2009/10/19 Prof. Hoentzschにご指導いただく [平日]

7:30 久しぶりにHPRVのカンファに戻ってきた。Traumaは1週間だけの研修だったが、その前にcadever courseやドイツ手の外科学会があったのでカンファには暫く参加していなかった。昨晩はJamninetが当直で、夜間に緊急手術を2例(いずれも火傷)していたようだ。少々疲れ気味の顔をしている。その他週末の外傷症例が呈示されていた。カンファ終了後に日本からのお礼のお菓子を振る舞ったのだが、朝は忙しいのであまり手をつけてはいなかった。でも置いておけば時間がある時に食べてくれるだろう。
8:00 回診に付いて回った。今日は月曜なのに教授がいない。一番下のWellingが今日も病棟係だ。こちらの若手医師はまず病棟係から始まり、徐々に外来担当が増え、さらにcinsultant医師に付いて(特に決まったオーベンはないよう)手術に入れるようになる。久し振りにHPRVの病棟を見て回ったが、まだ入院継続中の患者も結構いた。以前、術直後は顔の暗かったおじさんも今ではすっかり元気に明るくなっていた。やはり術後経過が良いと気分も自然に良くなるものだ。また、先週手掌部の悪性腫瘍で切断になるかも知れないと言われていたおばさんも切断は免れたようで、こちらも顔が明るかった。
9:00 今日は、手掌への高圧注入損傷後のchemical reactionによる軟部組織壊死の症例に対して(幸い、屈筋腱・神経・血管の損傷はわずかのみに留まっていた)、前鋸筋筋膜の遊離皮弁手術が予定されている。Rahmanianは現在長期休暇に入っているので、執刀はPhau先生、asisstにLotter医師(おそらく今回初めてflapの挙上を任された)が入った。私は、10時00からHoentzsch先生と面談の約束が入っていたので手洗いは遠慮させてもらい外からの見学にしてもらった。挙上は前回も一度見させてもらっているのでイメージは掴めている。問題はどの位置でmuscleを切離していくのかと、その筋膜弁の厚さである。あまりにも分厚いと手掌への移行であるため、bulkyで機能的にも整容的にも宜しくないからだ。胸背動静脈を慎重に剥離し前鋸筋枝を慎重に温存していく。外からみていても拍動が確認できるくらいこの辺りの血管径は太いので同定は容易である。
9:40 Op室にHoentzsch教授から連絡が入り、予定が30分後に変更になった。合間に日本からの菓子折りを休憩室に持っていき振る舞った。気付いて食べてくれた人はお礼を言ってくれるので解る(中にはこっそり持ち帰ってしまう人もいるが)。
10:20 手術室を後にして教授室に向かう。その前に先週1週間分のtrauma teamの手術症例を秘書さんに頼んでプリントアウトしてもらっておく。記録をまとめる際に役立つのだ。お礼にほうじ茶ティーバックを一つ渡す(何だかチップみたいに)。
10:30 定刻通り教授室へ。ドイツの先生は時間には比較的厳格なので、日本人もJRのダイヤのように乱れない所を見せなければならないのである。笑顔で中に案内してくれる。手ぶらでは何なので菓子折りやほうじ茶、日本語・ドイツ語対訳表(自作)を携えていった。すると偉く喜んでくれた。この先生は結構親日家のようで、部屋には緑茶もあるし、急須は南部鉄器製のものを使用している。日本にも講演などで10回くらいは行っているとのことだった。まずは、AOからの支給金の最終的な精算をしてくれた(前回頂いた分よりも上乗せがあったのだ)。Hoentzsch教授がAOの窓口になっておられる。Schaller教授は形式的には責任者になっていたが、実は大元締めはこの先生だったのである。
Prof.Hoentzschとともに.jpg
11:00 私がベルリンで今度発表する演題(橈骨遠位端MIPOの臨床成績)を見たいと言うので、簡単に披露すると、思いがけずに賞賛してくれた。しかし、最終臨床成績に関してMIPO群と従来群は有意差ないのです。と言っても珍しいのだろうか?結構食いついてくれた。さすがにmedical techniche developmentというセクションの教授だけある。新しい手技やデバイスにはかなりアンテナを貼っておられるようだ。この際なので、ついでに吸収性プレートについても宣伝しておいた。まだ、ドイツでは使用されていないようである。また、部屋には幾つかインプラントや骨モデルが置いてあったのだが、現在、ASLS(Angular Stable Locking Sistem)という髄内釘の成績を調査しているそうで紹介してくれた。まだ日本ではお目見えしていないと思われるが、欧米では既に使用さいれているとのこと。ここBGでも30例以上使用して良好な成績をおさめていると言っておられた。何がポイントかと言うと、遠位ロッキングスクリューにsleeve(吸収性素材)を装着してnailとscrewを安定化させるというものである。Angle stabilityが得られるため骨幹部の粉砕骨折などには良い適応がありそうだった。教授室で小講義をマンツーマンで受けるという贅沢な経験をしてしまった。また、明日はスイスに講演に行くということらしいのだが(対外的活動をかなりされている)、興味があったら一緒に行くか?と誘われる。明日もHPRVの手術があるので・・・、手術予定を見てみて、Schaller教授とも相談してから考えます。と言うことにしておいた。また、12:30に会おう!(今日クウェートから研修生が来るので一緒に食事をしようと言うことになった。Flapの手術が・・・と思ったのだが断るのも悪いと思っていいですよ。と返事してしまった)。
11:30 flapとは別のaseptic区画の手術室に向かう。こちらにも日本からの菓子折りを持って行った。ちょうどSunderもうろついていた。昨日、彼は一人でシュトットガルトに観光に行ってきたらしい。市内バスツアーを申し込んで回ってきたそうだ。観光の様子を楽しげに話してくれた。
11:50 Shaller教授が久し振りに執刀されるので、見学に行った。やはり落ち着いたメスさばきである。舟状骨偽関節に対して舟状骨摘出(詳細については記載は控えておく)を行っている。メスのみで大方舟状骨までアプローチしている。やはり熟練の技が光ってみられた。
手術に没頭するProf.Schaller.jpg
12:30 昼食に向かう。クウェートからの研修生は(シンセスのfellowで2週間滞在予定とのこと)、Rajaと名乗り、またもやインド人であった。出身はSunderと同じマドラスとのこと。部屋が207というから我々と同じフロアである。どうもfellowship doctorはその一角に固められているような感じ。Hoentzsch教授はとても面倒見が良く、我々のような異邦人を温かく迎え入れる世話人のようである。もう窓際族などと呼んではいけない。
13:00 若いtrauma teamのドクターがHoentzsch教授に何やら許可をもらって鍵を借りていた。今からトレーニングルーム(骨モデルやインプラントが置いてあり、手術の技術訓練などを行う部屋)に行くらしい。興味があったので一緒に着いて行くことにした。
13:15 等身大骸骨の各パーツに創外固定を設置してある。また、たくさんの骨モデルが置いてありトレーニングをした痕跡がみられた。このような施設が病院にあれば、若手の訓練には非常に良いと思われた。インプラント類や骨モデルの調達にはある程度コネクションがなければ難しいと思われる。
創外固定された骸骨.jpgclosed reductionモデル.jpg
13:30 再びflapの手術を見に戻った。すでに血管吻合に入っていた。こちらにきてPhau医師の執刀した症例でまだ失敗症例を見たことがないので、何となく安心感がある。マイクロ下の光景は解らないが手際を見ていると熟練している。吻合はほぼ終了したようである。ちょっと小休止を取っていた。
前鋸筋筋膜弁移行後.jpg
朝は霜が降りて曇天だったが、今は晴れ間が増えている。Op室から外を眺める風景(手洗いしないで外からの見学の時は外を眺めていることもしばしばだった)はすっかり木々が色づいていて綺麗である。
木々の色づく病院付近.jpg
14:00 閉創はDoldrer医師がじっくりされていた。こちらも終了し手を下して帰っていかれた。前鋸筋筋膜弁は多少volumyではあったが、血流は良い。大腿部から全層で採皮して植皮していく。現時点では美容的に問題があるが、経年的に少しずつ萎縮していくそうである。
15:00 終了したので部屋を後にする。カンファまで多少時間があるので、こう言う時間に出来事をできるだけまとめておく。
15:30 朝置いていった日本のお菓子も少し減っている。まだ様子伺いと言う感じなのだろうか?好奇心旺盛な学生が手をつけてから徐々になくなっていった。好評ではあったが、こちらの人は基本的に甘いものの方が好きのよう。カンファには3人ほど患者が入ってきた。一人は絞扼輪症候群の赤ちゃんだった。時々手のanomaryの子が受診されたが、手術にはあたらなかった。明日の予定表を見てみると、特にこれと言ったものは組まれていない。明日のことでちょっと考えてしまう。
16:10 Rahmanian部屋(もう自分の部屋のように使っている)でインターネットに接続。現時点でこれが日本とのライフラインになっている。これがないと日本の情報は殆ど解らない。黙々と作業をしていた。
17:30 SunderからPHSに連絡が入る。Yukichiが使っているインターネットの回線を貸して貰えないだろうか?とのこと。彼が病院で使用しているのはケプラー室のPCで鍵がかかっていると使えないのだそうだ。今日もRahmanianは休みなので内緒で貸してあげることにした。
17:45 今日やって来たRajaと一緒に現れた。やはり同郷なので(広いインドで同じ言語を話す人間に遭うと嬉しいものらしい)仲良くなっていた。確かに心なしかいつもよりSunderが偉そうに見える。彼は独特の口調がある。志村けんのバカ殿で、あ~ん?って聞き返すことが良くあったが、彼は語尾にこのあ~ん?(isn’t it?みたいな感じ)を良く入れてくるのだ。こちらも癖で移りそうになってしまうくらいだ。
18:00 彼らは交互にインターネットでメール確認なんかをしていた。その後、2人でちょっと街に出るそうである。帰ってきたら、またお好み焼を食べさせることにした(HPRVでお好み焼パーティーをする話があったのだが、出来そうもなくなってしまったので、残っている食料を片付けなければならないから)。
18:20 急患受付から部屋に戻る時、空を見上げると、天空に一直線に立ち上がる飛行機雲を発見した。これくらいきれいに見られるのもここならではである。
一直線に上昇する飛行機雲.jpg
19:00 お好み焼は4人分くらい焼いてみた。肉は今回も使っていないので自分的にはもの足りない。イスが一つ足りないのでRajaに持参してもらってささやかな歓迎会を催した。Zwart先生にもらっていたビールが1本残っていたので、出そうとするが2人とも飲まない。仕方なく独りで飲むことになってしまった。Rajaは小食だそうだが、美味しいと言って残さず食べてくれた。
20:20 それぞれの国の話などが出て盛り上がった(インド人2人が時々現地の言葉で喋り合ってしまうこともあったので、意味不明になることもしばしばあった)。2人は週末一緒にミュンヘンに行くか~?みたいなノリになっていた。同士ができるといいものだ。
インド同郷のSunderとRaja.jpg
20:40 お腹も膨れた2人は部屋に帰っていった。私は余ったお好み焼きの素を使ってもう1枚焼いた(今度は肉も入れてみる)。もう自分自身は食べられないので、今日も急患受付の人に(今日は愛想の良いおばさんだった)持っていってあげた。

