2009/10/21 事実上最後の研修日となった [平日]

7:30 いつものように朝のカンファレンスが開始される。Bratani医師が症例を提示している。研修初日のカンファの時はこれからどうなるだろう?と不安な気持ちが強かったが、終わりが近づくとそんな思いも随分前の記憶のような気がして懐かしい。かと言って内容を理解できているかと言うと、必ずしもそういう訳ではない。結局は雰囲気だけ。Philipがいつまでだったっけ?と小声で聞いてくる。研修は今日までだけど、明日の朝のカンファが最後になるんだと言った。シャーデ!(残念!)と。
7:45 今日は色々と忙しい。まずはベルリンでの発表原稿や航空券のe-ticketなど、重要なdocument類をプリントアウトしなければならない。この病院のPCは外部からのUSB情報などは認識されないようになっている。院内のEDVというユニット(コンピューターなど情報処理を扱う部署)にUSBを持参し印刷をお願いした。厳重にsecurity checkがなされており、ここを通さないと院内PCの情報も持ち出せない(今や日本でも当然のシステムになっていると思う)。ここのSchanzさんという方は、いかにも機械に詳しそうで頭の良さそうな人だった。
8:15 今度はPostelleという院内の郵便物を扱う部署に出向く。若い女性しかまだ来ていなかった。昨日の事情を説明し、荷物の内容物を減らしたいのだと告げる。重い本類など6Kg分除いて、服類など少しかさばる荷物1Kg分を追加した。Just 20Kgで料金は82Eurだった。DHLの航空便(2週間かかるが)で日本まで運んでくれる。2つに梱包し直せば良かったのだが、面倒だったのと帰りは意外と荷物が少なくなっていたのが幸いした。
9:00 手術室に出向いてみる。今日もHPRVは大きな手術予定は組まれていない。Lotter医師がデュプイトレン拘縮の患者のPIP関節破壊(理由は不明?)に対して、関節固定術を行っていた。術前状況やこうなった経緯など聞けずじまいだったので、?が残る手術となってしまった。
9:30 隣の部屋ではtrauma teamが脛骨骨幹部骨折変形癒合(骨髄炎の合併も疑われる)に対して、創外固定器(hybrid type)を用いた変形矯正・固定を行う予定になっている。このような感染症例はこちらのseptic区画で行われる。執刀は、今日ベルリンに経つ予定のHoentzch教授のようだ。少し遅れて登場。手術中は結構恐い感じで下の先生を熱心に指導している。事前に存じ上げていなかったが、この先生は創外固定の権威の先生だったのである。知らないとは何とも恥ずかしい限りである。今日が最後だと思い集中して手技に注目していた。下の先生にさせていたが、細かな注文が実に的確で鋭かった。20°以上あった角状変形は矯正して(骨切りは行わず)10°以内におさまった。今後Xpを確認しながら徐々に矯正していくと言っていた。
下腿骨変形遷延癒合.jpg下腿骨髄炎疑い.jpgかわいいプロテクターをつけるヘンチ教授.jpg
10:40 教授は帰っていかれたが、まだ脛骨前面をデブリした部分が閉鎖できていない。VACしておくのかと思いきや、何とか頑張って閉じていた(しかし創縁が血流不全にならないようにガーゼをはさむなどの工夫はみられた)。壊死しなければ良いが・・・。
創外固定設置中.jpg
変形遷延癒合部矯正後.jpg
11:30 いったん病院の部屋に戻る。今日の夕方のカンファでHPRV全員に絵葉書(日本からの)を渡す予定にしていて、名前を漢字で書いておこうと思い立ったのだ。秘書さんに全員のフルネームのリストを貰って、当て字を考えることにした(例えば、Hans-Eberhard Schaller Prof. : 班主絵羽亜鳩 車羅唖 教授、Theodora Manoli : 瀬尾努羅 真海苔など)。その医師の雰囲気に合うような漢字を当てたいのだが、なかなかこれと言うものが思い浮かばない。結局は不吉な意味の漢字以外で作成するほかなかった。
12:30 自分の部屋に戻り、昨晩下ごしらえだけしておいたお好み焼(馬鹿の一つ覚えのようだけど・・)を焼いておく。夕方のカンファは何人集まるか解らないのだが、少し多めに準備しておこう。
13:30 再び、手術室に戻る。asepticの方も顔を出してみるが、trauma teamは学会出張のドクターが多いためか手術が比較的少ない。急患手術室の方はHPRVの小手術がいくつか行われていた。手術室での知り合いには簡単にお別れの挨拶をしておいた。今日はウィンクするファビアンやベテランスザンナがいなかったのが残念だ。結局彼女らには挨拶できずじまいとなってしまった。
14:30 もう一度septicの方の手術室に向かう。殿部の局所皮弁が予定されていたのだが、火傷患者の緊急手術が入っていた。JaminetとZwick医師が気管切開をしている。気道熱傷による浮腫予防の手段だ。Plastic surgeonもburn patientを扱うのであれば、少なくともできなくてはならない手技のようだ。その後、熱傷部位のデブリに入っていた。合間に優しげなまなざしのおじいさん看護師(Willy)が若手Nsと一緒の写真を撮ってくれた。Willyにもお別れを言った。それを聞いていた手術中のJaminetがカローシ・ユーキチ!今日で終わりか~?と聞いてくる。研修は今日までだけど、また明日の朝のカンファには来るよ。Alles Klar!(了解!)、Chao!(Tschues:バイバイよりさらにくだけた感じ。んじゃ!)
