実はお好み焼を作ろうと思っている。キャベツや卵や豚肉を購入(その他のお好み焼きの素やソースなどは先日日本から送って貰っている)。パン屋にビッケ(小さい頃テレビで見ていたバイキングの漫画の主人公、こちらでは今でも子供に人気のキャラクター)のパンが並べてあった。
ビッケのパン.jpg
18:00 寒空を歩いていると、民家の窓に手作りのかぼちゃの人形が飾ってあった。もうすぐハロウィンが近いからか。
窓際にかぼちゃの人形.jpg
18:10 バス停で待っていると、Doldrer先生が電話しながら向かってきた。先生は週に何度か大学病院でも働いているらしく、その後街で買い物して今から帰るところだとのこと。そうか道理で影が薄いと思っていた。あまり手術はされないが、話しても実に感じの良い先生だ。嫌味な感じがないところが良い。
18:30 帰宅。ちょうど、Sunderが部屋から出て病院(Casinoにフルーツを取りに行くのだそう)に向かう所だった。今日は自分が代わりにご飯を作ると言ってくれたのでお言葉に甘えることにした。
18:40 しかし、良く考えたら彼の部屋には鍋もないし食材もこの間見せてもらった怪しいピラフしかないハズ。。。オカズがないのでは?今度皆で食べるお好み焼きを作る練習として、今から早速作ることにした。子供時代は、週末になると鉄板焼きでお好み焼きなどを作ってもらった記憶があるので、作るのは苦ではない。キャベツや天かす、エビ、マヨい~かなどを混ぜて即席お好み焼き完成(肉は入れなかった)。
19:15 彼が部屋に呼びに来た。部屋に行ってみると案の定、ライス(インスタントのパサパサのやつ)とバナナチップス、色んな香草が混ぜてあるスナックなどのみである。しかもお湯を沸かすことができないので、シンクに蛇口からの熱湯を張ってそこで温めたのだとか。。。道理でライスに芯が残っていると思った。鍋がないなら言ってくれれば貸してあげたのに。。。インド人にしては何だか奥ゆかしいのである。
19:30 私持参のふりかけやサケフレークなどのトッピングとお好み焼きで何とかなった。結局、彼はライスだけだったような。。。でもその気持ちを有難く受け取ってあげた。彼は言っていた。本当はこのライスはもっと美味いんだけど。。。私は全部平らげたが、彼は1/3程度残していた。
夕食にありつくSunder.jpg
20:30 お好み焼きが少し余ったので、病院受付のおじさんたちにつまみとともに持って行ってあげた。いつも通りかかるので顔なじみになっている。温めて銀紙に包んで冷めないようにしてあげた。喜んでくれると良いのだが。。。

2009/10/15 再び夕食をSunderとともに [平日]

7:45 カンファレンスが始まる。昨日飲みに行ったドクターにお礼の挨拶をする(誰が払ったかは不明だがおごってもらってしまった)。体格の良い女医さんはWermter医師と言うそうだ。愛想がなかなか宜しい。Trauma teamというどちらかと言うと男社会で頑張っているだけあり、シャキシャキしている感じ。ここのチームには4-5人の女性がいる。皆だいたい大柄である。体力に自信がありそうな方々が多い。朝のカンファはあっさりしているので10分程度で終了。
8:00 1例目は膝蓋部近位(関節外)の血腫除去などが組まれていた。今日も休暇中のRahmanian部屋で仕事をさせてもらう。
8:40 手術室に向かう。1例目は簡単に終了し、2例目の手術が始まっていた。尺骨近位に原因不明の骨化が生じて、疼痛と可動域制限(正確なrangeは解ってない?)を認めていたようだ。その骨化の切除を行っている。近位橈尺関節にも若干及んでいたようでそこがmain lesionのようであった。しかしこの骨化はまた出来てこないだろうか?画像的には成熟しきった骨化であるようには見えたのだが。。。念のため病理検査に提出するようである。除去後に可動域が改善したことを確認して終了。
