2009/9/29 free flap failureのリカバリー手術 [平日]

6:30 起床。昨日は抜き打ちのように掃除の担当者(おそらくおばちゃんだと思う)が部屋を掃除したり、布団やタオルを変えててくれていたので気持ち良く眠れた。
7:20 病院に向かう。今日も青空だ。いつもの飛行機雲が立ち上っている。
7:30 朝のカンファ開始。昨日から奥さんの入院などの件でLotter医師が急遽休みを取っている。現在休んでいる医師は何と5人だ!従ってカンファも寂しい感じである。ちょっと休み多すぎではないの?と思ってしまう。学生(だいたい4人前後いる)や私などがいなければ手術は回らない状況になってしまっているのだ。カンファは昨日の当番Manoliが何やら喋っていた。
8:00 1例目の手術がsetingされるまで少し時間があるので、Jaminetが回診している所に着いて行った。術後患者を見に行きたいと思っても自分一人だけで行くとなかなか会話が成立しないので、回診でcheckする方が効果的なのだ。先日行った指の逆行性島状皮弁の青年も覚えていていくれたようで声をかけてくれた。指の機能は?だが、皮弁の状態は悪くない。指が全体的に腫れてしまっているが、指の切断を免れたということもあり、青年は結構明るく経過観察中だ。Sural flapが失敗し2度目の手術(ALT free flap)術直後は元気のなかったおじさんも、術後状態が落ち着くにつけて次第に元気になっていた。皮弁手術は失敗・成功が創部の状態を見れば一目瞭然なので患者も自ずと解るのだろう。
8:30 手術室に向かう。ちょうど麻酔準備も終わり、Werdin医師と学生のクリストフがsettingを始める所だった。今日の症例は、膝周囲の外傷による広範囲軟部欠損に対しALT free flapを行ったものの、静脈血栓による合併症(一度手術同日にsecond lookしている)で皮弁が壊死に陥った症例だ。今回は遊離広背筋皮弁でリカバリーすることになっている。
9:00 側臥位で下腿にはハイブリッドの創外固定が設置されていることもあり、settingには時間がかかってしまう。Rahmanian(最近はgiven nameのアフシンと呼ばれることが多くなっている)は後から来るようで、Werdin医師執刀で広背筋皮弁の挙上を開始した。広背筋の挙上はそれ程難易度が高い手術ではない。広背筋の前縁を同定し、そこから前鋸筋との間を剥離していくと、胸背動静脈が比較的容易に露出されていく。広背筋への分枝が最重要でこれを温存し前鋸筋への分枝や挙上に妨げとなる細かな分枝をクランプしていく。
10:00 ようやくRahmanianが現れ、クリストフと壊死した皮弁の摘出(さぞかし嫌な気分だろうと思いきや、冗談を言いながら結構陽気に手術している。この症例は前回、RahmanianのアシストでWerdin医師が皮弁の血管吻合を行っているのだが、2人ともこの壊死は運が悪かったのだという認識なのか?全然気にしてない様子。無論引きずったところで別にいいこともないんだけど)を行い、今度は膝窩動静脈に吻合(end to side)する予定なので、同部を展開していく。
10:30 だいたい血管の吻合部と皮弁のサイズが決まると、広背筋のmusculo cutaneous flapを後方にデザインし、遠位を切離(筋肉内にも血管が結構存在している)して後方を剥離していく。前縁は先ほどだいたい剥離しているが、前鋸筋の後方では広背筋は胸腰筋膜から結構簡単に剥がれる。しかし、途中で比較的径の太い動脈(径1.5mm位か?)から出血を来し、慌てて結紮する。どうやら肋骨動脈からの広背筋への筋枝だったよう。確実に結紮しなければならないポイントである。遠位を切離した広背筋を持ち上げつつ近位端と血管茎だけの状態にすべく全体を剥離していく。肩甲骨下端付近では大円筋との境界が解りにくく一部muscleを切り込むようになる。血管茎の処置は、まず一番遠位に位置する前鋸筋への枝をクランプする(血管内腔を痛めるのでもう電メスは使用しない。また凝固もできるだけぜず、ミニクランプで結紮していく)。広背筋への分枝をしっかり同定し、小さな分枝もクランプ、胸背動静脈と神経が伴走(これは切断することになる)しており、後方に伸びる分枝(肩甲回旋動静脈)も容易に同定できるので確実にクランプ。腋窩動静脈まで確認できる程度まで露出しておき、必要な血管茎の長さに合わせて、最終的に皮弁血管茎を結紮し挙上する。
11:20 2班とも目途がついたので、休憩に入る。休憩室にはハム・チーズを挟んだパンやミルク・紅茶・コーヒー・クッキー・フルーツなどが置いてあり勝手に食べて良い。Flap teamの全員が麻酔科の先生まで・・・(ちゃんと管理は他の麻酔科医師が一人残っているけど)、同時に休憩し、楽しそうに騒いでいる。まだ手術中なんだけどね~。クリストフが写真を撮ってくれる。でも気分もrefreshできるし、皮弁を落ち着かせるために必要な時間だし、結局は良い休憩なのだ。
休憩室で.jpg同じ年のオーベンRahmanian.jpg
11:30 Rahmanianと私で今度は吻合部の処置に入る。Werdin医師が挙上した皮弁を切り離して、早速ヘパリン処置を行っている(これを行わなければ当然ながら血管内は簡単に凝固してしまい使い物にならなくなる)。そのまま、側胸部の閉創に取り掛かった。
広背筋皮弁挙上.jpg
12:00 マイクロを導入する。今日は側臥位での膝窩部の縫合であるのに加え、リング型の創外固定が邪魔しアシストがとても困難だ。手の置き場なし。ミコピンセテ・ランゲ、ビテ(長いマイクロピンセット下さい)。短いのでは届かずどうしようもないのだ。
