2009/10/13 大所帯のtrauma team [平日]

7:30 事前情報ではこの時間からカンファが始まると言っていたので、指定の場所に駆けつけてみるが部屋に鍵もかかっており誰もいない。Prof. Weiseが通りかかったので改めて挨拶する。しかし先生はどこかへ消えていってしまう。
7:45 ようやく人が集まり始める。ケプラー室という比較的広い会議室で総勢20数名のスタッフが集まってきた。本日の手術症例や昨晩の急患症例などが提示される。HPRVとの違いはレントゲンフィルムをシャーカステンに出す回数が圧倒的に多いことだ。こちらはレントゲンが命という所があるので。Oberztが前方のテーブルに座り、下っ端が後ろの方の椅子に座るという構図になっている。最後方にあのバングラディッシュからの学生がきょろきょろしながら座っていた。まだ若いと思うが(40少し過ぎくらい?)Stuby先生がオピニオンリーダーのようだった。先生方はそれぞれ7時頃から病棟回診をしたりしているとのこと。
8:00 挨拶もそこそこに手術室へと向かう。実にコンパクトなカンファであった。夕方の方が内容はしっかりしているとのこと。本日1例目は橈骨遠位端骨折C2typeに対するORIF(掌側ロッキングプレート固定)であった。既にassistantの女医さん(Dr.Scherer)が準備している。執刀はStuby先生で私も助手で入らせてもらった。
AO23-C2 正面.jpgAO23-C2 側面.jpg
8:30 approachは通常のHenryの掌側からで方形回内筋は中央でばっさり切っていた。温存することはないそうだ。Scherer先生の整復位の保持が甘く(仮固定はしないため)、何度か整復位がずれてしまったものの、imageを見ずにplateを設置し骨幹部のscrew固定まで行った。ほぼ良い位置に設置されている。直視下で設置しているので当然であるが、実際なかなか難しいものだ。若干repo位に回旋がかかって、骨折部近位骨端の側転位(尺側)が生じていたので筋鉤でrepoすると、good assist!と久々に言葉で褒められた。術中の雰囲気も心なしか良くなり、順調に手術は終了した。閉創前まで30分とかかっていないと思う。但し、PQは2針かけたのみでrepairには拘っていないとのことだった。
掌側ロッキングプレート正面.jpg掌側ロッキングプレート側面.jpg
8:50 何と9時前に既に1例手術が終了して入れ替えの準備をしている!。さて、この症例は尺骨茎状突起基部骨折もあったが転位はなかった。骨折の存在には気付いていたようだが、術中はno careだった。術後に、尺骨茎状突起骨折を固定することはあるのか?と尋ねると、殆ど固定していないとのこと。DRUJが脱臼して転位が激しい場合などは固定することがあるそう。術後に手関節尺側部痛で困る患者さんはいますか?と聞くと、殆ど経験ないそうである。やはりtraumaの先生は臨床経験に基づいて治療をすることが多いので、尺骨茎状突起骨折を止める必要はない(というより軽視している)と思っているようだ。この点は、理論的に(学問的に)止めるべきだと主張している手の外科医とはスタンスが異なっており面白い。どちらが正しいのかは今後の詳細な調査にかかってくるだろう。ちなみに、使用したプレートは、昨日の上腕骨近位で用いたプレートと同じ会社のAxomate(フライブルグに本社がある)社製の遠位のみロッキングホールのある比較的薄いプレートであった。橈骨茎状突起側のholeのみ若干角度がついて刺入できるようになっている。
9:00 2例目が準備されているので、HPRVの部屋を覗きに行く。予定表を見ると今日は長い手術が組まれていた。30過ぎの女性に対する、乳がん手術後の乳房再建術であった。DIEPを用いた腹部からの遊離皮弁で再建するらしい。見学したいところだが、traumaの手術の合間にちょこちょこ見学させてもらうことにした。
10:10 Sunderが手洗いしてくれたので、2例目は外から見学(途中抜けて他も見回ったりする)。単純な足関節外果骨折(L-H : SE stageⅡ)だった。Scherer先生がStuby先生より指導を受けながら執刀していた。AO理論に基づいてしっかり整復・固定を行っていた。特に問題なく終了する。