9:20 他の手術室にも顔を出してみる。関節鏡チームが小児のpatella sleeve fractureに対する接合術を施行している。骨片が小さいのでfiber wireの類の強固な糸を用いて再建していた。通り過がりなので詳細はあまり見ていない。
10:00 3例目は肘頭骨折後の変形遷延癒合の症例(50代女性)で、関節不安定性を生じている症例だった。前医での骨折部の整復位がイマイチで腕尺関節のcongruityが良くない(鈎状突起骨片が離解したまま)。また橈骨頭の陥没変形も見られる。こちらは人工橈骨頭に置換するかも知れないということであった。
変形遷延癒合(側面).jpg変形遷延癒合(正面).jpg
この手術は私も手洗いをさせてもらい参加した。執刀は白髪OberarztのRether先生、この先生はtraumaグループの中では比較的執刀されているほうである。まず、抜釘を行うと、骨折部はまだ癒合していない(術後2ヵ月くらいと言っていた)。輪状靭帯をお構いなしに切開して展開し、橈骨頭を露出させる。1/5程度陥没変形しているが、こちらはこのままにしてしまった。まずは、転位した鈎状突起骨片を捉えるべくおもむろにドリリング(骨把持せずに)する。やはり熟練しているのだろうか、今まで怪しい人かと思っていたが、狙いにバッチリ刺入されている。ラグスクリューを用いて引き寄せようということのようだ(陳旧性だから寄るか心配・・)。image確認ではなかなか詳細は解りにくかったが、まずまず整復されたようだと一安心。続いて、シンセスのolecranon palte(最先端のフック部分は折らなくてもanatomicalに設置できる:即ち骨が大柄ということ)を用いて尺骨近位端を固定する。橈骨頭が後方に亜脱臼しているので、plateを骨折部の位置で前方凸にbendingさせ(ちょっとつけ過ぎか?)、橈骨頭を整復位に戻そうと試みた。何度かやり直したがほぼ良好な位置に橈骨頭がおさまる。しかし、まだ不安定性があるため、腕橈関節部をK-wireで仮固定しておき、その位置を保持させるべく、創外固定を設置することとなった。その後、創外固定装着のままROM訓練ができるよう、肘関節の回転中心(上腕骨外上顆の中央にK-wireを刺入)を設定。そのK-wireを創外固定のヒンジ部に装着して組み立てていった。創外固定のバーは外側からのみで、回転中心設置に使用したK-wireと、腕橈関節を仮固定していたK-wireは最終的に抜去した。早期ROM訓練を行いつつ、不安定性を解消する方法を取ったようだが、外側への不安定性を改善するために靱帯再建の方法は頭にないようだった。2ヵ月くらいこのまま設置して訓練を行っていくとのこと。
創外固定設置前.jpg創外固定設置後.jpg
12:00 いろいろと勉強になった面もあるのだが、?も幾つかあった手術でもあった。良い結果が得られてくれれば良いのであるが。。。ちょっと質問し辛い雰囲気もあって詳細を尋ねることが出来なかったのが悔やまれる。何となく少し疲れてしまった。このまま昼食に向かった。
13:00 4例目は橈骨遠位端骨折である。やはりこちらでもかなりの頻度を占めている。ここは労災・事故をメインで扱う外傷病院であるため、患者層は比較的若いのが特徴である。従って、高齢者の大腿骨頚部・転子部骨折の割合はそれ程多くないのである。手術は何度かもう見学したので入らなかった。使用プレートはT型のLCPで骨幹部は2穴のみ固定。術後レントゲンを見てみると、整復がもう少しで、いわゆる側転位が残ってしまっていた。DRUJにはかかっていないので術後成績には関与しないかも知れないが、画像的美人ではない。
13:50 Zwart先生がTKAを執刀し始めていた。こちらはナビゲーションシステムを使用しているようである。システムを使う所まで見学出来なかったので残念。やはりこちらでも駆血は使用していなかった。
TKAナビゲーションシステム.jpg