12:30 皮弁を仮固定し、膝窩静脈に割を入れ、end to side sutureを行う。静脈は壁が薄くふにゃふにゃになってしまうので、対側を縫い込んでしまわないことが重要だ。8-0ナイロンを10針以上は行った。膝窩静脈内にはplaque形成があったので取り除いていたが、ちょっと心配であった。続けて、同様に膝窩動脈へのend to side suture を行う。動脈は壁がしっかりしているが径は細い。静脈とのtensionを見ながら縫合する部位を決定する。折れ曲がったり、動脈の流れに逆らわないような位置で縫合するべき。静脈も同様だが、3時の位置から9時まで縫っていき、対側を縫わないように10時から2時までを最終的に縫合して完成だ。新潟で一人でラットでの練習をした(end to sideは教えて貰えなかったので独学)時は結構苦労したが、実際に人の手技を見るのは勉強になる。
13:30 縫合は完了する。クランプ・駆血をoffする。縫合部のleakは殆ど見ずにガーゼで軽く圧迫して置いている。縫合に自信があるのだろうか?暫くそのままとし皮弁の固定処置に移る。島状皮弁部分だけでは覆えず、muscleでカバーした上には分層植皮を施行する。特に血管茎が立ちあがってくる外側部分はtightにならないよう注意する。
flap固定作業中にて.jpg
14:10 Rahmanianが看護師さんに頼んでどこかに電話させている。ユーキチはどうする?と聞いてくる。手術のことを考えていたので始め何を聞いているのか解らなかった。昼食を頼んでいるんだよ。ウィンナーかチキンかどうするか?じゃウィンナーで宜しく。もうすぐCasinoが閉まるから頼んでおいてくれていたようだ。なかなか気が利いている。
14:30 ドレーンの処置やらガーゼ固定。皮弁は外から確認できるように覗き穴を作る。手術は終了した。採皮部は薄いガーゼを1枚だけあて瘡蓋を作るようにするだけで他は何もしていない。良く回診でカラカラに乾いたガーゼが採皮部にくっついているのを見かけるが、術後処置は特にしないのだと。その方が上皮化が早いのだそうだ。自分の経験では、今まで採皮部の上皮化が遅れて困ることもあったのだが、このやり方は試してみても良いのかも知れない。
14:45 Casinoに向かう。先に手を下ろしていたクリストフが食べ終わって帰ろうとしていたが、自分が入ってきたのを見ると自分の席の前に座って付き合ってくれた。いい奴だ。今日はポテトとウィンナーがメインだった。
遅くなった昼食(ポテト・ウィンナー).jpg
デジカメで写真を撮ってくれと良く頼んでくるので彼の写真も結構たまった。研修は今週までだというので、そろそろあげるよという話をする。
15:10 術後患者の皮弁状態checkに行く。今日の症例は貧血があるのかも知れないが全身が蒼白調なのでcapillary refill timeが判定しにくい。Dopplarでは血流良好であり一安心。
皮弁術後のcheck.jpg
カンファまで少し時間があるので、病棟に寄ってみる。今日はJaminetが病棟係で事務仕事を一手に引き受けている。担当患者というものはなく、基本的に全員で見ており、その日の病棟係が細かい指示を出す。毎日の回診で方針を決めている。特に月曜の教授回診が重要な位置づけにあるよう。
15:30 夕方のカンファ開始。今日は長かった。途中何度か眠くなってしまう。時々行っている恒例の病棟患者の総check(診断名や売上げなどを確認する。違う病名にしたらこれだけ売り上げが高くなるぞと指導していたりすることもある)を行っているのだ。1時間近くドイツ語シャワーを浴び続けて眠いのと疲れでぐったりしてしまう。
16:30 Rahmanianが皮弁のcheckに行くから一緒に行こう!(これは日本語を覚えている)と言ってくる。皮弁の色は白いがdopplarではしっかり拍動を確認していると看護師に説明している。そのまま急患室に向かう。何人か患者が待っている。Stahl医師とwelling医師が対応して最終診断を彼に仰ごうというのだ。一人は舟状骨新鮮骨折(A2でほぼ中央)の青年だ。ユーキチはどうする?最近は経皮的に背側からハーバートタイプのスクリューで固定しているけどね。そうか。自分はこれなら掌側からの固定で、近位の骨折の時だけ背側で行くけどね。とご尤もな発言をしている。しかし経皮的にはしていないよう。
17:50 今日は早めに帰宅することにした。クリストフが部屋にUSBスティックを持ってくると言っていたので(彼は2週間だけ自分と同じ建物の一室を借りて研修に来ているとのこと。1日25Eurだというからまあまあかかるようだ)。今日の日記をつけたりして過ごす。
19:30 クリストフがなかなかやって来ないので、彼の部屋を訪ねて行くことにした。自分は208号室で彼は506号室だった。今日までここにいるとは知らなかった。この建物で会ったこともないし。ドアのチャイムを鳴らすと少し遅れていそいそと着替えながら出てきた。寝ていたのか?中に案内してくれると(自分の部屋と同じ作りだ)どうやら彼女が来ていたらしい。急いで着替えたようで悪いことをした。二人とも気にしないでいいよと優しかったが。日本のお茶漬けやラーメンやら醤油をあげると偉く喜んでくれた。木曜の夜に一緒に食事でも行きますか?というような話になった。
20:00 彼に今までの写真をコピーしてあげたり、前回のフットサルの時の集合写真をもらったりした。
フットサル集合写真.jpg
自分の部屋にも来たいというのでやってきて案内すると、ここはテレビもあっていいなと羨ましがっていた。自分は2ヵ月と長いからかもね。津下先生の手の外科の教科書を見つけてペラペラめくって楽しがっていた。ドイツ語版も売られているハズだと教えてあげた。