10:40 3例目も2例目と同様、足関節外果骨折であった。執刀は続けてScherer先生で私が今度は助手に入らせてもらう。彼女はルーマニア生まれで両親が旧東ドイツの地方出身だったことより、東西ドイツが合併した後1990年、西側に家族とともに越してきたと言っていた。どことなく英語も訛りがあるし雰囲気が違う気がした。話すと結構気さくな先生だった。Trauma teamは忙しいので運動する暇はないけど、イメージのプロテクターを付けているだけでいい汗をかくわとか言っていた。手術は特に問題なく終了。こちらでは術後レントゲンは撮影しない。Imageのフィルムをプリントアウトして症例呈示している。しかし、学会用(保存用)などにまた後日取り直すのだそうだ。
12:00 4例目も橈骨遠位端骨折のORIF(また掌側ロッキングプレート)だった。執刀は結構年配の白髪のObertで(以前、膝の軟部組織欠損の再建の時に大腿筋膜張筋を用いて膝蓋靭帯を再建する際に助っ人に来てくれた先生、手付きがちょっと不安だった先生・・)、助手はReter先生と言う長身の金髪女医さんだ。今度はSunderが手洗いの番だったのでいったん術場を後にする。
12:30 昼食に向かう。今日はピラフだったが味はしっかりついておりパサパサではなかったのでまあまあ美味しかった。久し振りにHPRVの学生PhilipやWelling医師、Zwick先生(以前、緑茶が好きだからと青汁の素をあげたことがあった。それから彼女は長期休暇に入ってしまったので反応を聞いていない。しかし何となくよそよそしいと感じるのは、あの青汁が不味かったせいか?)などに再会した。同じ病院内だがチームが違うとなかなか顔を合わさなくなるものだ。
13:00 術場に戻ると、橈骨遠位端骨折の手術は既にプレート固定が済んでいた。使用プレートはLCPのT型プレートであった。術者によって使用する機種が異なっているようだ。
13:20 乳房再建の方は、腹部からの皮弁の血管吻合が終わったようで休憩に入っていた。JaminetとLotter医師が採取した腹部の閉創のため現れてきた。結構大きな欠損に見えたので縫合は難しいかと思いきや、少しベッドアップして腹部の緊張を和らげ、鉗子で創縁を寄せると比較的余裕に創部が寄った。臍部の処理が面白い。くりぬいた臍部をまた新たな場所に移し替えるのである。臍は体幹の正中にないと外観上不自然なのでその位置には十分注意していた。こう考えてみると、腹部の脂肪除去はできてウエストは締まるは、無くなった片側の乳房が再建されるはで、手術が上手くいけば患者さん(若い女性)にとってはとても嬉しいものだろうと思った。
腹部穿通枝皮弁挙上.jpg腹部欠損創部.jpg腹部欠損創閉鎖可能.jpg
14:00 5例目はlong PFNAの抜釘術であった。HPRVの手術をみていたので、もうSunderが手洗いしてくれている。この症例は遠位のロッキングスクリューが折損しており、一部が髄内釘内に留まっているので抜去困難が予想された。
long PFNA術後.jpg折損した遠位ロッキングスクリュー.jpg
執刀は引き続き白髪のOberztで長身の女医Rether先生とは凸凹コンビである。遠位の折れたscrew先端を髄内釘内から押し出そうといろいろと試しておられた。結構手間取っていたようだが、何とか抜去に成功していた(途中経過は見学していないので解らないが)。
15:00 乳房再建も佳境に入っていて(乳房の形やバランスを整えるためにトリミングしたり、縫合し直したり結構慎重に作業をしている)。この領域はもうすでに美容外科である。
15:15 夕方のカンファレンス開始。朝のカンファ室と同じ場所で行ったが、朝より参加者が増えている。まだ術中の先生方もいるのだが、総勢30名近いのでは?(学生や見学もいるので詳細は解らない)。とても名前を覚えられそうもない。偉そうな人から順番に覚えていくしかない。内容は、次から次へと本日の術後Xpの呈示から、新患症例、検討症例などを各受け持ちが手早く行っていく。最後に明日の手術予定の確認、時間調整などを行って終了した。日本からのスウィーツとせんべいを持参していたので皆に振る舞った(人数が多すぎたので全員には行き渡らなかったかも知れないが)。
16:00 何とも早いduty終了である。HPRVでは、Rahmanianに付き合って病棟に行ったり(回診やムンテラなど)、CRONAに出掛けたり、急患室に行ったりと結構忙しかったのだが。。。。逆に何もないのも寂しい感じだ。
18:00 今日の出来事を忘れないうちにまとめておく。特に急患も来ていないようだったので部屋に戻ることとする。今日は一日中曇天で時折小雨がぱらつく天気であった。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。