2009/10/18 テュービンゲン最後の週末を過ごす [休日]

10:00 二度寝してからの遅い起床である。特に今日は予定を立てておらず、ここで最後の週末をゆっくりする計画だ。
10:30 雑炊を作って食べる。天気はここ1週間曇天続きである。おまけに気温もめっきり下がってしまった。
11:00 病院に出向く。救急受付前に救急車が良く停まっているのだが、仕事を終えて車に乗り込もうとしている若い救急隊員が通りかかりに声をかけてくれた。記念に写真を撮らしてもらう。救急隊員は全体的に若い印象で女性の割合も日本よりは高い。彼らの防寒着は目立つし結構恰好イイ。
若い救急隊員.jpg
11:50 病院で仕事をしていると、外でヘリが飛んでいるような音がしたので、屋上に駆けつけてみたがどうも聞き違いだったらしい。ヘリ搬送時に記入する台紙を何気なく見てみると、私がここに研修に来てから(50日間)前回最終搬送時まで、計18回到着していた。何度か夜間着陸もあったのだが、最近聞いた話によると夜間は特別だそうで、ヘリの操縦はarmyの特殊な訓練(目隠しをして飛んだりするらしい)を受けた凄腕パイロットしか許可されていないのだそうである。確かに夜間など目印が殆どないし、狭い屋上への着陸などは超難易度が高いのかも知れない。
13:30 バスで市内に向かって見た。ガイド本に載っていてまだ行っていない唯一のスポットであるベーベンハウゼン修道院を目指すことにした。
13:50 中央駅前に到着したが、その方面には1時間に1本しか出ていないようだ。今週木曜日にシュトットガルト空港に行かねばならないのだが、ちょうどこの目指す修道院を通過するバスの最終目的地が空港になっているのを知る。時刻表をデジカメでおさめておくことにした。
14:00 少し時間があったので、駅前のカフェで休憩。生クリーム入りコーヒーを頼むと予想以上にクリームを盛られてしまう。
14:17 べーベンハウゼン修道院までと告げて、切符を購入し乗り込む(2 Eur)。このバスはまだ今まで通ったことのなかった市内を走ってくれたので新鮮だった。途中、広い草はらの斜面を見かけたのだが、結構多くの人が何かしていた(凧揚げ?)。天気はあまり良くはなかったが気持よさそうであった。徐々に田舎道を走って、そろそろかなと思っていたところで、修道院らしき建物が見えた。しかし運転手が構わず突っ走っている。おいおい通り過ぎてしまったんじゃないか?と思い、前に座って携帯メールをしている女性に聞いてみたが、解らないと。仕方なく走行中席を離れ運転手に聞きに行ってみると、もう通り過ぎてしまったよ(ちょっと、ヤバい!忘れていたという顔を一瞬した)と涼しげに言っている。次のバス停はどこですか?もう少し先だよとか言っている。しかし山道を飛ばしてかなり走っている。
14:40 ようやく先の(後で確認すると2つ先だった)バス停で降りて、戻るバスを調べ、15分後に来ることが解った。良く解らない何もない土地であるが、立って待っているだけだと寒いので、付近を少し散策することにした。すぐ近くに線路が敷いてあり、車庫のようになっている一角があった。車両点検場だろうか?などとあまり見どころのない付近をうろつく。
14:50 予定の5分前にバス停に戻る。他には誰もいない。手を外に出していると寒い。
15:00 到着予定より5分経過したが、まだ現れないので不安になる。もしかして付近を散策している間に、もう行ってしまったのか?などと思い始める。
15:05 あまり遅れることのないドイツのバスにしてはおかしい。1時間に1本しかないので次まで待っていたら寒いし遅くなってしまう。思い切ってヒッチハイクを断行することにした。車が何台か並んでいる場合は停まりづらいので避ける。大勢で乗っていそうな車も避ける。出来れば日本車を狙う。などと考えていたらあまり車がやって来ない。
15:15 でも10回くらいは手を挙げただろうか(始めは遠慮がちに水平に、しかし最後にはタクシーを止めるように大胆に真上に挙げていた・・・)、しかし結局ダメだった。諦めてとぼとぼと歩き出した時に思いがけずバスがやって来た。しかしマズい。もうバス停は通り過ぎている。。。もうなりふり構わず、バスに手を挙げて止めてしまった(もうこれを逃したら寒くて辛いしとの思いで)。
15:20 乗り込むとどこまで?と聞かれ、行きのバスで降り過ごしてしまったんですが、ベーベンハウゼン修道院までと言うと、面倒臭そうではあったが、いいから乗れ!みたいに合図してタダで乗せてくれた。あー良かったと暖かいバスの椅子にどかっと座りこんだ。
15:25 バスでは6-7分であったが、かなり山道をスピード出しているので、やはり歩いたら1時間以上はかかったと思うので助かった。しかし、20分くらいバスが遅れていたということになる。珍しいと思う。
15:40 帰りのバスの時間をしっかりcheckしてから、修道院内を見学する。ここは1190年に建てられたそうである。ガイド本によると、旧シトー派の修道院でロマネスクからゴシックへの過渡期の様式が見られ一見の価値ありとある。確かに建物は古いが、回廊は美しく、敷地内も結構広い。また修道院内には子供をたくさん連れた先生みたいな人が案内していた。観光客もこの天候にしては結構多いようっだった。近くの穴場的スポットを最後に見ることが出来て満足した(来るまで大変な思いもしたし)。
ヘーベンハウゼン修道院航空写真.jpgヘーベンハウゼン修道院.jpg回廊内より.jpg修道院内で子供に説明する先生.jpg
16:10 バス停に8分前には着いて待っていた。今度は私の他に2人待っているので心強い。やはり今回も遅れてやってきた(7-8分だったけど)。途中で何かがあったのかも知れない。何とこのバスの運転手は、行きに私をここで下ろしてくれなかったあいつだ!(本当は降りる前にボタンを押さねばならないので自分がいけないのだが、次の停留所の案内もないし、地元人でなければどこなのか分かるハズもない!)サングラスをかけているので表情は読めなかったが、私のことには多分気付いていたと思う。
16:30 駅までは行かず、街中の大学近辺で降りた。ちょっと気になる図書館があったので寄ってみようと思ったのだ。中に入ってみると、たくさんの学生が机で勉強している。大学受験前の夏休みなどに私も図書館で勉強した記憶がよみがえる。しかしあの頃と違うのは多くの学生がラップトップPCを使って勉強していることだ。また、インターネットブースもあり、そこで検索したり、多くの情報をゲットしているようだ。
16:50 図書館の書庫内部にはバック類の持ち込みはできず、ロッカーに預けることになっていた。一通り見学してみる。医学書や地学などがメインのような一角だった。整理整頓が行き届いており見ていて気持ちが良かった。
整然とした大学図書館内.jpg
17:10 病院に戻ってくる。少し遠回りして病院正面玄関を通った。記念に一枚写真を撮っておこうと思ったのだ(ここでもう7週間ちょっと過ごした)。また、入口にある黄色のポスト(ドイツの郵便ポストは黄色)も記念に撮っておいた。
7週間研修したBG病院玄関.jpg黄色のポスト.jpg
このまま小腹が空いてしまったので帰宅し、お茶漬けを作って食べる。今日は手がしもやけになるかと思うくらい寒かった。部屋の中は暖かくてほっとする。しかし、今週末に行くベルリンはもっと寒いのではと心配になってしまう。

2009/10/17 バーデン・バーデンにて研究会参加 [休日]