20:30 少し遅くなったが、病院にインターネットをしに行く。部屋に回線がないのは便利が良くなくやはり面倒である。
21:30 帰宅。明日はいよいよミュンヘンだ。

2009/9/28 CRONAへの出張手術 [平日]

6:30 起床。寒くはない。今日は1週間の始まりなので白衣の下のシャツを替えていく。
7:25 病院に向かっているとRahmanianからPHSが入り、今朝は別のカンファレンスを今からするのでいつものカンファは中止だと。その後手術だから手術室で会おう!と連絡が入る。
7:35 いくら何でもまだ手術まで時間はあるだろうから、学生がたむろしている医師詰所に向かってみる。学生のクリストフ君とマウダビさんがいた。カンファは8時からだって教授が言ってたわよと。今教授たちは何してるの?良く解らない。。とのことだった。仕方なく今日の手術予定を見ながら入る手術の計画を立てたりする。学生達は興味あると言っても、やはり長い手術は敬遠するようだ。今日は腹部の軟部組織欠損に対する、有茎のALT flapが予定されているので必然的にそういうのは自分が入ることになる。
7:50 ちょっと手術室に様子伺いに行ってみるが、ちょうど患者が搬送されたばかりだったので、これからまだ麻酔導入やらで暫く時間かかるだろう。しかしどうなってるんだ?何だかいつもと流れが違うな~と感じていた。
8:05 遅れてカンファが始まった。朝Rahmanianが言っていたことと違うなと思ったが、どこかに電話していたから時間調整などして変わったのだろう。後で聞いてみると、今日は月に1回のスタッフミーティングのような会があったのだそうだ。それが終わってから普通のカンファがいつもの所で始まった訳だ。
8:20 あっさりカンファは終了し、教授回診へと流れる。今日は欠席の医師が4人もいたが、それでもいつもより大勢ぞろぞろとくっついて行った(いつもの学生4人に加えて、2人も外から見学者がいたため)。今日の教授は1例ごとに指示や質問が厳しい感じだ。月1回の特別な日なのかも知れない。
8:50 手術室に今日新しく来た見学の学生とJaminet君と一緒に向かう。もう麻酔導入されsettingしつつある。介助看護師はお馴染みのベテランスザンナだ。
頼れるベテランスザンナNs.jpg
9:00 Jamninetと二人でsettingを行い準備しておく。この症例は先々週に腹部の感染領域が結構深く、壊死組織を切除していくと結局大網まで露出してしまった例のあの症例だ。VAC療法を暫くして待機していた。肉芽も良好に上がり、大網の上にはメッシュシート(癒着予防用)を置いてあったので状態は良い。
腹部広範囲軟部組織欠損.jpg
9:10 Phau医師、Rahmanianが遅れてやってきて手術開始となった。今日は遊離皮弁ではなく有茎なので、それ程長丁場にはならないだろう。Rahmanianと私で、ALTの挙上、Phau医師とJaminetで腹部から鼡径部の展開となった。学生は外から見学している。
10:00 ALTはもう5例以上経験したので解剖はだいたい頭に入った。今日は大腿筋膜張筋も一緒に採取することになっていた(以前も膝蓋腱の再建を同時に行った症例で経験している)。腹壁の欠損部をカバーするために少しでも強度の強い組織でカバーしたいとの思いからだ。このような症例は稀らしく、議論もいろいろされたようだが、今回のやり方に決定した。腹直筋の再建は運動神経がない状態では不可能なので、いずれの方法でも必ずしも機能的に満足できる訳ではないとのこと。しかし欠損部を十分な軟部組織でカバーするには現状ではこの方法がbestなのかも知れない。
11:30 Rahmanianに教授から電話がかかる。今日他の手術室で手術執刀予定のLotter医師の奥さんが出血(妊娠後期)したそうで、急遽病院を出ることになったらしい。代わりに彼が手術をしに行くことになった。ALTの方の挙上もだいたいメドはつきつつあったので、Phau医師にバトンタッチし手を下して足早に去っていった。
12:30 大腿回旋動脈の下行枝からの穿通枝は2本皮弁に含めた。やはり遠位の1本は外側広筋を貫いているため剥離に手間取る。Phau医師の手技はゆっくりだが丁寧である。確実に穿通枝を同定・挙上しようとしている姿勢が伺える。大腿動静脈を露出・同定させた上、大腿直筋を剥離し、腹部側に飜転させるspaceを確保。Muscleが結構しっかりしていたのでこれらの手技に若干苦労する。
ALT皮弁挙上中.jpg
13:00 大腿筋膜張筋を腹壁と強固に固定し腸管のヘルニアを予防する。皮弁の血流は良好だ。Jaminet君が閉創し、私は両方のasistをした。大腿部は緊張が強かったため、一部メッシュでskin graftを行った。
13:30 腹部に吸引ドレーン3本、皮弁採取の大腿部に2本留置し終了となる。
腹部へのALT有茎皮弁術後.jpg
Phau医師はマイクロを使用しない分ストレスは少ないけど、手術コストは安いから・・と笑って言っていた(ちなみに包括して遊離皮弁で8000Eur , 有茎皮弁で5000Eurとか)。
13:45 昼食に向かう。見学の学生とJaminetと一緒に行く。本日のメニュー(3種類くらいある)という掲示を見てもあまりピンと来ないので、前の人たちが頼むのを見てからたいがい決めている。今日はマカロニの中にちょっとした具が入ったトマトソースがけだった。結構イケた。Jaminetが水曜日のミュンヘン行きのカーシェアのドライバーが見つかったと言っていた。後でまた一緒に見てみようということになる。
餃子風マカロニトマトソースがけ.jpg