14:10 82歳男性の肩関節前方脱臼に伴う骨性Bankart lesionの変形癒合の症例。何度となく脱臼を繰り返すので手術に至ったとのこと。執刀はStuby先生でOpenで行った。TKAの所で時間を取り過ぎてしまい、Sunderに先に手洗いを越されてしまった(ちょっとの差だった。やはり直接入って見てみたい手術というのはお互いかぶるものだ)。Deltopectoral approachで展開し、subscapuralis muscleを付着部を残して(後で縫合する時ののりしろ)上腕骨頭から剥離していく。ここにstay sutureをかけておき、関節内を展開。Glenoidの前下方の骨片を遊離させ(良く見えなかったが、ここら辺の作業が手こずっていた)、若干refreshして整復位に戻し、K-wire2本で仮固定。Imageで良好な位置にあることを確認(このimage workが難しいと思う)して、骨片が小さいので1本のみ3.5mm CCSを用いて固定した。骨片固定後は、subscapulalis muscleと関節包をPuti-Platt法の如く縫縮して関節脱臼予防とした。
陳旧性骨性バンカート.jpg骨性バンカート術後.jpg
15:15 閉創に入ったので手を下して夕方カンファに向かう(Sunderはまだ手を下ろせないので参加できない。ちょっと可哀そうだ)。次から次へと症例が呈示されていく。症例を呈示しているドクターはassistant arztで、まあベテランの部類に入る。まだその下に何人もドクター(レジデントなど)が控えていて、学生も何人かおり、fellowの東洋人2人もいるのだ。しかし、夕方はどうしても眠くなってしまう・・・。今日も睡魔と闘っていた。
16:30 Sunderがオマーンから持参のインターネットを使って自宅で何度かやっていたが、代金が200Eurもかかっていたことにショックを受けて、彼も病院でインターネットを借りることにしたようだ。私は幸いRahmanian部屋を自由に使わせてもらっているので特に支障はない。どこかに交渉に行ったようである。
18:00 帰宅する。ちょっと可哀そうになったので、またSunderに夕食を御馳走してあげることにした。部屋で片付けなどを行い準備する(レトルトメインなので手間はかからない)。
19:00 ささやかな夕食開始とする。牛肉を含めないように注意した結果、親子丼、豚肉煮込みカレー、しじみ汁、きのこポタージュ、デザート、それに青汁を出してみた。口には合ってくれたみたいで綺麗にたいらげてくれた。青汁はちょっとしかめっ面をしつつも、健康にいいからと言うと我慢して飲んでくれた。またもや使用した食器は自分の分だけはしっかり自分で洗ってくれた。レトルトでも日本の食べ物はたいがい高評価である。
ヒンドゥー教のSunder.jpg
20:20 帰宅しようと彼が自分の部屋の鍵を探してみるが見当たらない。どうやらインナーロックをしてしまったようである。まだこの時間なら病院の総合受付(私がここに来てすぐに部屋の鍵を受け取りに行ったところ)の担当者がいるから、そこに行ってみようということで一緒に行ってみる。
20:40 担当の女性がテクニック(営繕係みたいな人)を呼び出して無事部屋の鍵を開けてもらえた。それまで、彼は寒いのに裸足でサンダル姿だった。もし夜間開けられなかったら、自分の部屋に泊めてあげなければならないと思っていたので、さてどうやって寝たものか?とちょっと考えたりもしていたので良かった。
22:00 日記をつけていたが、急に体が重くなりベッドで横になってしまっていた。

2009/10/14 思いがけずProf. Wellerに遭遇。その後久々に飲み会 [平日]

7:45 前日の学習通り、この時間にケプラー室に向かうと先生たちが集まり始めていた。Sunderはもう座っている。彼はかなり真面目な先生なのだ。前ではドイツのFWバラックに似ている先生が症例を呈示している。昨日夕方のカンファに挙がらなかった術後の症例も幾つか出されている。バラック似の先生が、昨日持参したせんべいのパッケージを見て、cool!と言って幾つか持って帰っていった。