9:25 部屋にSunderが呼びに来た。今日はtrauma teamのNo.2(medical techniche developmentというセクションの教授だった)のProf. Hoentzsch先生がバーデン・バーデンというヨーロッパ屈指の由緒ある温泉保養地で開催される、南西ドイツ地区の災害外科研究会(BG労災病院を中心とした研修・講演会のような雰囲気)に連れて行ってくれるということになっていたのだ。
9:30 Sunderとともにスーツ姿で病院急患受付前にて待機する。本日はあいにくの雨模様で気温も低い。外で待つのは寒いので中で暫く待っていた。
9:40 Hoentzsch(ヘンチと読む)教授がベンツのワゴン車でお迎えにやって来られた。実はこの方は私が白髪のOberartztと評し、窓際族ではないか?と思っていた人の1人である。大変失礼なことを言ってしまった。徐々に話しかけてくれるようになって、実に面倒見の良いいい先生なのでありました。
10:10 教授が市内のパン屋で買ってきてくれたBrezel(粒塩が若干まぶしてある独特の風味のあるドイツの名物パン)を食べながら、色々と話合っていた。この病院は、日本からのfellowshipはあまり来ないらしいけど、インドからは多いのだそうだ。5年程前にソーイチ・マエカワが日本から研修に来ていたのを覚えているよと。私も名前は存じております。。彼はヘリコプターに興味があったな~。そうですか?実は私も興味はあったのですが、もう来週半ばで研修は終わってしまうのです。残念ながらヘリ救急はあまり経験できませんでした。来週ベルリンで開かれるドイツ整形外科学会にはtrauma teamからはかなり参加者がいるとのことである。また、ベルリンでもお会いできそうですね。
11:00 途中標高900m程の山道を通ったのだが、途中からは雪景色が広がっていた。さながら冬模様である。私は何となく針葉樹林帯で日本の東北・北海道地域に似ている景色だなと思って見ていたのだが、どうもSunderの様子がおかしい。何だか興奮しているのである。それはそのハズであった。彼は生まれて初めて雪というものをナマで見たというのだから。それを知った優しい教授は何度となく車を停めてくれたので、彼に写真を撮ってあげたりした。雪を丸めてかじっていたのには笑えた。確かにインドやオマーンではお目にかかれないシロモノだからな~。と彼の雪初体験を祝福してあげずにはいられなかったので、雪の塊を彼にぶつけてあげたら、ちょっと困った反応をしていた。大のおっさん達がはしゃぎ過ぎであった。
雪玉を投げるヘンチ教授.jpg雪を珍しがるSunder.jpgモミの木?の下にて.jpg
12:10 寄り道をしながら、バーデン・バーデン市内に入ってきた。標高はそれ程高くないので雪もなく、山あいに比べれば寒くもない。雨も止んでいる。観光地らしく多くの人々が市内でウロウロしていた。市内中心にある地下駐車場に車を停め、学会会場を目指す。
12:30 学会場(バーデン・バーデンクアハウスという保養施設のような立派な建物内)に到着。教授の講演は16時からのセッションということだったが、学会の終わる18時まで自由時間だから、どこかに遊びに行ってもいいよ。と言ってくれていた。ドイツ語だから先生たちにはあまり面白くないかも知れないからと。
12:50 しかしこの研究会は無料だったので、せっかく来たのだから雰囲気だけでも味わおうと、Sunderとともに展示場(あまり大きくはなかった)や講演会場を覗いてみた。本日のプログラムやらを受け取り会場内でウロウロしていると、BG trauma teamの大柄の女医さん(Wermter医師)に遭った。彼女は朝から参加しているとのこと。ひとり車で来たそうだ。今から昼休憩だと言うので、3人で昼食を取りに行こう!ということになる。
13:10 会場近くのホテルのレストラン(比較的高級感漂う)に入ることにした。川沿いにあってなかなか雰囲気が良く、係の女性も美人で感じがよろしい。値段は少々張ってしまったが楽しかった。彼女は昼からビールのソーダ割りみたいなものを頼んでいた。Sunderはいつも通りノンアルコールだ。私も見習ってリンゴジュースにした。オーダーしたチキンのソテーはドイツっぽい味であった。彼女は好奇心旺盛なので、日本やインド・オマーンのことを色々と聞いてくる。女性医師の割合はどの国も増加傾向であること。産婦人科(何とオマーンでは女性しか産婦人科医にはなれないのだそう・・)や小児科に女医の比率が多いこと。日本では産業医にも女性の割合が多いこと(ドイツでも産業医はいるがまだ少ない。インドでも最近ようやく認知されてきたくらいだそうで、まだ一般的ではないらしい)。
ホテルレストランにて.jpg
14:00 彼女は昼からの講演を聞きに行くということで帰って行った。我々は、まずはインフォメーションセンターに向かってみた。そこにはトリンクハレという飲用の温泉水があったのだが、その場では有料と思って試さなかったが、あとで調べてみるとカップのみ有料で飲むのは無料だったのを知ったので残念だった。その建物はレジデンツ風になっており、廊下はコリント風の柱に囲まれた壁画(フレスコ画)が描かれていて、見どころにもなっている。その一帯は蚤の市のようになっており、たくさんの小道具などが並んでいた。
トリンクハレ.jpg壁画の描かれた回廊にて蚤の市.jpg
14:30 学会主催のシティツアーのようなものがあるそうなので、それに参加しようと思い尋ねてみたのだが、天候不良なのか?人数に達してしまっていたのか?不明であるが、何故か断られた(怪しい東洋人2人だったからかも知れない)。
14:50 仕方なく街をぶらついていると、ちょうど街を50分程度でぐるりと周遊してくれるバスが停まっていたので、躊躇わず乗り込んだ(1人5Eur)。ちんちん電車のような風情で所々の見どころをガイドしてくれる(ドイツ語)。隣に座っていた深みのある皺くちゃ顔の綺麗なおばあちゃんが、何故か途中から英語で説明してくれ始めた。このおばあちゃんはN.Y.在住だそうで(道理で英語が達者なのだ)、何だか妙に親しげだと思ったら、孫が日本で働いていたそうで何度も日本に行ったことがあるのよ。とか言っている。80歳は越えていそうだったが1人で乗っていた。湯治にでも来ていたのだろうか?Sunderが2人の写真を撮ってくれようとしたのだが、恥ずかしがって撮らせてくれなかった。残念。
ちんちんバスにて市内周遊.jpg
15:40 坂道を高台まで上がり、一通り市内観光を終えて再び市内中心に戻ってきた。教授の講演まではまだ少し時間があったので、歩いてもう暫く市内を見回った。ちょっとクリスマスっぽい食器の綺麗な店などもあったが、買っても持ち帰れなそうなので諦める。
16:00 学会場に戻る。肘関節外傷に対する治療方針についてのセッションであった。5つの口演の後に総合討議のような形のシンポジウムである。テュービンゲンBGからは、Hoentzsch教授とRether先生(この先生も私が始め白髪のOberarztと評して、怪しいと言っていた人と思う。。。と言うのも、今日は髭をばっさり切っていてまるで別人のようにシャキッとしているので)が発表をしている。この2人とも偉い人だったのである。無知というのは怖いものだと思ってしまう。知らないことをいいことに言いたいことを言ってしまった。Hoentzsch教授は、肘関節の脱臼骨折に対する創外固定を用いた手術術式についてビデオを用いつつ発表していた。Rether先生は、肘関節周囲骨折に対するtwo stage operationについてであった。全体的には何となく理解できた感じはあったが、突っ込んだ内容までは残念ながら理解できていない。
討論するヘンチ教授とレダー先生.jpg
18:00 講演終了となり、BGから来ていたProf. Weiseや先日思いがけず遭遇したProf. Wellerにもまたお会いして挨拶した。講演を無事終えられたお二人にも挨拶をして(記念撮影も)会場を後にする。
Prof. Weiseとともに.jpg
18:30 帰りもHoentzsch教授の車で送ってもらう。山道は雪が積もってしまっているかも知れないので、遠回りにはなるがアウトバーンで(時間的には早い)帰ることとなる。噂のドイツの本物のアウトバーン(片側4車線の区間)では、何と最高220-230km/hrのスピードが出ていた。先生は結構飛ばす方のようだ。またベンツの加速は凄かった。
20:00 帰りは外も暗くなってしまい景色を楽しむ余裕はなかったが、結構早く到着した。今日は送り迎えから観光までさせてもらい有意義な一日であった。先生を窓際族なんて思ってしまったことを改めて反省する。

2009/10/16 夕方寒空をスーパーまで買い物に出かける [平日]

7:45 朝のカンファレンス開始。Zwart先生が日本語会話表をくれと言っていたので渡してあげる。カンファ後早速発音してみている。先生はオランダ出身で、ニューギニア(旧オランダ領)に住んでいたこともあるし、インドでも5ヵ月ばかり働いたこともあるのだそう。だから異文化には興味があるのかも知れない。
8:00 今日も朝は自分の仕事を片付けることとする。trauma teamの場合1例目にお目当ての手術が組まれていることが少ないからである。
9:00 遅れて手術室にやってくる。気楽な身分である(実際、見たい手術を自由に見て良いということになっているので)。今日もACLをしている。執刀はまだ若手のoberarztのようだ。先日のalbrecht先生と同じやり方で固定していた。先日良く解らなかった骨孔と移植腱を固定するpinは吸収性とのこと。この先生は脛骨側を固定する際に、バネばかりを用いて(何ニュートンかは不明)tension balanceを決めていた。
9:30 今日はtrauma teamが3列平行で行われている。今は1例目が終了し、2例目が始まろうとする時間帯である。同時にACJ(TossyⅢ°と言っていたけど、画像上下垂位でもⅡ°と思う)脱臼の整復固定、不安定型骨盤骨折(垂直剪断型だが転位は少ない)に対するspino-pelvic fixation、tibial plateau骨折のORIFが行われようとしている。今日がtrauma最終日だし、欲張りな私は全ての手術を少しずつ見学できるように外回りをすることにした。邪魔と思われてもいけないので、image係を少し手伝ったり、物を取りに行ったりとちょっと働いてみた。お陰で自由に文句も言われず(内心どう思われているか知らないが)見学することができた。まず、ACJ脱臼整復固定は、短時間で済んでしまった。C-Cligamentのことなどお構いなしのようである。そう言えば、抜釘期間を聞くのを忘れていた。また今度聞いておくことにする。Tibial plateauは外側のsplit typeで陥没はないようだった。関節鏡の準備はしていないので、imageのみで行うのだろう。若手にさせながら、白髪のRether先生が指導している。この先生は比較的下の先生にさせることが多い印象である。怪しいこともあったが、基本的には骨折治療についてはベテランで基本的事項をしっかり下の先生に教えていた。今日の肝のscrewがうまく効いて若干離解していた骨折部もしっかり寄ってくれた。また脛骨粗面にも骨折部が及んでおり(もう少し整復できそうな気もしたが)、ワッシャー付きのscrewで最後に固定を加えて終了した。固定性に問題はなさそうである。
tibial plateau fracture.jpg今日一番のscrew固定.jpgtibial plateau術後.jpg
もう一つの脊椎・骨盤症例の執刀はStuby先生で脊椎の先生なのだろうか?あまり見たことのない先生がassistに入っていた。脊椎のpedicle screwに関してはこのassistの先生の方がむしろ主導権を持っていたくらい。何とこの固定はいわゆる経皮的(小皮切)での固定である。いわゆるGalveston法を小皮切で行っているのだ。Pedicle screwをL4・L5の両側4ヵ所にまず刺入し(正・側image checkで確認)、その後にStuby先生の得意分野と思われるilio sacralにscrewを刺入する(やはりimage workが重要)。この3ヵ所にlodを連結する訳だが経皮的にどうやって設置するのか?と疑問であったが、どの程度ロッドを弯曲させれば良いのかを体外で確認できる専用のデバイスがあり、それを用いて調整していた。ロッドをちょうど良い形にbendingさせた後、皮下トンネルをくぐらせてそれぞれのpedicle screwに固定していくという訳である。あまり見慣れない手技だったので感心してしまった。やはり外傷外科医は幅広いなと思ってしまった。日本ではここまで一人ですることはないだろうけれども。
体外でロッド湾曲を確認する.jpgsupino-pelvic固定術中イメージ.jpg
11:00 各手術手術室を見回っている際に、麻酔前室で膝窩部から注射をしようとしていたので何をしているのか尋ねてみると、膝窩部ブロックというoriginalの方法で足部の手術の麻酔準備をしているとのこと。年配の先生が若い(美人)女医さんに指導していた。神経刺激装置を用いて確認しながら坐骨神経周囲にチューブを留置していた。加えて静脈麻酔を用いて寝かしている。やはり色々なやり方があるのだと感じた。
膝窩部ブロックをする美人麻酔科医.jpg
12:00 他の部屋でHPRVチームのLotter医師とZwick先生がSL dissociationに対して、同部の固定術を行うというので寄ってみた。患者はまだ若いようだが、靱帯再建ではなく固定を選択している。Nusche先生の方針のようであるが、その方が成績が安定しているからと言っていた。自分自身には固定の経験も陳旧例の再建の経験もないので何とも答えようがなかったが、まだ年齢が50くらいと若いのが気になってしまう。この症例には関節鏡は準備されていなかった。Zwick先生が腸骨の採骨まで手伝うと、ちょうど良い頃にNusche先生がハロー!と言って入ってきて交代となった。中継ぎ・抑えみたいに役割分担がなされているのが面白い。
13:30 Tibial plateauの列では既に、60代男性の変形性足関節症に対する足関節固定術が佳境に入っていた(Sunderが手洗いして参加している)。外果も内果も飛ばしてしまって骨切りしてスクリューのみで固定していたのが新鮮(現在日本では関節鏡視下に固定することも結構あると思う)。
14:00 何やら手術室内で私に呼び出しがかかっているとのこと。Nsのスザンナに言われて始めて気がついた。肘の手術の手伝いがいないので来て欲しいとのことだったので向かってみる。もう麻酔をかけ終わったが、まだ下の先生が来ていないので準備してくれという(前もそんなことがあったけど)。
14:20この症例は肘頭骨折tension band wiring術後の偽関節という診断で、plateに入れ替える予定だそうだ。手洗いし終わった頃に下の先生が現れた(この間一緒に飲んだ背は普通だが体格が良い先生。名前は聞いたが忘れてしまった)。消毒し終わったが執刀のStuby先生がなかなか現れない(始めたらダメなのか?と聞いてみたが、consultant医師が執刀、若しくは許可がないと手術が始まれないとのこと。抜釘まで先にやっておいたって問題ないようなのだが・・・)。ちょっと遅れたのを気にしてか、先に展開しておいて!みたいに言って手を洗い始めた。
14:40 結局、偽関節部はimageでも殆ど動かず、局所的にも癒合している感じであった。どこかに電話で確認していたが、結局plate固定のみすることになる(要は急患で受けた先生と手術している人間が異なるので、時々このような連携ミスのようなことが生じてしまう。術前の評価や局所所見を取ることなどがこちらはどうも甘い印象を受けてしまう)。そう言う意味では、手術は職人のように片付けているという感じ。一人でtotalに見ているということは殆どない。ある意味効率は良いが、何となく日本人には違和感を覚えざるを得ない。
15:20 手術は問題なく手早く終了したが、果たして手術の必要があったか?ということを考えると複雑な気持ちになってしまった。局所所見もあまりなかったと言っていたので。
15:40 本日最後の手術が準備された。ルーマニア生まれのDr. Schererと一緒に準備した。鎖骨骨幹部骨折術後で抜釘後の再骨折症例である。術後半年以内に抜釘しているようなのでその時期にも問題があったのかも知れない。Stuby先生の予定だったが、他の関節鏡チームのconsultant医師が代わって執刀した。この先生は、関節鏡手術は上手だったが、この手術には時間がかかってしまっていた。おそらく最近あまり骨折手術などしていなかったのかも知れない。プレート固定を終了した頃にStuby先生が現れ、すみませんみたいに言っている(多分この執刀した先生の方が上なのだろう)。imageを見てウンダバー(素晴しい)!とかプリマ(最高)!とか妙に持ち上げていたのが面白かった。ちょっと年功序列を感じた一瞬であった。
16:30 外は小雨がぱらついている。いったん部屋に戻ってゆっくりする。
17:10 今はちょうど雨も降っていないようなので、街のスーパーまで買い物にでかける。外はコートがないと寒いくらいになってしまった。この1週間で急に冷え込んできた。吐く息はもう既に白いしポケットに手を入れていないと寒い。
17:30 スーパーで買い出しをする。実はお好み焼を作ろうと思っている。キャベツや卵や豚肉を購入(その他のお好み焼きの素やソースなどは先日日本から送って貰っている)。パン屋にビッケ(小さい頃テレビで見ていたバイキングの漫画の主人公、こちらでは今でも子供に人気のキャラクター)のパンが並べてあった。
ビッケのパン.jpg
18:00 寒空を歩いていると、民家の窓に手作りのかぼちゃの人形が飾ってあった。もうすぐハロウィンが近いからか。
窓際にかぼちゃの人形.jpg
18:10 バス停で待っていると、Doldrer先生が電話しながら向かってきた。先生は週に何度か大学病院でも働いているらしく、その後街で買い物して今から帰るところだとのこと。そうか道理で影が薄いと思っていた。あまり手術はされないが、話しても実に感じの良い先生だ。嫌味な感じがないところが良い。
18:30 帰宅。ちょうど、Sunderが部屋から出て病院(Casinoにフルーツを取りに行くのだそう)に向かう所だった。今日は自分が代わりにご飯を作ると言ってくれたのでお言葉に甘えることにした。
18:40 しかし、良く考えたら彼の部屋には鍋もないし食材もこの間見せてもらった怪しいピラフしかないハズ。。。オカズがないのでは?今度皆で食べるお好み焼きを作る練習として、今から早速作ることにした。子供時代は、週末になると鉄板焼きでお好み焼きなどを作ってもらった記憶があるので、作るのは苦ではない。キャベツや天かす、エビ、マヨい~かなどを混ぜて即席お好み焼き完成(肉は入れなかった)。
19:15 彼が部屋に呼びに来た。部屋に行ってみると案の定、ライス(インスタントのパサパサのやつ)とバナナチップス、色んな香草が混ぜてあるスナックなどのみである。しかもお湯を沸かすことができないので、シンクに蛇口からの熱湯を張ってそこで温めたのだとか。。。道理でライスに芯が残っていると思った。鍋がないなら言ってくれれば貸してあげたのに。。。インド人にしては何だか奥ゆかしいのである。
19:30 私持参のふりかけやサケフレークなどのトッピングとお好み焼きで何とかなった。結局、彼はライスだけだったような。。。でもその気持ちを有難く受け取ってあげた。彼は言っていた。本当はこのライスはもっと美味いんだけど。。。私は全部平らげたが、彼は1/3程度残していた。
夕食にありつくSunder.jpg
20:30 お好み焼きが少し余ったので、病院受付のおじさんたちにつまみとともに持って行ってあげた。いつも通りかかるので顔なじみになっている。温めて銀紙に包んで冷めないようにしてあげた。喜んでくれると良いのだが。。。