14:10 Rahmanian部屋に戻ると学生のマウダビと何やら話していた。するとこれからCRONA(大学の外科系病院)に手術の手伝いに行くことになったのだとのこと。カンファは出られなくなるけど付いていくことにした。タクシーが病院前までもう迎えに来ている。
14:30 手術は脳神経外科(脳腫瘍の患者)の症例で背部に褥創(感染性)が生じている。これを閉鎖して欲しいというものであった。これは稼ぎがあるのか?と聞くと無償だと言っている。ボランティアか?そうだ。何でいつも君が呼ばれるんだい?他に誰が行くのか?とちょっと怒ったように言っていた。
14:50 助手として手洗いして参加した。どうもここに来てからというもの、完全に彼の付き人みたいになってしまった。彼としては弟子ができたと思ってちょっと気分も良かろう。何かと便利だからこの関係を続けているが、傍から見るとどう思われているのだろうか?さて、手術の方は健常部位までトリミングした後、正中から側背部にdefectと同大の島状の皮弁を作成し、広背筋を部分的に含めたmusculocutaneous flapを行った。始めは皮弁の血流はイマイチだったが、徐々に回復していった。
16:10 終了し、BGの方に戻る。夕方のカンファはもう済んでいる。Jaminetにデジカメを貸したままだったので、返しに貰いにいく。カーシェアの件も頼んでおいた。
17:30 部屋で作業をしているとRahmanianが電話しながら戻ってくる(良く見かける光景)。何やらまた忙しそうだ。どうも先ほどCRONAで手術した患者の創部からの出血量が多いので見に来て欲しいというものだった。付いてきて欲しそうだったので興味もあり付いていく。今度は今日の当番のManoliも来ていた(夜中に何かあったら彼女が対応しなければならないので)。またもや贅沢にもタクシーで(料金は病院もち)向かう。ICUで術後管理されていたが、もともと凝固機能が悪く易出血性だとのこと。ドレーンを1ヵ所しか入れていなかったのと(本当は創部にペンローズを入れたかったのだが、大学病院には何故か置いていなかったので入れなかった)、側臥位の方向がドレーンが上になる位置だったので逆だったためと思われる。創周辺を圧迫すると貯留した血液が溢れ出す。術後管理としてはイマイチであったと思われるが、責任は執刀者なので指示系統までしっかり行わなければならないと改めて思った。特に出張で手術を行う場合などは特に気を付けねばなるまい。
18:50 BGにまた戻ってくる。Manoli(あまり愛想の良くない女医さん、北アフリカ系の顔立ち。仲良くないので出身は聞いていない)は急患室へと去って行った。
19:10 疲れた~と言ってRahmanianは帰宅していった。彼は最近自転車通勤を続けている。こちらではヘルメットをかぶって颯爽と自転車で来るドクターが多い(Shaller教授もそう)。食べ物が太り易いものだけに健康にはみな気を使っているのだ。
20:00 帰宅する。確かに今日はちょっと疲れた感じ。こういう日は特製味噌スープ(と言っても即席の味噌汁にいろいろトッピングするだけ)でも飲んでゆっくりしよう。

2009/9/27 ハイデルベルグ1日観光 [休日]

7:15 起床。天候は晴れだが吐く息が白い。少しずつ肌寒くなってきているのを感じる。
8:00 部屋で軽く朝食を済ませて出発する。外に出てみると思ったよりは寒くなかった。日が出てくると晴れていればまだ暖かい。病院の坂道を下りバス停に向かう。
8:25中央駅に到着。出発までまだ余裕があるので、列車で摘むパンなど軽食を買い込んだ。
8:35 シュトットガルト行き快速に乗車すべく向かう。ドアは閉まっている。ボタンを押すと開くようになっているのだ。開けっ放しにならないので、寒い冬などには良いシステムかも知れない。また、こちらはうるさい出発のベルやアナウンスはなく、時間が来ると定時に静かに出発していくのが面白い。
9:35 地球の歩き方でハイデルベルグ市内観光のおさらいをしたり、車窓から景色を眺めながらしているうちに到着した。
10:05 ハイデルベルグ行き列車(急行)出発まで時間があったので、もう慣れたシュトットガルト中央駅構内をうろついた後、定刻に出発した。DB(ドイツ鉄道)の特急や急行は列車の車体が白いので一目瞭然だ。その他の列車の車体は赤い。やはりスピードが速いのだろう、車窓からの景色の流れを早く感じる。ゆっくり見物という雰囲気ではない。
10:45 ハイデルベルグ中央駅に到着。古い歴史のある街だと聞いていたが駅自体は比較的新しい。駅周辺もヘンテコなモニュメントがあったりと結構近代的だ。
ハイデルベルグ駅前.jpg
11:00 インフォメーションセンターで市街地図をゲットし、バスに乗車する。
11:10 ビスマルク広場で降車。ここから旧市街を目指し歩いて見物する作戦にした。まだ日曜の午前中ということなのか歩行者天国の通りはまだ寂しい。少しずつ開店の準備をしているところのようだ。
11:30少し歩いていると尿意を催してきた。探すがあまりW/Cが見当たらない。ちょうど博物館のような建物があったので、料金(1.8Eur)を払って中に入らせてもらった。用を足した後、ここは何の博物館なのかようやく理解する。ここはプファルツ選帝侯博物館という所だった。奥まった場所に更に内部は伸びていて、建物も18世紀に建てられたバロック様式の宮殿風であった。調度品やら絵画など当時の王侯貴族の生活を垣間見ることができた。中でも木彫りの見事な祭壇は目を見張るものがあった。また、近郊で発掘されたというハイデルベルグ人(原人)の展示などもあるし、館内はかなり広く盛りだくさんの内容だったので疲れてしまった。トイレ代としては儲かった気がする。