8:00 OP室に向かう。今日は抜釘ばかり縦に7つも続いている部屋がある。他にもtrauma teamの手術が組まれていたが、この時間は興味深い症例でなかったため、たまには人工関節や関節鏡の部屋も覗いてみることにしよう。
8:15 すでに関節鏡の部屋ではACL再建術の手術が始まっている。現在、全く関わりがなくなってしまったが、以前マツダにいた時にT坂JAPAN先生にご指導を頂いたことがあった。しかし残念ながら、その当時は良いgraft masterになることしか考えていなかったこともあり、折角の良い経験だったにも関わらず、今では記憶の引き出しの奥の方に眠ってしまっております。手術はOberarztのAlbrecht先生という快活な先生が手際よくこなしていた。こちらではone bundleの再建が主流とのこと(ドイツでは9割近くがまだone bundleで、最近two bundleが徐々に増えているそう)。術中私のことを気にして時々話しかけてくれていたのだが、日本では70%くらいがtwo bundleのACL再建をしているというのを最近文献で読んだけど本当か?と聞かれたので、正確な%は解りませんが、今や主流となっているようです。中にはthree bundleを行っておられる先生もおります。と答えたら、incredible!と言っていた。End buttonを用いず何やらpinのようなもので固定していたのだが、詳細が良く解らなかった。後で聞いてみると、femur側の骨孔に対して垂直にpinを刺入して、移植腱ごと固定していたようだ。End buttonは使用したことがないそうだ。手技的には早く、9時前には固定を終了し手を下してしまっていた。
9:00 隣の部屋では先日自宅に招待してくれたZwart先生がTHAをしている。何とSupineのdirect lateral approachで行っている。皮切も大きくはない。やりにくくはないのだろうか?もうインプラントの設置が終了してしまっており、学生二人(例のバングラ君と女学生)に丁寧に術野を見せながら説明していた。結構世話好きな先生と思われた。機械台の道具を見てみると、食事で用いる普通のスプーンが置いてあった。骨頭を抜去する時に使用しているようだった。
9:30 関節鏡2例目は肩の症例だったが、鏡視は始めにちょこっと下の先生にやらせて、後はopenで腱板断裂(再断裂症例で上腕二頭筋起始部の固定も行う?とか言っていた)の手術をしていた。
10:20 traumaの1例目の大腿骨髄内釘が手こずっており、2例目開始が遅れた。Sunderと交代で私が手洗いをする。この症例は上腕骨近位端骨折なのだが、遷延癒合症例(polytraumaで保存的にみていたが疼痛が残っているとのこと)であった。骨移植の準備までして取りかかったが、骨折部は比較的stableだったため、plate固定のみとなった。執刀は、Stuby先生(実際並んで見ると、身長は2m近くある)で、やはり手際が良い。上腕骨の形態が頭に入っているので、plateを直視下に何気に設置しているようでも適切な位置におさまっている。整復も殆どせず骨移植もなかったので、すぐに終了してしまった(やはり長いscrewを何本か入れ替えていたのでそこら辺がロスではあったが・・)。THAを見に行ってSunderが戻ってきた頃には搬出準備をしていた。手術時間40分弱か。
11:20 休憩所で久しぶりに、いつも陽気なNusche先生に会った。サンドウィッチをモゴモゴさせ食べながらPHSで電話している。キャラ的には非常に好きな先生である。手術の方は小手術をメインに下の先生にやらせたりしているので、あまり見学はしていないかった。Plastic surgeonでも手の外科(マイクロ以外)が中心のようである。