2009/10/15 再び夕食をSunderとともに [平日]

7:45 カンファレンスが始まる。昨日飲みに行ったドクターにお礼の挨拶をする(誰が払ったかは不明だがおごってもらってしまった)。体格の良い女医さんはWermter医師と言うそうだ。愛想がなかなか宜しい。Trauma teamというどちらかと言うと男社会で頑張っているだけあり、シャキシャキしている感じ。ここのチームには4-5人の女性がいる。皆だいたい大柄である。体力に自信がありそうな方々が多い。朝のカンファはあっさりしているので10分程度で終了。
8:00 1例目は膝蓋部近位(関節外)の血腫除去などが組まれていた。今日も休暇中のRahmanian部屋で仕事をさせてもらう。
8:40 手術室に向かう。1例目は簡単に終了し、2例目の手術が始まっていた。尺骨近位に原因不明の骨化が生じて、疼痛と可動域制限(正確なrangeは解ってない?)を認めていたようだ。その骨化の切除を行っている。近位橈尺関節にも若干及んでいたようでそこがmain lesionのようであった。しかしこの骨化はまた出来てこないだろうか?画像的には成熟しきった骨化であるようには見えたのだが。。。念のため病理検査に提出するようである。除去後に可動域が改善したことを確認して終了。
9:20 他の手術室にも顔を出してみる。関節鏡チームが小児のpatella sleeve fractureに対する接合術を施行している。骨片が小さいのでfiber wireの類の強固な糸を用いて再建していた。通り過がりなので詳細はあまり見ていない。
10:00 3例目は肘頭骨折後の変形遷延癒合の症例(50代女性)で、関節不安定性を生じている症例だった。前医での骨折部の整復位がイマイチで腕尺関節のcongruityが良くない(鈎状突起骨片が離解したまま)。また橈骨頭の陥没変形も見られる。こちらは人工橈骨頭に置換するかも知れないということであった。
変形遷延癒合(側面).jpg変形遷延癒合(正面).jpg
この手術は私も手洗いをさせてもらい参加した。執刀は白髪OberarztのRether先生、この先生はtraumaグループの中では比較的執刀されているほうである。まず、抜釘を行うと、骨折部はまだ癒合していない(術後2ヵ月くらいと言っていた)。輪状靭帯をお構いなしに切開して展開し、橈骨頭を露出させる。1/5程度陥没変形しているが、こちらはこのままにしてしまった。まずは、転位した鈎状突起骨片を捉えるべくおもむろにドリリング(骨把持せずに)する。やはり熟練しているのだろうか、今まで怪しい人かと思っていたが、狙いにバッチリ刺入されている。ラグスクリューを用いて引き寄せようということのようだ(陳旧性だから寄るか心配・・)。image確認ではなかなか詳細は解りにくかったが、まずまず整復されたようだと一安心。続いて、シンセスのolecranon palte(最先端のフック部分は折らなくてもanatomicalに設置できる:即ち骨が大柄ということ)を用いて尺骨近位端を固定する。橈骨頭が後方に亜脱臼しているので、plateを骨折部の位置で前方凸にbendingさせ(ちょっとつけ過ぎか?)、橈骨頭を整復位に戻そうと試みた。何度かやり直したがほぼ良好な位置に橈骨頭がおさまる。しかし、まだ不安定性があるため、腕橈関節部をK-wireで仮固定しておき、その位置を保持させるべく、創外固定を設置することとなった。その後、創外固定装着のままROM訓練ができるよう、肘関節の回転中心(上腕骨外上顆の中央にK-wireを刺入)を設定。そのK-wireを創外固定のヒンジ部に装着して組み立てていった。創外固定のバーは外側からのみで、回転中心設置に使用したK-wireと、腕橈関節を仮固定していたK-wireは最終的に抜去した。早期ROM訓練を行いつつ、不安定性を解消する方法を取ったようだが、外側への不安定性を改善するために靱帯再建の方法は頭にないようだった。2ヵ月くらいこのまま設置して訓練を行っていくとのこと。
創外固定設置前.jpg創外固定設置後.jpg
12:00 いろいろと勉強になった面もあるのだが、?も幾つかあった手術でもあった。良い結果が得られてくれれば良いのであるが。。。ちょっと質問し辛い雰囲気もあって詳細を尋ねることが出来なかったのが悔やまれる。何となく少し疲れてしまった。このまま昼食に向かった。
13:00 4例目は橈骨遠位端骨折である。やはりこちらでもかなりの頻度を占めている。ここは労災・事故をメインで扱う外傷病院であるため、患者層は比較的若いのが特徴である。従って、高齢者の大腿骨頚部・転子部骨折の割合はそれ程多くないのである。手術は何度かもう見学したので入らなかった。使用プレートはT型のLCPで骨幹部は2穴のみ固定。術後レントゲンを見てみると、整復がもう少しで、いわゆる側転位が残ってしまっていた。DRUJにはかかっていないので術後成績には関与しないかも知れないが、画像的美人ではない。
13:50 Zwart先生がTKAを執刀し始めていた。こちらはナビゲーションシステムを使用しているようである。システムを使う所まで見学出来なかったので残念。やはりこちらでも駆血は使用していなかった。
TKAナビゲーションシステム.jpg
14:10 82歳男性の肩関節前方脱臼に伴う骨性Bankart lesionの変形癒合の症例。何度となく脱臼を繰り返すので手術に至ったとのこと。執刀はStuby先生でOpenで行った。TKAの所で時間を取り過ぎてしまい、Sunderに先に手洗いを越されてしまった(ちょっとの差だった。やはり直接入って見てみたい手術というのはお互いかぶるものだ)。Deltopectoral approachで展開し、subscapuralis muscleを付着部を残して(後で縫合する時ののりしろ)上腕骨頭から剥離していく。ここにstay sutureをかけておき、関節内を展開。Glenoidの前下方の骨片を遊離させ(良く見えなかったが、ここら辺の作業が手こずっていた)、若干refreshして整復位に戻し、K-wire2本で仮固定。Imageで良好な位置にあることを確認(このimage workが難しいと思う)して、骨片が小さいので1本のみ3.5mm CCSを用いて固定した。骨片固定後は、subscapulalis muscleと関節包をPuti-Platt法の如く縫縮して関節脱臼予防とした。
陳旧性骨性バンカート.jpg骨性バンカート術後.jpg
15:15 閉創に入ったので手を下して夕方カンファに向かう(Sunderはまだ手を下ろせないので参加できない。ちょっと可哀そうだ)。次から次へと症例が呈示されていく。症例を呈示しているドクターはassistant arztで、まあベテランの部類に入る。まだその下に何人もドクター(レジデントなど)が控えていて、学生も何人かおり、fellowの東洋人2人もいるのだ。しかし、夕方はどうしても眠くなってしまう・・・。今日も睡魔と闘っていた。
16:30 Sunderがオマーンから持参のインターネットを使って自宅で何度かやっていたが、代金が200Eurもかかっていたことにショックを受けて、彼も病院でインターネットを借りることにしたようだ。私は幸いRahmanian部屋を自由に使わせてもらっているので特に支障はない。どこかに交渉に行ったようである。
18:00 帰宅する。ちょっと可哀そうになったので、またSunderに夕食を御馳走してあげることにした。部屋で片付けなどを行い準備する(レトルトメインなので手間はかからない)。
19:00 ささやかな夕食開始とする。牛肉を含めないように注意した結果、親子丼、豚肉煮込みカレー、しじみ汁、きのこポタージュ、デザート、それに青汁を出してみた。口には合ってくれたみたいで綺麗にたいらげてくれた。青汁はちょっとしかめっ面をしつつも、健康にいいからと言うと我慢して飲んでくれた。またもや使用した食器は自分の分だけはしっかり自分で洗ってくれた。レトルトでも日本の食べ物はたいがい高評価である。
ヒンドゥー教のSunder.jpg
20:20 帰宅しようと彼が自分の部屋の鍵を探してみるが見当たらない。どうやらインナーロックをしてしまったようである。まだこの時間なら病院の総合受付(私がここに来てすぐに部屋の鍵を受け取りに行ったところ)の担当者がいるから、そこに行ってみようということで一緒に行ってみる。
20:40 担当の女性がテクニック(営繕係みたいな人)を呼び出して無事部屋の鍵を開けてもらえた。それまで、彼は寒いのに裸足でサンダル姿だった。もし夜間開けられなかったら、自分の部屋に泊めてあげなければならないと思っていたので、さてどうやって寝たものか?とちょっと考えたりもしていたので良かった。
22:00 日記をつけていたが、急に体が重くなりベッドで横になってしまっていた。