12:20 大学広場という賑やかな場所に着く。ここではたくさんの出店が並び、屋外で楽しそうに人々がビールを飲んだり食事をしている。屋外ステージもあり、何やら催し物もやっている。イイ匂いにつられて、ステーキバーガー(前の人のマネをしてマスタードをたっぷりつけたら味が濃厚になり過ぎた)を購入。喉も乾いたしビールが美味しそうなので購入(陶製の小ジョッキで3Eur、但し購入時に5Eur余計にジョッキの料金を払い、飲み終えたら店に返しに行き5Eur戻してもらう。お土産にそのまま持って帰っても良い)。
大学広場の出店.jpg晴天下でのビールは最高!.jpg
13:00 ほろ酔いになりながら、学生牢(入場料無料)という観光客の人気スポットに立ち寄り、当時の学生が投獄中に壁や天井に描いたという落書きを眺め、古き良き学生時代を思い出した。
学生牢の落書き.jpg
13:15 ケーブルカーで頂上を目指す。往復8Eurである。いったん中腹駅で小さいケーブルカーに乗り換える。天気が良いからか観光客が多い。今までドイツで行ったどこよりも人が多い気がする。日本人観光客もちらほら見られる。それ以上に中国人観光客の姿が目に付いた。ドイツ人には見分けがつかないと言うが、日本人からみれば中国人はだいたい判別できる。喋らなくても何となく違うのだ。
13:45 標高550mのケーニヒストールに到着。特に何がある訳ではなくただ景色が良いという感じだ。ここでも皆一様にビールを飲んでいる。本当に好きなんだな。5セントに圧延刻印してくれる記念メダル製造器が何気に置いてある。セルフサービスで1Eurと5セント入れる。すると、入れた5セントを自分でハンドルをぐるぐる回して押しつぶし、名所の刻印が入るというシステムだ。だいたい観光名所に置いてあって、今まではあまり見向きもしなかったが、ちょうど5セントがあったので試しにやってみた。もとは円形だったコインが楕円形に薄く変形し刻印されチャリンと出てくる。日本では硬貨を変形させると違法行為で捕まってしまうと思うけど。
14:15 下りケーブルカーに乗る。景色は良かったが天気が良すぎるせいか全体的には何となく霞んでしまっていた。
山頂よりハイデルベル市街を眺める.jpg
14:30 ハイデルベルグ観光の目玉、ハイデルベルグ城を散策する。古いが見事な造りだ。現在も改修工事が行われている。途中、日本人観光ツアー集団に遭遇する。みな同じように写真を撮り、耳にはガイドさんの説明を遠くでも聴けるイヤフォンを付けている。暫くガイドさんの近くに何気なく位置し、説明をふむふむと盗み聞きしたりした。城の地下には世界最大級というワインの大樽が置いてありかなりの迫力だった。
城からの市街の風景.jpgハイデルベルグ城.jpg世界最大級ワインの大樽.jpg
15:00 帰りは歩いて降りることにした。5-6分で麓まで降りることはできたが、ここを登るとなると坂が急なので辛いかも知れない。そのままネッカー川にかかる古橋を目指す。途中のマルクト広場でのんびり過ごす人々がいる。日本人は観光と言うと色々な場所にいそいそと移動したがることが多いが、1ヵ所でのんびりと言うのも悪くないなと思う。
市街よりハイデルベルグ城を眺める.jpg
15:20 そろそろ駅に戻ろうとバス停を探すがなかなか見当たらない。仕方がないのでタクシーで駅に戻ることにした。タクシー代は高くつく。
15:30 駅到着。出発まで少し時間があり、フレッシュジュースを注文。Sサイズにしたら氷を入れてくれなくてヌルかった。
15:50 ハイルブロン行き鈍行列車に乗る。この路線はネッカー渓谷沿いを走り、いわゆる古城街道のハイライトと言われている所だ。車でのんびりと行くのが一番良いようだが、車窓からの眺めを楽しむことにした。反対側の座席(進行方向右側に座るべき)しか空いてなかったので遠めの窓越しからであったが、所々川沿いに点在する街並みや山の頂き付近にある古城(ホテルになっているよう)を見ることができた。しかし、少しウトウトしたので見過ごしたポイントがあるのかも知れない。
16:50 ハイルブロン駅到着。思ったより大きい駅だった。せっかくなので市街地まで歩いてみることにした。10分程で中心まで着いた。街自体は小さいが活気のある感じだった。少しお腹が空いてきたので、オープンカフェでスープカレー(クリームが乗っており甘くてイメージとちょっと違うものが運ばれてくる・・・)を頂いた。味はまあまあ。
IMG_1030.jpgIMG_1032.jpg
17:40 駅に戻ってきて帰りのチケットを購入する。シュトゥトガルト経由でチュービンゲンに向かう。乗り継ぎがあまり良くないので帰りがちょっと遅くなりそうだ。
18:00 出発。この路線は初めてだったが、途中にぶどう畑(段々畑で線路脇まで迫ってきている。収穫の際など危なくないのかと思ってしまう)やトウモロコシ畑などのどかな田園風景が広がっている。
18:45 シュトゥトガルト中央駅到着。また出発まで時間が空いてしまう。チュービンゲン行きは、土曜日以外は1時間に1本くらいしかないのだ。
19:20 出発。外は暗くなり始めてしまった。外が暗くなってしまうと何となく疲れるものだ。列車内でまたウトウトしていた。
20:50 帰宅する。

2009/9/26 久し振りにゆっくりした土曜日 [休日]

8:00 起床。天気が良いので久しぶりに窓を開けて空気の入れ替えをしたりする。今日はたまっている用事を片付けたり、買い物に行く予定なので遠出はしないことにしていた。
9:00 朝食の食材が切れていたので、Casinoに向かう。留学当初から気軽に声をかけてくれていた食堂の女性を最近見かけなくなった。ちょっと愛想の良くないおばちゃん達しかいない。長期休暇だろうか?