11:45 trauma3例目は、足関節内果骨折に対する、tensionband wiring固定だった。ちょっと普通過ぎてしまったので、だいたいメドが付いたところで手術室を後にする。術場を去る時にFabianがいつものウィンクをしてくれた。
12:20 昼食。Jaminetが食べている。今日はミートソーススパゲティにした。前にJaminetと一緒に食べた時もミートソースだったような気がする。簡単なドイツ語-日本語会話対訳表を作ったから今度持ってくるからと約束する。彼は来年くらいに日本に旅行に行きたいと行っていたので。
13:00 4例目は75歳女性の大腿骨転子部骨折だった。急患で今日ねじ込まれてきた症例だ。PFNA(こちらはステンレス製を使用している)を用いるらしい。執刀は白髪のOberarzt(3人くらいいるのだが、カンファや手術を見ていると、何となく印象では彼らは窓際族的な感じを受ける。。気のせいか?)がする。日本ではこの類の手術から若手が修練していくことが多いのだけれど。Assistant arztはおそらく30過ぎであろうが、setting(この手術は術前の整復が当然ながら重要)、鉤引きを黙々と(中には嫌々やってそうだなと感じる助手もいる)こなしている。特に見どころもなかった訳だが、消毒後のドレーピングを1枚の敷布を天井から吊下げるように行っており、これは便利であった。
有用なドレーピング.jpg
14:00 5例目もまた抜釘症例であった。苦労して抜去するのを見るのも勉強になるのだが、立っているだけだと何となく疲れてしまう。
14:30 手術室を抜ける。HPRVが手掌の腫瘍(滑膜肉腫の診断、おそらく手関節部での切断になるだろうとJaminetが昼間に話していた)の手術が別のseptic区画で行われているが、カンファも近いので見学せず、Rahmanian部屋に行ってPCをいじっていた。
15:15 夕方のカンファ開始。今日は教授もいるし、徐々に人数が増えてきた(30人近い)。問題症例のようなものが幾つかあり、結構時間をかけていた。ここでは人工足関節置換術(外傷後のOAに対して)も行っていた。
16:30 終了となり開放される。やはりドイツ語シャワーは身体にこたえる。途中2回くらい急激な睡魔に襲われたが、何とか持ちこたえた。会議室外で、若手医師(何となく行動パターンでわかる)が話し合っている。以前、病棟で話かけてくれたことのある、背の低い秋葉原に行きたいと言っていた医師もいた。今日はこれからまた別の合同カンファがあると言っている。その後街に出る見たいだけどと言っていたのだが、ちょうど話の途中で、教授が通りかかり、彼らは後に付いて行ってしまう。さて、どうしたものか?
17:30 はっきりと時間を聞いていなかったので、念のため大ホールに行ってみると、もう既に特別講演が始まっていた。後で聞くと今日は月に1回のコロキュアム(レクチャーや症例検討会など)の日であったようだ。途中からの参加でもあったし、ドイツ語口演でスライドが殆ど文書だけだったので、内容は理解できなかった。講師は弁護士で医療訴訟的な内容も含まれていたようである。講演終了後はそのまま症例検討会へとうつった。近隣の先生方の持ち寄り症例や当院からの提示症例が発表された。大柄の女医さんが当院から、比較的大きなHill-sachs lesionに対して、関節鏡視下に骨移植を行ったという稀な症例を提示していた。終了後は例の机を叩く反応がみられた。
18:45 終了した後、このコロキュアムを定期的にすることを草案した本人である、Prof. Weller(前のテュービンゲンBGトラウマ病院の責任者)にZwart先生が顔合わせをしてくれた。Sunderもその名前は知っており、2人で記念撮影となる。予期せずビックネームの先生に会うことができてラッキーであった。私も以前AOのセミナーで先生の教育講演(AOの哲学みたいな内容だったと思う)を聞いたことがあり存じ上げていた。