2009/10/14 思いがけずProf. Wellerに遭遇。その後久々に飲み会 [平日]

7:45 前日の学習通り、この時間にケプラー室に向かうと先生たちが集まり始めていた。Sunderはもう座っている。彼はかなり真面目な先生なのだ。前ではドイツのFWバラックに似ている先生が症例を呈示している。昨日夕方のカンファに挙がらなかった術後の症例も幾つか出されている。バラック似の先生が、昨日持参したせんべいのパッケージを見て、cool!と言って幾つか持って帰っていった。
8:00 OP室に向かう。今日は抜釘ばかり縦に7つも続いている部屋がある。他にもtrauma teamの手術が組まれていたが、この時間は興味深い症例でなかったため、たまには人工関節や関節鏡の部屋も覗いてみることにしよう。
8:15 すでに関節鏡の部屋ではACL再建術の手術が始まっている。現在、全く関わりがなくなってしまったが、以前マツダにいた時にT坂JAPAN先生にご指導を頂いたことがあった。しかし残念ながら、その当時は良いgraft masterになることしか考えていなかったこともあり、折角の良い経験だったにも関わらず、今では記憶の引き出しの奥の方に眠ってしまっております。手術はOberarztのAlbrecht先生という快活な先生が手際よくこなしていた。こちらではone bundleの再建が主流とのこと(ドイツでは9割近くがまだone bundleで、最近two bundleが徐々に増えているそう)。術中私のことを気にして時々話しかけてくれていたのだが、日本では70%くらいがtwo bundleのACL再建をしているというのを最近文献で読んだけど本当か?と聞かれたので、正確な%は解りませんが、今や主流となっているようです。中にはthree bundleを行っておられる先生もおります。と答えたら、incredible!と言っていた。End buttonを用いず何やらpinのようなもので固定していたのだが、詳細が良く解らなかった。後で聞いてみると、femur側の骨孔に対して垂直にpinを刺入して、移植腱ごと固定していたようだ。End buttonは使用したことがないそうだ。手技的には早く、9時前には固定を終了し手を下してしまっていた。
9:00 隣の部屋では先日自宅に招待してくれたZwart先生がTHAをしている。何とSupineのdirect lateral approachで行っている。皮切も大きくはない。やりにくくはないのだろうか?もうインプラントの設置が終了してしまっており、学生二人(例のバングラ君と女学生)に丁寧に術野を見せながら説明していた。結構世話好きな先生と思われた。機械台の道具を見てみると、食事で用いる普通のスプーンが置いてあった。骨頭を抜去する時に使用しているようだった。
9:30 関節鏡2例目は肩の症例だったが、鏡視は始めにちょこっと下の先生にやらせて、後はopenで腱板断裂(再断裂症例で上腕二頭筋起始部の固定も行う?とか言っていた)の手術をしていた。
10:20 traumaの1例目の大腿骨髄内釘が手こずっており、2例目開始が遅れた。Sunderと交代で私が手洗いをする。この症例は上腕骨近位端骨折なのだが、遷延癒合症例(polytraumaで保存的にみていたが疼痛が残っているとのこと)であった。骨移植の準備までして取りかかったが、骨折部は比較的stableだったため、plate固定のみとなった。執刀は、Stuby先生(実際並んで見ると、身長は2m近くある)で、やはり手際が良い。上腕骨の形態が頭に入っているので、plateを直視下に何気に設置しているようでも適切な位置におさまっている。整復も殆どせず骨移植もなかったので、すぐに終了してしまった(やはり長いscrewを何本か入れ替えていたのでそこら辺がロスではあったが・・)。THAを見に行ってSunderが戻ってきた頃には搬出準備をしていた。手術時間40分弱か。
11:20 休憩所で久しぶりに、いつも陽気なNusche先生に会った。サンドウィッチをモゴモゴさせ食べながらPHSで電話している。キャラ的には非常に好きな先生である。手術の方は小手術をメインに下の先生にやらせたりしているので、あまり見学はしていないかった。Plastic surgeonでも手の外科(マイクロ以外)が中心のようである。
11:45 trauma3例目は、足関節内果骨折に対する、tensionband wiring固定だった。ちょっと普通過ぎてしまったので、だいたいメドが付いたところで手術室を後にする。術場を去る時にFabianがいつものウィンクをしてくれた。
12:20 昼食。Jaminetが食べている。今日はミートソーススパゲティにした。前にJaminetと一緒に食べた時もミートソースだったような気がする。簡単なドイツ語-日本語会話対訳表を作ったから今度持ってくるからと約束する。彼は来年くらいに日本に旅行に行きたいと行っていたので。
13:00 4例目は75歳女性の大腿骨転子部骨折だった。急患で今日ねじ込まれてきた症例だ。PFNA(こちらはステンレス製を使用している)を用いるらしい。執刀は白髪のOberarzt(3人くらいいるのだが、カンファや手術を見ていると、何となく印象では彼らは窓際族的な感じを受ける。。気のせいか?)がする。日本ではこの類の手術から若手が修練していくことが多いのだけれど。Assistant arztはおそらく30過ぎであろうが、setting(この手術は術前の整復が当然ながら重要)、鉤引きを黙々と(中には嫌々やってそうだなと感じる助手もいる)こなしている。特に見どころもなかった訳だが、消毒後のドレーピングを1枚の敷布を天井から吊下げるように行っており、これは便利であった。
有用なドレーピング.jpg
14:00 5例目もまた抜釘症例であった。苦労して抜去するのを見るのも勉強になるのだが、立っているだけだと何となく疲れてしまう。
14:30 手術室を抜ける。HPRVが手掌の腫瘍(滑膜肉腫の診断、おそらく手関節部での切断になるだろうとJaminetが昼間に話していた)の手術が別のseptic区画で行われているが、カンファも近いので見学せず、Rahmanian部屋に行ってPCをいじっていた。
15:15 夕方のカンファ開始。今日は教授もいるし、徐々に人数が増えてきた(30人近い)。問題症例のようなものが幾つかあり、結構時間をかけていた。ここでは人工足関節置換術(外傷後のOAに対して)も行っていた。
16:30 終了となり開放される。やはりドイツ語シャワーは身体にこたえる。途中2回くらい急激な睡魔に襲われたが、何とか持ちこたえた。会議室外で、若手医師(何となく行動パターンでわかる)が話し合っている。以前、病棟で話かけてくれたことのある、背の低い秋葉原に行きたいと言っていた医師もいた。今日はこれからまた別の合同カンファがあると言っている。その後街に出る見たいだけどと言っていたのだが、ちょうど話の途中で、教授が通りかかり、彼らは後に付いて行ってしまう。さて、どうしたものか?
17:30 はっきりと時間を聞いていなかったので、念のため大ホールに行ってみると、もう既に特別講演が始まっていた。後で聞くと今日は月に1回のコロキュアム(レクチャーや症例検討会など)の日であったようだ。途中からの参加でもあったし、ドイツ語口演でスライドが殆ど文書だけだったので、内容は理解できなかった。講師は弁護士で医療訴訟的な内容も含まれていたようである。講演終了後はそのまま症例検討会へとうつった。近隣の先生方の持ち寄り症例や当院からの提示症例が発表された。大柄の女医さんが当院から、比較的大きなHill-sachs lesionに対して、関節鏡視下に骨移植を行ったという稀な症例を提示していた。終了後は例の机を叩く反応がみられた。
18:45 終了した後、このコロキュアムを定期的にすることを草案した本人である、Prof. Weller(前のテュービンゲンBGトラウマ病院の責任者)にZwart先生が顔合わせをしてくれた。Sunderもその名前は知っており、2人で記念撮影となる。予期せずビックネームの先生に会うことができてラッキーであった。私も以前AOのセミナーで先生の教育講演(AOの哲学みたいな内容だったと思う)を聞いたことがあり存じ上げていた。
高名なProf Wellerと.jpg
19:10 trauma teamドクター有志でこのまま飲みに行くことになった。もう遅い時間のように感じたがまだ19時過ぎである。外はここに来てから一番寒い(ドイツでは今日初雪が観察されたとのこと)。Zwart先生が小さなvillageにあるアットホームなレストランに連れて行ってくれた(だいたい月1回のコロキュアムの後はここに飲みに来るとのこと。病院からは車で5分以内と近く便利)。遅れて来た先生もいたが、10人程集まった。Prost!やらCheers!やKanpaai!などと言って始まった。
20:00 食事はドイツの田舎料理のような感じで素朴で美味しかった。私はZwart先生お薦めの牛肉のステーキオニオン添え、Sunderが名物料理シュニッツェル(チキンのカツレツ)にしていた。彼に自分の分を少し分け与えて彼のを貰おうとすると、何だが嫌そうな顔をした。そうだ!彼はヒンドゥー教なので牛肉は食べないのだった。。。日本では感じない宗教的問題を感じた一場面であった。それでも彼は無宗教の私の無知を察してくれて、優しくチキンカツレツを分け与えてくれたのだった。隣には先ほど症例提示していた大柄の女医さんが座っていた。彼女はゲッピンゲン(メルクリン博物館のある所)出身だそうで、先月、そこに鉄道模型を見に行ったよ。と言うと驚いていた。地元の人はクリスマスに催しがある時に行くくらいで、あまりメジャーな所ではないとのこと。確かに一部の鉄道マニアにしか理解できない聖地なのかも知れない。宴もたけなわになり、ぼちぼち帰り始めるドクターもいた。こちらでは周りに気兼ねなく、じゃまた明日!と言って自分の都合で勝手に清算して帰って行ってしまうよう。上の先生が残っていようとお構いなしである。残りたい人だけが残れば良いという感じ。でも、trauma teamの雰囲気はHPRVよりも今まで日本で働いてきたいわゆる体育会系の整形外科に近いノリを感じた(さずがにカラオケ突入はなかったが)。面倒見の良い先生がいたり、熱く手術の話をしたり、お客さん(私とSunderのこと)に気を使って話を振ってくれたり。ちょっと懐かしい雰囲気に浸れた良い時間であった。
飲み会にて1.jpg飲み会にて2.jpg飲み会にて3.jpg
21:40 大柄の女医さん(名前を忘れてしまった。明日確認しよう)が病院まで送ってくれるそうだ。車はニッサンの180SXの欧米版であろうか?知人から10年前に安く買ったと言っていた。日本車が安いし性能がいいから好きと言っていた。
22:00 ほろ酔い気分となったが、時には皆でワイワイやるのも楽しいものだ。