9:40 快晴なのでちょっと出かけたい気もするが、部屋で掃除や洗濯をする。ITunesのバックアップが復活したので昔のミュージックも聴けるようになった。
10:40 調子良く音楽を聞きながらスケッチをしていると、突然病院のPHSが鳴った。いつも陽気なNusche先生からだ。グ・モーニング!(独特の抑揚をつけた口調)元気かい?今日は天気がいいけど出かけないのかい?実はあまり面白くないかも知れない症例なんだけど、今から急患手術を始めるんだよ。興味があったら来てもいいし、出かけてもカイン・プロブレームだよ。そうですか?今日は昼から買い物に行きますが、それまでは予定ありませんので準備してから伺います。Saal 9ですね。解りました。では、ビス・シュペーター(また後で)!ということで、Noと言えないサムライは手術室に向かう。
11:00 結構急いで向かったのだが、手術室に入っていくと、もう大方終わりかけている。手術開始直前に一応呼んでくれたのかな?症例は下腿に血腫が貯留していた方が感染?し、皮膚が自壊して皮膚欠損となっていた。洗浄・デブリ、皮膚移植で済んだよう。確かに土曜日にわざわざ来るまでも・・・と少し思ったが心の中に留めて、手術を終えたNusche先生と会話を楽しんだ。明日はドイツの選挙があるそうで、興味があったら来るかい?と言われたんだけど、とっさに明日はハイデルベルグに行こうと思っていたので・・・と断ってしまった。後で考え直してみれば、ドイツの選挙を経験することも一生に一度くらいなもんだから行ってみても良かったな?と後悔するのであった。
11:30 今日はJaminet君が当番で急患が何人か下で待っているそうだ。たまには週末の救急現場を覗いておこうと思いくっついて行った。すると、ハイデルベルグ(ドイツで一番歴史の古いエリート大学)から来ているという女学生も見学に来ている。彼女はアリスと名乗り、今はtrauma teamで研修中だそうだ。土曜に出てくるなんて真面目過ぎる!と思ったが、その代わり、平日を1日休んでいるのだとのこと。成程そういう手もあるのか?症例は、ネコに手部を咬まれたおばさん(結構ペットに咬まれるという外傷が多い)や尖がった鉄製の棒で手部を刺したというおじさんやら指節骨骨折やら1時間半程度で6人くらい立て続けに診察していた。ネコのおばさんが緊急手術となるため、それに関わる一連の手続きも見学することができた。基本的に医師は診断・指示のみで、シーネ固定や創の洗浄、包帯固定、もちろん注射などは看護師が行っている。どうりで効率的に患者がさばけていると思った。忙しい大学病院で同じことをしていたらおそらく半日くらいかかってしまうかも知れない・・・。日本のプアなシステムを嘆いてしまう。
12:30 お腹が空いたね~とお互いに言いながら残った患者を処理していく。途中、書類作成のために例のテープレコーダーを用いて録音している。なかなか手慣れたものだ。何だか楽しそうである。on・offボタンを押しながら、適宜言葉を発して録音していく。時に巻き戻し内容を確認したりもする。作業は手早く終わってしまった。良いシステムだ。
録音するJaminet君.jpg
13:00 Jaminet君とCasinoに向かう。今日は結構好物であるスパゲッティーミートソースであった。
好物スパゲッティーミートソース.jpg
ハイデルベルグからのアリスや看護師たちも食べているので、一緒に座って食べた。 今日のは日本人の口にも合い美味しかった!横ではJaminetが覚えたてのオイシイを連発している。ハイデルベルグに明日行くことにしているんだと彼女に話してみたが、話はあまりそれ以上展開しなかった。。。あまり話好きではないよう。仕方ないので、Jaminetにミュンヘンに行く時の同乗者募集をインターネットで調べておいてねと頼んだりする。日本語で自分の名前を書いてくれというので、邪美根羽鳥苦(ジャミネ・パトリック)と書き記してあげたら、Cool!と言って喜んでいた。どうも外人は漢字を神秘的な文字のように感じているみたいだ。
13:50 ちょと遅くなったが、彼はこれからネコのおばさんの手術があるので向かって行った(この手術は遠慮させてもらった)。
14:10 部屋に戻り、街に買い物に向かう。バスは行きと帰りで若干止まるバス停が異なるので、降りる場所を逸してしまい先の停車駅まで行ってしまう(何故かこのバス停の間がエライ遠いいのだ)。戻るのに20分位かかってしまった。。。
14:30 てくてく歩いて(ネッカー川の反対側まで渡るのが大変)REWEという大型スーパーにようやく着いた。
大型スーパーREWE.jpg
二階建てで店内はかなり広い。二階は家電販売などをしている。SONYやPanasonic、Cannonなど日本の製品が殆どを占めている。特にNintendoのWii関連のコーナーが充実している。Made in Japanの力強さを感じて嬉しくなる。
15:00 それに対し、食料品では日本製は殆どない。出前一丁が寂しげにトムヤムクンスープヌードルなどと一緒に並べられていた。ほかではでかいカボチャが置いてあったり(ハロウィンが近いからか?)、チーズやウィンナーの品数が異常に多いのが特徴である。生鮮食料品以外のミルクやらコーンフレーク系などと卵(結構重宝する)などを購入した。
出前一丁が並べられている.jpg陳列されたでかかぼちゃ.jpg充実したチーズコーナー.jpg
16:00 帰りは少し散歩しつつバスでゆっくり戻る。今日はのんびりできた。
18:00 部屋で少し調べ物をしたりスケッチの書きかけを済ませたりとこちらも用事がだいたい済んだ。明日はハイデルベルグに行くと宣言してしまったので、予定を立てねばと思い計画を立てる。
19:00 小腹が減ったのでCainoに行こうと病院に向かう。救急受付から空を見上げるとちょうど夕陽が雲に映えていて独特の色彩を奏でている。きっと明日も天気だろう。
夕陽に映えたチュービンゲンの空.jpg
しかし受付に鍵を取りに行ったのだが、事務のおばさんが忙しそうで患者の応対をしているので後回しにしてRahmanian部屋に向かう。インターネットで調べ物をする(来週向かうミュンヘンの宿さがしなど・・・)。
21:00 Casinoに食材をゲットしに寄ってから部屋に戻った。特に何もしなかったのだが、何となく充実した1日だった。

2009/9/25 手術室内での移動が多かった金曜日 [平日]