手術室若手Nsとともに.jpgベテラン看護師Willy.jpgカローシJamninet.jpg
15:00 大方焼いておいたお好み焼を持って来て、カンファ室横のキッチンで再度焼き直す。患者さんが一人待っていたので、ソースの臭いが漂っていたかも知れない。皿やフォーク類は置いてあるので、準備完了。あとはいつ持ち込むかのタイミングを図らねばならない。夕方はカンファ中に患者さんを診察することも良くあるからである。
15:30 カンファが始まる。今日は幸いSL離解による手関節痛疑いの患者一人だけだった。
今後手関節鏡を検討しているとのこと。少し経ってから、ワゴン車に乗せて飲み物(コーラ・スプライト)とともに持参する。皆、どうした?みたいな雰囲気になって、少しカンファが中断する。つたないドイツ語でお礼のあいさつをして(例の机を叩く拍手がわりをしてくれた)、振る舞った。残念だったのは、教授が魚とエビにアレルギーがあるらしく、食べられなかったことだ。気持ちだけで嬉しいとは言ってくれたものの(事前checkが出来なかったのも悔しい・・)。また、出来たてではなくなったのでへなへなになってしまった。若手には好評のようだったが、ちょっとしょっぱ過ぎたかも知れない。
16:00 漢字名前入り絵ハガキやドイツ語・日本語対訳表をあげる。8週間のお礼として奇抜で良かったみたいである。漢字は皆喜んでくれた。教授もこんな細かい字を書くから日本人や中国人は器用なのかな?漢字はマイクロの練習にもいいかも。とか言っておられた。その後、飲み食いしながら、先日のSchaller教授主催のドイツ手の外科学会の写真集(カメラマンが撮ってくれたもの)を皆でスライドショーにして観覧した。いろいろと学会中の出来事もフラッシュバックしていたようで、笑いありの楽しいひと時だった。最後には記念撮影をしてくた。HPRVチームのメンバーはこちらから語りかければ気さくな先生も多いが、基本的にはtrauma teamの先生よりはあっさりとクールでスマートに仕事をこなしていく先生が多かった。Nusche先生が寄ってきて、明日の朝は来られないから今日が最後だと言ってわざわざ挨拶しに来てくれ、食器の片付けまでも手伝ってくれた。何とも優しい先生であった。最後にManoliが今日、当番で病院にいないといけないんだけど、この余りもらっていっていい?と訊いてきたので差し上げた。残されるよりは嬉しいものだ。
HPRVメンバー.jpgいつも陽気なDr.Nusche.jpg
17:00 Philip(まだ学生)に余ったふりかけをプレゼントする。ライスにかけるんだよと念を押しておく。こちらはあまりライスを食べないから。ライスはパサパサだからどうかな?
17:20 長いようであっと言う間だった8週間弱の研修が終わってしまった。だいたい6週間HPRV、1週間Trauma、1週間 学会や休暇と言うメニューだった(週末は殆ど自由に過ごさせてもらったし)。自分的には異国の地での生活ができたという点でまず満足している。ドイツ語がもっと理解できていたら更に充実した研修になっただろうけど、現実的には無理な話。やはり英語力だと思う。インド人が強気でいられるのは、母国語のように彼らが英語を巧みに(しかし発音はエラく訛っている)使いこなせるからなのだ。知識はあっても語学力のために討論できなくなってしまうこともしばしばあって、歯がゆい思いもした。若いドクターは是非、外人と対等に討論できるだけの英語力を早めに付けておいた方が良いと思う。

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