2009/10/13 大所帯のtrauma team [平日]

7:30 事前情報ではこの時間からカンファが始まると言っていたので、指定の場所に駆けつけてみるが部屋に鍵もかかっており誰もいない。Prof. Weiseが通りかかったので改めて挨拶する。しかし先生はどこかへ消えていってしまう。
7:45 ようやく人が集まり始める。ケプラー室という比較的広い会議室で総勢20数名のスタッフが集まってきた。本日の手術症例や昨晩の急患症例などが提示される。HPRVとの違いはレントゲンフィルムをシャーカステンに出す回数が圧倒的に多いことだ。こちらはレントゲンが命という所があるので。Oberztが前方のテーブルに座り、下っ端が後ろの方の椅子に座るという構図になっている。最後方にあのバングラディッシュからの学生がきょろきょろしながら座っていた。まだ若いと思うが(40少し過ぎくらい?)Stuby先生がオピニオンリーダーのようだった。先生方はそれぞれ7時頃から病棟回診をしたりしているとのこと。
8:00 挨拶もそこそこに手術室へと向かう。実にコンパクトなカンファであった。夕方の方が内容はしっかりしているとのこと。本日1例目は橈骨遠位端骨折C2typeに対するORIF(掌側ロッキングプレート固定)であった。既にassistantの女医さん(Dr.Scherer)が準備している。執刀はStuby先生で私も助手で入らせてもらった。
AO23-C2 正面.jpgAO23-C2 側面.jpg
8:30 approachは通常のHenryの掌側からで方形回内筋は中央でばっさり切っていた。温存することはないそうだ。Scherer先生の整復位の保持が甘く(仮固定はしないため)、何度か整復位がずれてしまったものの、imageを見ずにplateを設置し骨幹部のscrew固定まで行った。ほぼ良い位置に設置されている。直視下で設置しているので当然であるが、実際なかなか難しいものだ。若干repo位に回旋がかかって、骨折部近位骨端の側転位(尺側)が生じていたので筋鉤でrepoすると、good assist!と久々に言葉で褒められた。術中の雰囲気も心なしか良くなり、順調に手術は終了した。閉創前まで30分とかかっていないと思う。但し、PQは2針かけたのみでrepairには拘っていないとのことだった。
掌側ロッキングプレート正面.jpg掌側ロッキングプレート側面.jpg
8:50 何と9時前に既に1例手術が終了して入れ替えの準備をしている!。さて、この症例は尺骨茎状突起基部骨折もあったが転位はなかった。骨折の存在には気付いていたようだが、術中はno careだった。術後に、尺骨茎状突起骨折を固定することはあるのか?と尋ねると、殆ど固定していないとのこと。DRUJが脱臼して転位が激しい場合などは固定することがあるそう。術後に手関節尺側部痛で困る患者さんはいますか?と聞くと、殆ど経験ないそうである。やはりtraumaの先生は臨床経験に基づいて治療をすることが多いので、尺骨茎状突起骨折を止める必要はない(というより軽視している)と思っているようだ。この点は、理論的に(学問的に)止めるべきだと主張している手の外科医とはスタンスが異なっており面白い。どちらが正しいのかは今後の詳細な調査にかかってくるだろう。ちなみに、使用したプレートは、昨日の上腕骨近位で用いたプレートと同じ会社のAxomate(フライブルグに本社がある)社製の遠位のみロッキングホールのある比較的薄いプレートであった。橈骨茎状突起側のholeのみ若干角度がついて刺入できるようになっている。
9:00 2例目が準備されているので、HPRVの部屋を覗きに行く。予定表を見ると今日は長い手術が組まれていた。30過ぎの女性に対する、乳がん手術後の乳房再建術であった。DIEPを用いた腹部からの遊離皮弁で再建するらしい。見学したいところだが、traumaの手術の合間にちょこちょこ見学させてもらうことにした。
10:10 Sunderが手洗いしてくれたので、2例目は外から見学(途中抜けて他も見回ったりする)。単純な足関節外果骨折(L-H : SE stageⅡ)だった。Scherer先生がStuby先生より指導を受けながら執刀していた。AO理論に基づいてしっかり整復・固定を行っていた。特に問題なく終了する。
10:40 3例目も2例目と同様、足関節外果骨折であった。執刀は続けてScherer先生で私が今度は助手に入らせてもらう。彼女はルーマニア生まれで両親が旧東ドイツの地方出身だったことより、東西ドイツが合併した後1990年、西側に家族とともに越してきたと言っていた。どことなく英語も訛りがあるし雰囲気が違う気がした。話すと結構気さくな先生だった。Trauma teamは忙しいので運動する暇はないけど、イメージのプロテクターを付けているだけでいい汗をかくわとか言っていた。手術は特に問題なく終了。こちらでは術後レントゲンは撮影しない。Imageのフィルムをプリントアウトして症例呈示している。しかし、学会用(保存用)などにまた後日取り直すのだそうだ。
12:00 4例目も橈骨遠位端骨折のORIF(また掌側ロッキングプレート)だった。執刀は結構年配の白髪のObertで(以前、膝の軟部組織欠損の再建の時に大腿筋膜張筋を用いて膝蓋靭帯を再建する際に助っ人に来てくれた先生、手付きがちょっと不安だった先生・・)、助手はReter先生と言う長身の金髪女医さんだ。今度はSunderが手洗いの番だったのでいったん術場を後にする。
12:30 昼食に向かう。今日はピラフだったが味はしっかりついておりパサパサではなかったのでまあまあ美味しかった。久し振りにHPRVの学生PhilipやWelling医師、Zwick先生(以前、緑茶が好きだからと青汁の素をあげたことがあった。それから彼女は長期休暇に入ってしまったので反応を聞いていない。しかし何となくよそよそしいと感じるのは、あの青汁が不味かったせいか?)などに再会した。同じ病院内だがチームが違うとなかなか顔を合わさなくなるものだ。
13:00 術場に戻ると、橈骨遠位端骨折の手術は既にプレート固定が済んでいた。使用プレートはLCPのT型プレートであった。術者によって使用する機種が異なっているようだ。
13:20 乳房再建の方は、腹部からの皮弁の血管吻合が終わったようで休憩に入っていた。JaminetとLotter医師が採取した腹部の閉創のため現れてきた。結構大きな欠損に見えたので縫合は難しいかと思いきや、少しベッドアップして腹部の緊張を和らげ、鉗子で創縁を寄せると比較的余裕に創部が寄った。臍部の処理が面白い。くりぬいた臍部をまた新たな場所に移し替えるのである。臍は体幹の正中にないと外観上不自然なのでその位置には十分注意していた。こう考えてみると、腹部の脂肪除去はできてウエストは締まるは、無くなった片側の乳房が再建されるはで、手術が上手くいけば患者さん(若い女性)にとってはとても嬉しいものだろうと思った。
腹部穿通枝皮弁挙上.jpg腹部欠損創部.jpg腹部欠損創閉鎖可能.jpg
14:00 5例目はlong PFNAの抜釘術であった。HPRVの手術をみていたので、もうSunderが手洗いしてくれている。この症例は遠位のロッキングスクリューが折損しており、一部が髄内釘内に留まっているので抜去困難が予想された。
long PFNA術後.jpg折損した遠位ロッキングスクリュー.jpg
執刀は引き続き白髪のOberztで長身の女医Rether先生とは凸凹コンビである。遠位の折れたscrew先端を髄内釘内から押し出そうといろいろと試しておられた。結構手間取っていたようだが、何とか抜去に成功していた(途中経過は見学していないので解らないが)。
15:00 乳房再建も佳境に入っていて(乳房の形やバランスを整えるためにトリミングしたり、縫合し直したり結構慎重に作業をしている)。この領域はもうすでに美容外科である。
15:15 夕方のカンファレンス開始。朝のカンファ室と同じ場所で行ったが、朝より参加者が増えている。まだ術中の先生方もいるのだが、総勢30名近いのでは?(学生や見学もいるので詳細は解らない)。とても名前を覚えられそうもない。偉そうな人から順番に覚えていくしかない。内容は、次から次へと本日の術後Xpの呈示から、新患症例、検討症例などを各受け持ちが手早く行っていく。最後に明日の手術予定の確認、時間調整などを行って終了した。日本からのスウィーツとせんべいを持参していたので皆に振る舞った(人数が多すぎたので全員には行き渡らなかったかも知れないが)。
16:00 何とも早いduty終了である。HPRVでは、Rahmanianに付き合って病棟に行ったり(回診やムンテラなど)、CRONAに出掛けたり、急患室に行ったりと結構忙しかったのだが。。。。逆に何もないのも寂しい感じだ。
18:00 今日の出来事を忘れないうちにまとめておく。特に急患も来ていないようだったので部屋に戻ることとする。今日は一日中曇天で時折小雨がぱらつく天気であった。

2009/10/12 trauma team初参戦 [平日]