6:00 今日は少し早起きしてみた。朝に少し作業をしてみようと思い立ったのだ。朝食はヨーグルトメインのあっさりしたもののみ。
7:20 病院に向かう。Rahmanianの部屋に立ち寄る。昨日flapの本を(自由に使わせてくれている)借りていたので返しに寄った。
7:30 朝のカンファ開始。今日はDoldller医師(見た目は40半ばだがassistant Arzt)が自宅からチーズケーキやクッキーを持参して来て皆に振る舞っている。普段あまり手術にも入ってないし、比較的影が薄い存在だっただけにちょっと意外である。人は良さそうなのだ。しっとりとした結構上品な味のチーズケーキとコーヒーを頂いた。カンファの方は特記事項はなかった。
8:00 今日は手術前に回診について行こうと思い、病棟に向かう。今日はWelling医師(下っ端の病棟係のよう)が看護師やPTなんかと回り始めていた。少しじっくり見学させてもらったので、何人か目についた患者さんを紹介してみる。
・80代のおばあちゃん:顔はしわくちゃで可愛らしいのだが、可哀想なことに夜中に全身を犬に咬まれてしまった。顔から両腕・両足まで・・・。何でこんな姿に。。相当凶暴化してしまったのか?夜中にNusche先生が呼ばれて駆け付けたという症例だ。創を洗浄し縫合しているが、各創の間より細い鋼線に取り付けられた小さなセメントビーズのような物が留置されている。抗生剤が含浸されているということだ。汚染創にはドレーンの代わりに使用しているとのこと。
・20代前半の青年:自分がこのBGで初めて手術に参加させてもらった症例なので妙に愛着がある。下腿遠位の開放粉砕骨折後の軟部組織欠損に対する広背筋遊離皮弁術後だ。現在は内反変形が目立ってきている。自分としては、術中から気にしていたことなのだが。Plastic surgeonは皮弁の生着などに関しては良く診察するが、機能的なことに関してはやはり苦手である。実際、手術でも外側側副靭帯が全くないのにお構いなしなのだから。一貫して皮弁まで扱える整形外科医が治療していく重要性を改めて痛感する次第である。
・40半ばのおじさん:急患で片側の伸筋腱縫合をさせてもらった症例だ。ほぼfull extension可能で現在装具装着+リハビリ中だ。Sehr gut!(とても良い)そうだ。安心した。
・40後半のおばさん:不運にも両手の母指をMPレベルで電動工具により切断してしまった方だ。まだここに自分が到着する前の症例で、もう1ヵ月半以上入院しているがあまりお目にかかったことはなかった。右側は再接着したようだが、左はMPレベルから先がない。どういう経緯でそうなのかはまだ不明のままだ。今度Rahmanianに聞いておこう。
・70代のおじいさん:急患で母指PIPレベル以遠を切断したけど挫滅が強く再接着しなかった症例だ。この症例も手術に参加させてもらっている。示指背側からKite flapのように島状にflapを移動させ、母指先端軟部組織欠損部をカバーした。リハビリ中で頑張っている。ちょっととぼけたreactionが面白い人だ。示指背側の全層植皮部分が陥凹しているのと、まだ示指PIP関節が硬いようだ。こう言う良い症例をみると旧態依然としたアルミホイル法で粘るのも時間的に大変だしどうなのかなという気になる。大事なことは、皮弁というoptionも持っていた上で総合的に判断することなのであろう。
・50くらいのチョイ悪親父(陽気なイタリア人ジェローラモみたいな感じ):前腕をプレス機で数時間ほど挟まれたまま抜けずに前腕の筋群が壊死、皮膚がデグロービングされた症例。先日Phau医師がALT free flapをした。術後経過良好。このような広範囲軟部組織欠損でもrecoverできるflap技術は、最近もう特殊な技術ではないんだなと思ってしまう。
・40半ばのおばさん:昨日の美容外科手術(下腿の脂肪除去)の症例である。術前より細くなった自分の脚を見て喜んでいる。あれくらいでも嬉しいんだなと妙に感動した。
・30代後半の男性:下腿開放骨折後の軟部組織欠損にSural flapを施行したが生着せず、先日ALT free flapを再手術した症例。先ほどのおばちゃんと違い、妙に顔が暗い。回診医師の質問にも非協力的姿勢だ。。。やはり手術が上手くいかなかったこともあり、医療者側に不信感があるのだろうか?こういう方を見ると、手術は常に成功させ続けなければならないと気が引き締まる。手術にホームランはいらないかも知れないけど、常にヒットを打ち続けなければならないのだから。
9:20 回診後に部屋で少しのんびりしてから、手術室に向かうとNusche先生が手を下して上がってきていた。もう1例目(手術が繰り上がっていた!)が終わってしまったのだそうだ。母指MP関節尺側側副靭帯損傷(陳旧性)に対して、長掌筋腱を用いて再建を行った。見学しておきたかったのだが。。。残念。。
9:30 Op室内をうろつくが、ちょうど入れ替えの時間と重なって、どの手術もタイミングが悪かった。もうこの時点で10例ほどの手術が終了し、次が始まろうとしている。仕方なく休憩室で軽食を摂ることにする。ちょっと遠くにあったミルクを取ろうとしていると、髭面が印象的なおじいさん先生(trauma team)が話しかけてくれる。この人は時々手術室で見かけるが、マスクを外すと長いヒゲがくるんと丸く上がっているので面白い。きっとお気に入りの髭なのに違いない。日本は綺麗なんだろう?って聞くので京都やら阿蘇やら外人に人気のある観光地のことなのかな?と思い、確かにいろいろ見どころはありますけど、ドイツに比べればゴミゴミしています。人口密度が高いので。日本に行きたいと言う方は良くいるが、実際に行ったことがある人は意外に殆どいないのである。皆一様に行きたいけど高いから。と言っている。
10:30 すでに2例目の母指CM関節OAに対する関節形成術が始まっていた。執刀は今朝チーズケーキを持ってきてくれたDoldller医師だ。まだそれ程経験がある訳ではないようで少し苦労されていた。キリの良いところで場所を移動させてもらう。
11:00 他では肩鎖関節脱臼に対して、シンセスのフックプレート(ハーケンプレートと呼んでいた)を用いて固定している。これで終わりなのかと思いきや、Tensor fascia lataを用いて制動を追加するらしい。興味深かったのだが、残念ながら外回りも忙しそうだしスペースもなかったので追い出されるように移動することになる。