高名なProf Wellerと.jpg
19:10 trauma teamドクター有志でこのまま飲みに行くことになった。もう遅い時間のように感じたがまだ19時過ぎである。外はここに来てから一番寒い(ドイツでは今日初雪が観察されたとのこと)。Zwart先生が小さなvillageにあるアットホームなレストランに連れて行ってくれた(だいたい月1回のコロキュアムの後はここに飲みに来るとのこと。病院からは車で5分以内と近く便利)。遅れて来た先生もいたが、10人程集まった。Prost!やらCheers!やKanpaai!などと言って始まった。
20:00 食事はドイツの田舎料理のような感じで素朴で美味しかった。私はZwart先生お薦めの牛肉のステーキオニオン添え、Sunderが名物料理シュニッツェル(チキンのカツレツ)にしていた。彼に自分の分を少し分け与えて彼のを貰おうとすると、何だが嫌そうな顔をした。そうだ!彼はヒンドゥー教なので牛肉は食べないのだった。。。日本では感じない宗教的問題を感じた一場面であった。それでも彼は無宗教の私の無知を察してくれて、優しくチキンカツレツを分け与えてくれたのだった。隣には先ほど症例提示していた大柄の女医さんが座っていた。彼女はゲッピンゲン(メルクリン博物館のある所)出身だそうで、先月、そこに鉄道模型を見に行ったよ。と言うと驚いていた。地元の人はクリスマスに催しがある時に行くくらいで、あまりメジャーな所ではないとのこと。確かに一部の鉄道マニアにしか理解できない聖地なのかも知れない。宴もたけなわになり、ぼちぼち帰り始めるドクターもいた。こちらでは周りに気兼ねなく、じゃまた明日!と言って自分の都合で勝手に清算して帰って行ってしまうよう。上の先生が残っていようとお構いなしである。残りたい人だけが残れば良いという感じ。でも、trauma teamの雰囲気はHPRVよりも今まで日本で働いてきたいわゆる体育会系の整形外科に近いノリを感じた(さずがにカラオケ突入はなかったが)。面倒見の良い先生がいたり、熱く手術の話をしたり、お客さん(私とSunderのこと)に気を使って話を振ってくれたり。ちょっと懐かしい雰囲気に浸れた良い時間であった。
飲み会にて1.jpg飲み会にて2.jpg飲み会にて3.jpg
21:40 大柄の女医さん(名前を忘れてしまった。明日確認しよう)が病院まで送ってくれるそうだ。車はニッサンの180SXの欧米版であろうか?知人から10年前に安く買ったと言っていた。日本車が安いし性能がいいから好きと言っていた。
22:00 ほろ酔い気分となったが、時には皆でワイワイやるのも楽しいものだ。

2009/10/13 大所帯のtrauma team [平日]

7:30 事前情報ではこの時間からカンファが始まると言っていたので、指定の場所に駆けつけてみるが部屋に鍵もかかっており誰もいない。Prof. Weiseが通りかかったので改めて挨拶する。しかし先生はどこかへ消えていってしまう。
7:45 ようやく人が集まり始める。ケプラー室という比較的広い会議室で総勢20数名のスタッフが集まってきた。本日の手術症例や昨晩の急患症例などが提示される。HPRVとの違いはレントゲンフィルムをシャーカステンに出す回数が圧倒的に多いことだ。こちらはレントゲンが命という所があるので。Oberztが前方のテーブルに座り、下っ端が後ろの方の椅子に座るという構図になっている。最後方にあのバングラディッシュからの学生がきょろきょろしながら座っていた。まだ若いと思うが(40少し過ぎくらい?)Stuby先生がオピニオンリーダーのようだった。先生方はそれぞれ7時頃から病棟回診をしたりしているとのこと。
8:00 挨拶もそこそこに手術室へと向かう。実にコンパクトなカンファであった。夕方の方が内容はしっかりしているとのこと。本日1例目は橈骨遠位端骨折C2typeに対するORIF(掌側ロッキングプレート固定)であった。既にassistantの女医さん(Dr.Scherer)が準備している。執刀はStuby先生で私も助手で入らせてもらった。