8:00 Stuby(長身のtrauma team のOberzt)先生に連れられて手術室に行く。Orthopaedic surgeonの中では、Prof. Weiseの人工関節グループと、関節鏡グループ、そして外傷グループと大きく3つのグループがある。だいたいグループによって使用する部屋が決まっている。今日は2列でtrauma teamが手術していたのだが、Stuby先生の列を見学させてもらうことにした。少し遅れてやってきたため、Sunderとassistant artztが既に準備して待っていた。今日は色々と外から見学させてもらうことにしよう。
8:20 1例目執刀開始。この症例は過去に脛骨骨幹部近位骨折のプレート固定後に2度も折損している症例である。荷重をかけ過ぎていたこともあるようだが、前医での手術が良くなかったものと思われる(コンパートメント症候群もあったようで筋膜切開後植皮術も行なっていた)。
2度も折損しているplate固定.jpg
今日は、プレート抜去後に髄内釘を入れる計画とのこと。執刀はStuby先生で抜釘までは順調にこなしていた。先生自身はscrew抜去で苦労したことはあまりないそうだ。Locking screw抜去の際は気動式ドリルを用いて行っていた。難なく全て抜去完了。しかし、これからが少しつまずいておられた。基本的に助手の先生がやる気がない感じを受けたのが可哀そうだったのだが、整復がイマイチで何度もやり直していた。今日の直接介助はFilitz(背が低いトルコ系のNs)、外回りがFabian(例の出来るカマっぽいNs、相変わらずウィンクしてくる)だった。Fabianが彼女に色々教えながらやっていた。彼は術者の先の動きまで読んで行動しようとしているのでなかなか大したものである。
ウィンクしているファビアン.jpgまだ新米のFiliz.jpg
10:00 こちらでは駆血せず手術することが多い(暫く経ったら凝固して止血するからだそうだ)。髄内釘を一度挿入してみたのだが、整復位が崩れてしまい(ガイドワイヤーの髄内の位置が良くなかったため)近位骨片が内反位になってしまった。結局はcentralization plate(5穴)を用いることになった(脛骨外側から前方寄りにplateを設置して骨折部を整復した後、髄内釘を挿入)。
10:30 今まで幾つか上手な手術を見せてもらったが、あのStuby先生にしては手こずっておられた。最終的にはcentralization plateをナローのLCPプレートに入れ替えていた(この手技はProf. Weiseが推奨しているよう。自分の考えではないと言っていた)。しかし、このcaseは2度も折損している特殊症例だから仕方ないと思われる。
11:00 最終的には側面で皮質分のズレがあり、術者はあまり気にいってはいないようだったがacceptとなり終了。少し時間がかかってしまったよう。
髄内釘+plate固定.jpg
11:30 Sunderと休憩室で軽食をとった後、他の手術もふらっと見学する。関節鏡グループが肩のacromion plastyをしていた。体位はビーチチェアでtractionは肘90°位にして肘に装具を装着してそれを水平に引っ張っていた。側臥位でもたまにすることはあるけど、基本的にはこのpositionでするとのこと。所変われば色々であると思った。
12:20 2例目が執刀開始。体重120-30Kgはあろうかという巨体の女性の上腕骨近位端骨折である。いわゆるsubcapitalで大結節は大丈夫のよう。
重そうなビーチチェアポジション.jpg上腕骨subcapital fracture.jpg
Deltpectoral approachで分厚い脂肪をものともせず、いとも簡単に骨折部まで到達(Stuby先生はこの手術は特に上手な気がする)。整復した後、すぐさまplate固定に入った(以前も使用していたシンセスのPhilosのゾロ商品:ドイツのAxomateという会社だそう)。ここでは、気動式ドリルは機械台に固定されたホルダーに置くようになっている。また邪魔にならないようにコードはバネのようになって伸び縮みしているのだ。インプラント類は全てunpackageで全て本物が機械台の上にあり羨ましい限りなのだが、一度挿入した後、長すぎて抜去したようなscrewも普通に戻して再利用している(内緒だが)。手技を細かく列挙するまではしないが、やはり肝を心得ている印象を受けた。Imageの確認はしつこいくらい行う(やはり重要なのはimageのsettingと体位の取り方である)。長いscrewはためらわず抜去していた。
imageを見つめるStuby軍団.jpg
13:10 皮膚縫合になり、Stuby先生は手を下ろす。術中は機械音がうるさかったり、近寄ると不潔になりそうなのであまり質問できない。手を下ろして点数入力などを行っている時がチャンスとばかり幾つか気になったことを聞いてみる。例えば、今日は若かったので骨幹部はlocking screwを使わなかったとか。。。
難なくこの出来.jpg
13:30 片付けは術中もガムを噛んでいる(時々こういうドクターがいる。学生でも噛んでいるのがいた。しかも女性で)asistant artztが行うので、術場を後にし昼食に向かう。
13:50 今日はチキンにカレー風味のソースがかかっている。メインはパサパサライスだ。ちょっと甘くてイマイチだった。デザートは部屋に持って帰ってキープする。
14:10 3例目の手術が準備されていた。外からの見学は、ある意味美味しい所だけを見れ気が楽だったりする。特別入りたい手術以外は外からの見学が多くなった。今はインドからのA O fellow Sunderが入ってくれているので人出も足りている。次は、足関節脱臼骨折(非開放性だが、腫脹が強かったので、即日は創外固定のみしたという症例)に対する、内果・外果のORIFであった。開放骨折以外でも即日創外固定を立てるのか?と聞いてみると、腫脹が強ければするとのこと。即日ORIFは?対応可能ならすることもあると。創外固定をたてるのはpoliticalな問題(即ち収入になるということ)も絡んでいるのだと言っていた。ここら辺は日本と同じようだなと感じた。
15:00 手術はStuby先生ではなく、下の先生がしていたので時間がかかっていた。こちらの若手医師はなかなか手術の執刀が回ってこないようで、手元もまだおぼつかない感じである。その点では、日本の若手は恵まれていると思う。特にうちの大学では専修医が執刀させてもらっているのだから。ある意味の下積みは重要だけど、いたずらにさせないのもどうかと思うし。その頃合いが難しい。外果はopenで骨折部をきっちり整復し、plateをbendingしてのtraditional fixationを施行(教育的配慮もあったよう)。内果もopenで骨膜を剥離し骨折部を整復後、tension band wiringを行った。優れていたのは、外周りの看護師がだいたいimageの操作をしっかり把握していて比較的迅速に見たい画像を提供してくれていることであった。教育もさることながら、看護師自らの自己研鑽もしっかりしているのだろうと感心した。
16:30 今日のdutyはだいたい終了した。Trauma teamのカンファレンスは、15:15からだったのでもう終わってしまっている。そのあとは自由なのだそうだ。
17:00 Sunderが街のインフォメーションセンターに行きたいと言っていたので、まだ時間もあるし一緒に付いて行ってあげることにした。バスはこの時間かなりの頻度でやってくるのでとても便利だ。
17:30 インフォメーションセンターで彼は、ミュンヘン行きのバスなどを調べたかったよう。私は、まだ行っていないテュービンゲン近郊の観光スポットの情報を入手した(しかし車がないとなかなか行くのが不便なことが判明する)。
18:00 部屋に戻って、彼がライドシェアについて知りたいと言うので、ホームページを(ドイツ語)開き、ここから希望の日時・出発地・目的地を入力してサーチすればリストが挙がってくることを教えてあげる(3-4週間早く来ているだけでちょっと先輩面したりする)。あとは彼のスケジュールに合わせて自分で調べてくれるだろう。
18:50 お腹も空いてきたので、今日は私が日本からの救援物資を用いて日本食を御馳走してあげることにした。ものの20分で料理完了した。
19:10 メニューは、キーマカレー、中華丼、ちょっと珍しいところでカキの丼ぶり、豚汁、フルーツ類(キウィ・オレンジ)、飲み物はビールもあったのだが、彼はあまり飲まないらしいのでほうじ茶となった。えらく美味しいと喜んでくれたので良かった。
ミックス丼ぶりセット.jpg満足してくれたSunder医師.jpg
19:30 彼がオマーンの名物のナッツやら名前を覚えられなかったが(干柿をもっと甘く濃厚にしたようなもの)などを幾つかくれた。彼もオマーンからインスタントのピラフのようなものをたくさん持参していた(パッケージを見させてもらったが、あまり食欲はそそられないのであった・・・悪いけど)。

2009/10/11 思いつきでボーデン湖畔まで足を延ばす [休日]

