2009/10/14 思いがけずProf. Wellerに遭遇。その後久々に飲み会 [平日]

7:45 前日の学習通り、この時間にケプラー室に向かうと先生たちが集まり始めていた。Sunderはもう座っている。彼はかなり真面目な先生なのだ。前ではドイツのFWバラックに似ている先生が症例を呈示している。昨日夕方のカンファに挙がらなかった術後の症例も幾つか出されている。バラック似の先生が、昨日持参したせんべいのパッケージを見て、cool!と言って幾つか持って帰っていった。
8:00 OP室に向かう。今日は抜釘ばかり縦に7つも続いている部屋がある。他にもtrauma teamの手術が組まれていたが、この時間は興味深い症例でなかったため、たまには人工関節や関節鏡の部屋も覗いてみることにしよう。
8:15 すでに関節鏡の部屋ではACL再建術の手術が始まっている。現在、全く関わりがなくなってしまったが、以前マツダにいた時にT坂JAPAN先生にご指導を頂いたことがあった。しかし残念ながら、その当時は良いgraft masterになることしか考えていなかったこともあり、折角の良い経験だったにも関わらず、今では記憶の引き出しの奥の方に眠ってしまっております。手術はOberarztのAlbrecht先生という快活な先生が手際よくこなしていた。こちらではone bundleの再建が主流とのこと(ドイツでは9割近くがまだone bundleで、最近two bundleが徐々に増えているそう)。術中私のことを気にして時々話しかけてくれていたのだが、日本では70%くらいがtwo bundleのACL再建をしているというのを最近文献で読んだけど本当か?と聞かれたので、正確な%は解りませんが、今や主流となっているようです。中にはthree bundleを行っておられる先生もおります。と答えたら、incredible!と言っていた。End buttonを用いず何やらpinのようなもので固定していたのだが、詳細が良く解らなかった。後で聞いてみると、femur側の骨孔に対して垂直にpinを刺入して、移植腱ごと固定していたようだ。End buttonは使用したことがないそうだ。手技的には早く、9時前には固定を終了し手を下してしまっていた。
9:00 隣の部屋では先日自宅に招待してくれたZwart先生がTHAをしている。何とSupineのdirect lateral approachで行っている。皮切も大きくはない。やりにくくはないのだろうか?もうインプラントの設置が終了してしまっており、学生二人(例のバングラ君と女学生)に丁寧に術野を見せながら説明していた。結構世話好きな先生と思われた。機械台の道具を見てみると、食事で用いる普通のスプーンが置いてあった。骨頭を抜去する時に使用しているようだった。
9:30 関節鏡2例目は肩の症例だったが、鏡視は始めにちょこっと下の先生にやらせて、後はopenで腱板断裂(再断裂症例で上腕二頭筋起始部の固定も行う?とか言っていた)の手術をしていた。
10:20 traumaの1例目の大腿骨髄内釘が手こずっており、2例目開始が遅れた。Sunderと交代で私が手洗いをする。この症例は上腕骨近位端骨折なのだが、遷延癒合症例(polytraumaで保存的にみていたが疼痛が残っているとのこと)であった。骨移植の準備までして取りかかったが、骨折部は比較的stableだったため、plate固定のみとなった。執刀は、Stuby先生(実際並んで見ると、身長は2m近くある)で、やはり手際が良い。上腕骨の形態が頭に入っているので、plateを直視下に何気に設置しているようでも適切な位置におさまっている。整復も殆どせず骨移植もなかったので、すぐに終了してしまった(やはり長いscrewを何本か入れ替えていたのでそこら辺がロスではあったが・・)。THAを見に行ってSunderが戻ってきた頃には搬出準備をしていた。手術時間40分弱か。
11:20 休憩所で久しぶりに、いつも陽気なNusche先生に会った。サンドウィッチをモゴモゴさせ食べながらPHSで電話している。キャラ的には非常に好きな先生である。手術の方は小手術をメインに下の先生にやらせたりしているので、あまり見学はしていないかった。Plastic surgeonでも手の外科(マイクロ以外)が中心のようである。
11:45 trauma3例目は、足関節内果骨折に対する、tensionband wiring固定だった。ちょっと普通過ぎてしまったので、だいたいメドが付いたところで手術室を後にする。術場を去る時にFabianがいつものウィンクをしてくれた。
12:20 昼食。Jaminetが食べている。今日はミートソーススパゲティにした。前にJaminetと一緒に食べた時もミートソースだったような気がする。簡単なドイツ語-日本語会話対訳表を作ったから今度持ってくるからと約束する。彼は来年くらいに日本に旅行に行きたいと行っていたので。
13:00 4例目は75歳女性の大腿骨転子部骨折だった。急患で今日ねじ込まれてきた症例だ。PFNA(こちらはステンレス製を使用している)を用いるらしい。執刀は白髪のOberarzt(3人くらいいるのだが、カンファや手術を見ていると、何となく印象では彼らは窓際族的な感じを受ける。。気のせいか?)がする。日本ではこの類の手術から若手が修練していくことが多いのだけれど。Assistant arztはおそらく30過ぎであろうが、setting(この手術は術前の整復が当然ながら重要)、鉤引きを黙々と(中には嫌々やってそうだなと感じる助手もいる)こなしている。特に見どころもなかった訳だが、消毒後のドレーピングを1枚の敷布を天井から吊下げるように行っており、これは便利であった。
有用なドレーピング.jpg
14:00 5例目もまた抜釘症例であった。苦労して抜去するのを見るのも勉強になるのだが、立っているだけだと何となく疲れてしまう。
14:30 手術室を抜ける。HPRVが手掌の腫瘍(滑膜肉腫の診断、おそらく手関節部での切断になるだろうとJaminetが昼間に話していた)の手術が別のseptic区画で行われているが、カンファも近いので見学せず、Rahmanian部屋に行ってPCをいじっていた。
15:15 夕方のカンファ開始。今日は教授もいるし、徐々に人数が増えてきた(30人近い)。問題症例のようなものが幾つかあり、結構時間をかけていた。ここでは人工足関節置換術(外傷後のOAに対して)も行っていた。
16:30 終了となり開放される。やはりドイツ語シャワーは身体にこたえる。途中2回くらい急激な睡魔に襲われたが、何とか持ちこたえた。会議室外で、若手医師(何となく行動パターンでわかる)が話し合っている。以前、病棟で話かけてくれたことのある、背の低い秋葉原に行きたいと言っていた医師もいた。今日はこれからまた別の合同カンファがあると言っている。その後街に出る見たいだけどと言っていたのだが、ちょうど話の途中で、教授が通りかかり、彼らは後に付いて行ってしまう。さて、どうしたものか?