AO23-C2 正面.jpgAO23-C2 側面.jpg
8:30 approachは通常のHenryの掌側からで方形回内筋は中央でばっさり切っていた。温存することはないそうだ。Scherer先生の整復位の保持が甘く(仮固定はしないため)、何度か整復位がずれてしまったものの、imageを見ずにplateを設置し骨幹部のscrew固定まで行った。ほぼ良い位置に設置されている。直視下で設置しているので当然であるが、実際なかなか難しいものだ。若干repo位に回旋がかかって、骨折部近位骨端の側転位(尺側)が生じていたので筋鉤でrepoすると、good assist!と久々に言葉で褒められた。術中の雰囲気も心なしか良くなり、順調に手術は終了した。閉創前まで30分とかかっていないと思う。但し、PQは2針かけたのみでrepairには拘っていないとのことだった。
掌側ロッキングプレート正面.jpg掌側ロッキングプレート側面.jpg
8:50 何と9時前に既に1例手術が終了して入れ替えの準備をしている!。さて、この症例は尺骨茎状突起基部骨折もあったが転位はなかった。骨折の存在には気付いていたようだが、術中はno careだった。術後に、尺骨茎状突起骨折を固定することはあるのか?と尋ねると、殆ど固定していないとのこと。DRUJが脱臼して転位が激しい場合などは固定することがあるそう。術後に手関節尺側部痛で困る患者さんはいますか?と聞くと、殆ど経験ないそうである。やはりtraumaの先生は臨床経験に基づいて治療をすることが多いので、尺骨茎状突起骨折を止める必要はない(というより軽視している)と思っているようだ。この点は、理論的に(学問的に)止めるべきだと主張している手の外科医とはスタンスが異なっており面白い。どちらが正しいのかは今後の詳細な調査にかかってくるだろう。ちなみに、使用したプレートは、昨日の上腕骨近位で用いたプレートと同じ会社のAxomate(フライブルグに本社がある)社製の遠位のみロッキングホールのある比較的薄いプレートであった。橈骨茎状突起側のholeのみ若干角度がついて刺入できるようになっている。
9:00 2例目が準備されているので、HPRVの部屋を覗きに行く。予定表を見ると今日は長い手術が組まれていた。30過ぎの女性に対する、乳がん手術後の乳房再建術であった。DIEPを用いた腹部からの遊離皮弁で再建するらしい。見学したいところだが、traumaの手術の合間にちょこちょこ見学させてもらうことにした。
10:10 Sunderが手洗いしてくれたので、2例目は外から見学(途中抜けて他も見回ったりする)。単純な足関節外果骨折(L-H : SE stageⅡ)だった。Scherer先生がStuby先生より指導を受けながら執刀していた。AO理論に基づいてしっかり整復・固定を行っていた。特に問題なく終了する。
10:40 3例目も2例目と同様、足関節外果骨折であった。執刀は続けてScherer先生で私が今度は助手に入らせてもらう。彼女はルーマニア生まれで両親が旧東ドイツの地方出身だったことより、東西ドイツが合併した後1990年、西側に家族とともに越してきたと言っていた。どことなく英語も訛りがあるし雰囲気が違う気がした。話すと結構気さくな先生だった。Trauma teamは忙しいので運動する暇はないけど、イメージのプロテクターを付けているだけでいい汗をかくわとか言っていた。手術は特に問題なく終了。こちらでは術後レントゲンは撮影しない。Imageのフィルムをプリントアウトして症例呈示している。しかし、学会用(保存用)などにまた後日取り直すのだそうだ。