8:30 起床(休日なのでアラームは鳴らさず自然に起きるようにした)。雨は降っていないが天気は良くないので、外出する気分が萎えてしまう。
9:30 部屋で朝食を食べてからだらだらしてしまった。しかし、折角の日曜日なのに勿体ないという気分に駆られてしまう。
9:50 急いで準備して取り敢えず街に出て見ようと思いバス停に行ってみると、数分前にバスが出たばかりでタイミングが悪かった。久し振りに歩いて街まで行ってみようという気になった。
10:30 途中、スイミングプールでトイレを借りたりしながらのんびりと(市内は飲食店以外に公衆便所は殆どない、駅は有料だし)中央駅に到着した。
10:35 時刻表を何気なく見ると、Horb行き列車の発車が5分後にすぐ前のホームから出るようだ。思わず勢いで飛び乗ってしまった(この時点で行先が遠方に決まった。良い列車がなかったらTuebingen近郊で、まだ行っていない見どころを回ろうと思っていた)。普通列車で30分ほどネッカー川沿いを走る。今まで通ったことのない路線だったので新鮮だった。川沿いは落ち着いた田園風景で何となく日本人の琴線に触れる懐かしさがある。
11:00 Horb駅に到着。ここはStuttgartからスイスのZuerichに抜ける幹線が走っているので比較的駅は大きい。しかし、かと言って周りに見どころはない。思い切って南の方に行ってみようと決めたのだった。
11:17 Singen行き快速列車に乗る。ローカル列車のぶらり旅気分である。しかし肝心の天気はいまだ晴れてはこないので気分は些か塞ぎ気味で、硬い座席でウトウトしてしまう。
12:40 終点のSingenに到着した。若干、晴れ間が覗いてきた。いい傾向だ。このまま晴れてきてくれと願いつつ、お腹が空いたのでインビス(こちらの出店みたいなもの)でお馴染みカレーブルストを購入しパクつく(通常、パンも一緒に付いてくる)。
12:53 Konstantz行き快速に乗る(調べていない割には乗り継ぎが比較的良かった)。ここからの路線はドイツの保養地として有名なボーデン湖(南はスイス、東はオーストリアに接している)が見えてくるため景色が良い。途中サイクリングコースがあり、自転車で走っている家族連れ風の集団を良くみかける。天気も上向きだし気持ち良さそうだ。
13:15 終点Konstantz到着。この駅は南側がスイス国鉄保有になっており、同じ構内に2ヵ所入口がある。スイス列車は白がベースになっているので、赤がベースのドイツ列車とは一目瞭然。
コンスタンツ駅南のスイス国鉄側.jpg
ここが国境に近い街だというのを印象付ける。今日は思いつきの行動なのであまり時間に余裕はないため、行動は欲張らないことにした。まずは市内観光ということで幾つかの見どころを歩いて回る。快晴なら綺麗であろう建物もイマイチに写ってしまう。しかし、湖畔ではアコーディオンを優雅に弾いているおじいさんがいたりと、保養地特有の何となくゆったりとした時間が流れている。
コンスタンツ駅湖畔の和議の館.jpg
13:30 町並は道路が石畳で通路には各国の国旗が掲げられており、国際的観光地独特の歓迎ムードを感じる。やはりどこでも大聖堂は見どころになっているので寄ってみる。今まで見たのとは色が違って(緑色がかっている)独特の雰囲気を持っていた。あまり大きくはなかったが、大聖堂内部に優しげなマリア像や悲嘆にくれたイエス像があった。
コンスタンツの大聖堂.jpg優しげなマリア像に癒される.jpg立て立つんだイエス!.jpg
14:10 一通り歩き回った後は、世界遺産のあるライヒェナウ島に行きたかったのだが、いくら調べてもバスや列車の便がない。困ってしまったのでキオスクのおばさんに尋ねても要領を得ない(何と頼りのインフォメーションセンターが日曜休み!)。仕方なくタクシーの運ちゃんに聞いてみる。1人目は怪しかったのでやめて、2人目のおじさんが、30Eurで見どころを全て回ってあげると言ってくれたので(時間もないので)それでお願いした。普通に考えると高いけど、効率よく回るには仕方なかったのだ。
14:50 主なポイントを3ヵ所回ってくれた。ほぼ島を一周してくれたことになる。ちょうどこの時間帯が本日一番天気の良かった時であった。コスモスなどの咲くのどかな田舎道を走り、ユネスコ世界遺産に登録されている修道院や教会を見学する。その都度、運転手のおじさんは道路脇に車を止め、のんびり新聞を読んだりして待ってくれていた。途中でお墓なのだが綺麗だったので写真におさめてしまった(日本でお墓を撮ろうという気にはならないけど・・)。
聖ゲオルク教会.jpg聖マリアマルクス教会.jpg修道院近くの墓地.jpg
島の最も奥のSt.Peter und Paulという教会は一番小さく見どころはなかったのだが、優しそうな老夫婦が仲良さそうに木から落ちているクルミを拾っていた。何かお爺さんがくちゃくちゃしている(はじめ、入歯の具合が悪いのかと思っていた)と思ったらクルミを割ってかじっていた(歯では割ってないと思う)。傍から見学していると、いくつか持って帰りなさいと言ってクルミをお土産にくれた。言葉は通じ難くても心は通じたのどかなひとコマであった。老後はこのように過ごしていきたいと思わずにはいられないくらい仲睦まじいのであった。また、ひとり湖畔でのんびり黄昏ている、いわゆるノスタル爺もいた。
ノスタル爺もいた湖畔.jpg
15:10 駅に戻ってきた。1時間ちょっとであったが、疲れずに十分に見どころを回れたので割高だが満足であった。たまにはセレブ的観光もいいだろう。もう、時間的に対岸の観光地Meersburgに行って帰ってくる時間はないので、今日はこのまま帰ることにする。
15:40 湖畔のお店を見て回ったりした後、帰りの列車に乗り込む。
16:20 Singenで時刻表を見てみると、3分後にStuttgart行きICEが出発するようだ。駅員に時間がないからと言って(切符を買わずに乗り込んだ)。始め、ドイツで無賃乗車の罪は重いと聞いていたのでダメかと思ったが、車内で買いなさいとあっさり言われて拍子抜けする。2等席で暫くじっと座って待っていると、大柄な車掌が回ってきて切符を購入(しかし自己申告だからどうにでもなりそうだった・・)。今日は天気に振り回されたが、結構充実した観光ができたかも知れないと、咄嗟の行動ではあったが、無事帰れそうだなとほっと息を撫で下ろしてウトウトしていた。
17:20スイスから来たという隣に座っていたおばさんが降りるべきHorb駅に到着したことを教えてくれた。危うく降り損ねるところだった(あまり大きなベルや到着を知らせるアナウンスがないため)。
17:25 Horb駅での乗り換えもちょうど良く、往路と同様、ネッカー川沿いをゆっくりと走りTuebingenを目指した。
18:20 帰宅。そう言えば今日はカレーブルスト+パンしか食べていなかった。すぐに夕食を作って食べた。今日は早めに帰ってこれたせいもあり疲れはあまりなかった。

2009/10/10 Zwart先生宅に招待されテレビサッカー観戦 [休日]

8:00 起床。今日は学会最終日だったのだが、先日行われたcadever courseの片付け(遊離腓骨の後始末で簡単な骨接合をしておくのだそう)があるから手伝う予定になっている。朝方、学生のGonserから連絡が入ることになっていた。
10:00 連絡が来ないのでおかしいと思い病院に向かう(携帯は部屋にあったのだが、院内PHSは病院で充電中だったため)。しかし、院内PHSにも連絡が入っていない。Gonserの連絡先は聞いてなかったので、Rahmanianに連絡を取るが学会中のためか連絡が取れない。仕方なく病院で仕事をして連絡を待っていた。
11:00 日手会から投稿論文の査読結果が来ていたので修正を行っていた。ようやくRahmanianから連絡が入る。今日の解剖の手伝いはしなくていいよ。(おいおい、こちらはずっと待っていたんだぞ。。。)今からどうする?学会に来るか?いや、もう時間が中途半端だからやめておくよ。そうか。じゃまた月曜に会おう!とまあこんな感じだ。強く要求をしないと優先順位は後回しにされる傾向にあるので、こちらでの生活では注意が必要かも知れない。日本人は人が良過ぎるから。
12:30 お腹も空いてきたので、Casinoに向かう。ちょうどSunderと関節チームのZwart先生(Op室でたまに話すことがあった髭がくるんと上がったOberst)が食事している。一緒に加わらせてもらった。今から腸腰筋膿瘍の緊急手術があるのだそうだ。今日は天気が良くないのでSunderは外出せず部屋にいたため呼び出しがかかったようだ。来週からtrauma teamに回らせてもらうことを告げると、今晩、サッカーのドイツ対ロシアの大事な試合があるので一緒に見ないか?と誘われた。学会も行かないし特に予定もなかったので付き合わせてもらうことにした。夕方に連絡するからと言って去って行った。
14:00 残った仕事を片付けて、部屋に戻る。曇天ではあるが雨は上がってきたようだ。天気は悪いが1週間分の洗濯をしておくことにする。ミュージックを流し軽快に家事をこなす。昨日の軽い下痢もおさまっており調子は悪くなかった。
15:00 しかし何だか少し身体が重くなってきたのでベッドで横になってテレビを見ているといつの間にか寝てしまっていた。
16:30 昼間のZwart医師から連絡が入り、今から行こうということとなる。5分後に救急受付の前でと言われ、急いで準備する。スポーツバーみたいな場所で飲むのかと思いきや、先生のご自宅に招待してくれるとのこと。ビールもを飲むということだったので、日本からのside dishes(マヨい~かとかチーズかまぼこ)を持参することとした。
17:10 途中スーパーに寄って、食料やビールなどを買い込んでから先生のご自宅に車で連れて行ってくれた。
チキンを品定めするZwart先生.jpg
閑静な住宅街で、BG病院から車で5分とかからない場所であった。家はそれ程大きくはないが、地下も入れると4階建てになっていた。
17:30 奥さんが迎えてくれて(英語が堪能)、Sunderとともにテーブル席に座らせて頂き、自家製のプラムケーキや紅茶を御馳走になった。ほどよい甘さで美味しかった。
ケーキを食べるZwack夫妻.jpg
17:45 テレビをつけて、今日のメインイベントであるドイツvsロシアの試合を見る。もう前半の終りに近づいていたが、1-0でドイツが勝っている。先生は今でもインドアのサッカーをすることもあるくらいサッカー好きのようだ。年齢は55歳と言っていたが。学生の頃もサッカーは良くしていたとのこと。当然、ドイツ側の応援に入らねばならない。Sunderはそれ程詳しい訳ではないが、人が良いので話を合わせてくれていた。
18:50 後半よりビールを飲みながらの観戦となる。ビールのつまみとして、日本からのマヨい~かは好評だった。試合は後半残り25分くらいにドイツ人ディフェンダーが退場となってから、ロシアチームに押されていた(フォワードのアルシャービンの動きが良かった)がそのまま1-0で逃げ切って勝利。見事、2010年南アフリカワールドカップ出場件を手に入れたのであった。時々盛り上がって声を上げる場面もあったが、比較的大人しい観戦だった。奥さんは二階に仕事に行ってしまっていたし。ドイツにとってはワールドカップへの出場は当然で、そこの決勝トーナメントでどこまで行くかが重要であるとのこと。
ビールを飲みつつサッカー観戦.jpg
19:00 少しイイ感じになってきて、先生がご自宅内を案内してくれた。地下が書斎になっており、たくさんのコレクションが陳列されている。物を集めるのが趣味らしく、学生時代にフランスで自ら発掘した人骨(本物)が幾つかあった。また日曜大工も趣味でたくさんの工具が物置にあった。さらに、奥さんが趣味で作っているというジャムやペーストの瓶が所狭しと並べられいた。地下は趣味の部屋のようになっている。ちょっとしたジムのような一角もあった。2階や3階は寝室や子供部屋(3人お子さんがおり、今は14歳の娘さんのみ一緒に暮らしている)があった。
コレクションを見せてくれる.jpg
19:15 夕食の準備に取りかかる。Rahmanian邸に招待された時もそうだったが、何となく手伝った方が良い雰囲気だったので、一緒に(今度はSunderもいるので3人も・・・)キッチンに入って野菜を切ったり、フライパンで炒めたりとお手伝いする。今日はスパイシーチキンと野菜炒め(インド人がいるためかカレー味となった)、細いライスであった。
厨房にて.jpg
20:00 奥さんがお皿を並べてくれた(週末は先生が作ることも多いのだそうだ)。さあ頂こう!友達と映画を見に行っていたという娘さんも帰宅したので5人で食卓を囲む。娘さんはまだ英語の理解が完全ではなく、なかなか話に加われずにいたので、私が下手なドイツ語で話かけてみる。いわゆる思春期なのだろう、若干両親とは距離を置きたいのかなという雰囲気を感じたりもした。食事の方は少し味濃い目だったが美味しかった。Sunderもいたので、インドやオマーンの話をしてくれたり、日本のことを聞かれたりして楽しいひと時を過ごせた。
食卓を囲んで.jpg本日のメニュー.jpg
21:45 結構いい時間になってしまった。そろそろお暇致しますということになる。Zwack先生が車で送ってくれるそうだ(ビールを飲んでいるが・・・)。やはりドイツではビール程度の飲酒は多めに見られているようだ。外で空を見上げると若干雲はあたものの、星が綺麗に見えている。先生は天体にも詳しいようで色々と説明してくれた(ちょっと外は寒かったのだが)。
22:00 病院敷地内の部屋の前まで2人を送ってくれてお別れとなる。来週からはtrauma teamだったのでちょうど良い顔合わせとなった。

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