17:30 はっきりと時間を聞いていなかったので、念のため大ホールに行ってみると、もう既に特別講演が始まっていた。後で聞くと今日は月に1回のコロキュアム(レクチャーや症例検討会など)の日であったようだ。途中からの参加でもあったし、ドイツ語口演でスライドが殆ど文書だけだったので、内容は理解できなかった。講師は弁護士で医療訴訟的な内容も含まれていたようである。講演終了後はそのまま症例検討会へとうつった。近隣の先生方の持ち寄り症例や当院からの提示症例が発表された。大柄の女医さんが当院から、比較的大きなHill-sachs lesionに対して、関節鏡視下に骨移植を行ったという稀な症例を提示していた。終了後は例の机を叩く反応がみられた。
18:45 終了した後、このコロキュアムを定期的にすることを草案した本人である、Prof. Weller(前のテュービンゲンBGトラウマ病院の責任者)にZwart先生が顔合わせをしてくれた。Sunderもその名前は知っており、2人で記念撮影となる。予期せずビックネームの先生に会うことができてラッキーであった。私も以前AOのセミナーで先生の教育講演(AOの哲学みたいな内容だったと思う)を聞いたことがあり存じ上げていた。
高名なProf Wellerと.jpg
19:10 trauma teamドクター有志でこのまま飲みに行くことになった。もう遅い時間のように感じたがまだ19時過ぎである。外はここに来てから一番寒い(ドイツでは今日初雪が観察されたとのこと)。Zwart先生が小さなvillageにあるアットホームなレストランに連れて行ってくれた(だいたい月1回のコロキュアムの後はここに飲みに来るとのこと。病院からは車で5分以内と近く便利)。遅れて来た先生もいたが、10人程集まった。Prost!やらCheers!やKanpaai!などと言って始まった。
20:00 食事はドイツの田舎料理のような感じで素朴で美味しかった。私はZwart先生お薦めの牛肉のステーキオニオン添え、Sunderが名物料理シュニッツェル(チキンのカツレツ)にしていた。彼に自分の分を少し分け与えて彼のを貰おうとすると、何だが嫌そうな顔をした。そうだ!彼はヒンドゥー教なので牛肉は食べないのだった。。。日本では感じない宗教的問題を感じた一場面であった。それでも彼は無宗教の私の無知を察してくれて、優しくチキンカツレツを分け与えてくれたのだった。隣には先ほど症例提示していた大柄の女医さんが座っていた。彼女はゲッピンゲン(メルクリン博物館のある所)出身だそうで、先月、そこに鉄道模型を見に行ったよ。と言うと驚いていた。地元の人はクリスマスに催しがある時に行くくらいで、あまりメジャーな所ではないとのこと。確かに一部の鉄道マニアにしか理解できない聖地なのかも知れない。宴もたけなわになり、ぼちぼち帰り始めるドクターもいた。こちらでは周りに気兼ねなく、じゃまた明日!と言って自分の都合で勝手に清算して帰って行ってしまうよう。上の先生が残っていようとお構いなしである。残りたい人だけが残れば良いという感じ。でも、trauma teamの雰囲気はHPRVよりも今まで日本で働いてきたいわゆる体育会系の整形外科に近いノリを感じた(さずがにカラオケ突入はなかったが)。面倒見の良い先生がいたり、熱く手術の話をしたり、お客さん(私とSunderのこと)に気を使って話を振ってくれたり。ちょっと懐かしい雰囲気に浸れた良い時間であった。
飲み会にて1.jpg飲み会にて2.jpg飲み会にて3.jpg
21:40 大柄の女医さん(名前を忘れてしまった。明日確認しよう)が病院まで送ってくれるそうだ。車はニッサンの180SXの欧米版であろうか?知人から10年前に安く買ったと言っていた。日本車が安いし性能がいいから好きと言っていた。
22:00 ほろ酔い気分となったが、時には皆でワイワイやるのも楽しいものだ。

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