12:00 4例目も橈骨遠位端骨折のORIF(また掌側ロッキングプレート)だった。執刀は結構年配の白髪のObertで(以前、膝の軟部組織欠損の再建の時に大腿筋膜張筋を用いて膝蓋靭帯を再建する際に助っ人に来てくれた先生、手付きがちょっと不安だった先生・・)、助手はReter先生と言う長身の金髪女医さんだ。今度はSunderが手洗いの番だったのでいったん術場を後にする。
12:30 昼食に向かう。今日はピラフだったが味はしっかりついておりパサパサではなかったのでまあまあ美味しかった。久し振りにHPRVの学生PhilipやWelling医師、Zwick先生(以前、緑茶が好きだからと青汁の素をあげたことがあった。それから彼女は長期休暇に入ってしまったので反応を聞いていない。しかし何となくよそよそしいと感じるのは、あの青汁が不味かったせいか?)などに再会した。同じ病院内だがチームが違うとなかなか顔を合わさなくなるものだ。
13:00 術場に戻ると、橈骨遠位端骨折の手術は既にプレート固定が済んでいた。使用プレートはLCPのT型プレートであった。術者によって使用する機種が異なっているようだ。
13:20 乳房再建の方は、腹部からの皮弁の血管吻合が終わったようで休憩に入っていた。JaminetとLotter医師が採取した腹部の閉創のため現れてきた。結構大きな欠損に見えたので縫合は難しいかと思いきや、少しベッドアップして腹部の緊張を和らげ、鉗子で創縁を寄せると比較的余裕に創部が寄った。臍部の処理が面白い。くりぬいた臍部をまた新たな場所に移し替えるのである。臍は体幹の正中にないと外観上不自然なのでその位置には十分注意していた。こう考えてみると、腹部の脂肪除去はできてウエストは締まるは、無くなった片側の乳房が再建されるはで、手術が上手くいけば患者さん(若い女性)にとってはとても嬉しいものだろうと思った。
腹部穿通枝皮弁挙上.jpg腹部欠損創部.jpg腹部欠損創閉鎖可能.jpg
14:00 5例目はlong PFNAの抜釘術であった。HPRVの手術をみていたので、もうSunderが手洗いしてくれている。この症例は遠位のロッキングスクリューが折損しており、一部が髄内釘内に留まっているので抜去困難が予想された。
long PFNA術後.jpg折損した遠位ロッキングスクリュー.jpg
執刀は引き続き白髪のOberztで長身の女医Rether先生とは凸凹コンビである。遠位の折れたscrew先端を髄内釘内から押し出そうといろいろと試しておられた。結構手間取っていたようだが、何とか抜去に成功していた(途中経過は見学していないので解らないが)。
15:00 乳房再建も佳境に入っていて(乳房の形やバランスを整えるためにトリミングしたり、縫合し直したり結構慎重に作業をしている)。この領域はもうすでに美容外科である。
15:15 夕方のカンファレンス開始。朝のカンファ室と同じ場所で行ったが、朝より参加者が増えている。まだ術中の先生方もいるのだが、総勢30名近いのでは?(学生や見学もいるので詳細は解らない)。とても名前を覚えられそうもない。偉そうな人から順番に覚えていくしかない。内容は、次から次へと本日の術後Xpの呈示から、新患症例、検討症例などを各受け持ちが手早く行っていく。最後に明日の手術予定の確認、時間調整などを行って終了した。日本からのスウィーツとせんべいを持参していたので皆に振る舞った(人数が多すぎたので全員には行き渡らなかったかも知れないが)。
16:00 何とも早いduty終了である。HPRVでは、Rahmanianに付き合って病棟に行ったり(回診やムンテラなど)、CRONAに出掛けたり、急患室に行ったりと結構忙しかったのだが。。。。逆に何もないのも寂しい感じだ。
18:00 今日の出来事を忘れないうちにまとめておく。特に急患も来ていないようだったので部屋に戻ることとする。今日は一日中曇天で時折小雨がぱらつく天気であった。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。