11:20 隣の部屋では、C6-Th1の固定術をしているよう。先日、Schaller教授との一コマをデジカメで収めてくれたtrauma teamの長身の先生が参加している。Trauma teamでも脊椎手術に関わっているようだ。
11:30 着替えして別区画のseptic areaの手術見学に移動する。Lotter医師が学生と前腕の植皮と母指の挫滅創後の処置をしていた。母指の治療方針について悩んでいるよう。途中でNusche先生に方針を訊ね、結局はamputationすることになった。術前の患者説明では何て言っていたのだろうか?術中判断で・・・という常套文句を使っていたのかも知れない。
11:50 昼食に向かう。今日は珍しくライスがメニューに上がっている。しかし日本で食べるお米ではなく、細長くパサパサのやつだ。これだけでは食べられないので、ピラフにしたりソースをかけたりする。久し振りにフィッシュ(サーモンの焼いたもの)を食べた。
サーモンにパサパサライス.jpg
12:30 いきなりPHSが鳴った(トイレ中だったのに・・)。Saal 9の看護師です。次の手術が準備されているんだけど、ドクターが誰も来ないので手伝いに来てもらえるか?とのこと。何で自分の番号を知っているのか不明であったが。とにかく用を足してから急いで駆け付ける。
12:45 上半身・体幹の火傷の女性の手術で包帯を外したり準備が大変なのだ。ベテラン看護師のクリスティアーノ(ドクター達に名前で呼ばれている看護師は自然に覚える)が暇そうな僕を呼びつけたのだ。何度か一緒に手術に入っていたので少しは知っていてくれたんだろう。準備を始めていると遅れて学生のGonser君やLotter医師がやってくる。最後にRahmanianも現れ、もう一人の学生のクリストフもやって来たので人数は十分となる。準備完了しそこは後にする(正直言うと火傷の手術はあまり興味が沸かないのだ)。
13:30 またaseptic areaに戻り、着替えて手術見学にうろつく。今日はなんだかウロウロしていることが多いな。あまり目障りにならないようにだけ注意しよう。鼡径部のリンパ節摘出や下腿のPilon骨折(先日の上腕骨近位端を素早く終了させ颯爽と去って行った長身のtrauma surgeonが執刀)などを遠目に見学。まだtrauma teamに完全に見学に行くという感じにはなっていないので遠慮がちに見学する。
15:00なかなか手術が終わらないので、いったん外に出て病棟に行ったりする。リハ病棟のPCを見ていると、すれ違うと良く挨拶してくれる若手の背の低い医師(trauma teamだそうだ)が話しかけてきた。日本の秋葉原に行きたいとか、NINTENDOのWiiは面白いとか言っていた。何か困ったことがあれば声をかけてくれよと優しいのであった。
16:00 前の手術が押してしまったので、今日Rahmanianの手術に助手で入る予定だったのがようやく搬入になった。準備を済ませて彼の登場を待つのみにしておく。もうこの辺りの準備(こちらのやり方も)は慣れてきた。
16:30中指の中節レベルでの軟部組織欠損である。挫滅創が壊死したようである。
中指軟部組織壊死.jpg中指軟部組織壊死2.jpg
比較的欠損領域も広いし中節骨にも及んでいる。これに対して手背からの逆行性島状皮弁(intermetacarpal flap)でカバーしようと言うものだ。ディスカッションでamputationの話もでていたようであるが、若いし一度は試みるべきだと主張して彼が行うことになった。手技自体は皮弁内の血流を保持させるべく慎重に展開していかねばならないが実に興味深い。彼の手術は組織に対しtraumaticな点も多く、雑であるが早いし手慣れている。反面教師的な側面もあるしテクニックでも見習う所もあり勉強になった。
皮弁挙上後.jpgintermetacarpal flap術後.jpgintermetacarpal flap術後2.jpg
18:30 手術が遅く始まったのでこんな時間になってしまった。こちらでは完全に時間外だ。手術室も一部を残して殆どが終了している。
19:00 彼の部屋でPCに向かっていると、もう帰ったかと思っていたRahmanianが戻ってきた。疲れ顔だ。一度帰ろうとしたが何やら自宅との折り合いが合わずに(夫婦喧嘩か?)、暫く部屋で手術記録の録音をしている。
手術記録を録音するRahmanian.jpg
20:20 ようやく彼は帰っていった。こんな時間までいるのは珍しい。
21:00 何だかんだで自分も遅くなってしまった。帰宅する。今日も買い物に行くことができなかった。しかし、今日は来週ミュンヘンで行われる、バイエルンミュンヘンvs ユベントスのチケットが送られてきたから。ちょっと嬉しいのだ。

2009/9/24 trauma手術が新鮮に見える [平日]

6:30 起床、身体の筋肉痛も徐々におさまってきた感じである。天気も良いようだ。
7:25 病院に向かう。北東の空を見上げると今日もシュトゥトガルト空港からの飛行機雲が幾つも立ち上っている。気持ちが良い朝だ。
7:30 朝のカンファが開始する時間だが、なかなかドクターが揃わない。教授はprivateな用事(何だろう?)で休みだとか。Nusche先生は稀にある当番なのに運悪く夜中に呼ばれてしまったようで不在。Phau医師も昨日はALTの手術が遅くまでかかったので来ていない。Rahmanianが仕切る感じになっていた。今日は予定が変わってしまったので、手術の振り分けを変えることとなって忙しそうだ。こういう時は少し距離を置いておくのが良い。
7:45 Casinoに朝食を食べに行く。自宅の朝食用の食材が切れてしまったのだ。朝は久し振りにやってきた感じ。しかし相変わらずの品揃えだった。
8:10 手術に入ろうと手術室に向かう。今日はHPRVチームの出足が遅いのでtrauma teamの手術見学に行くことにした。ちょうど上腕骨近位端骨折(A3+大結節に骨折線あり)に対してORIFをしていたので、執刀医師(190cm以上はあろうかという巨人!)にきちんと許可をとって見学させてもらうことにした。介助Nsはハイ!ユキチって良く話しかけてくるちょっとカマっぽい看護士だ。彼はロン毛を束ねているし、OK!みたいな時に良くウィンクするし、あっち系かも知れないと密かに思っている。凄いいい人だけど。しかし介助としての腕前は大したもんだ。traumaのexpert nurseのよう。自分に対して妙に気を使ってくれる。名前は2回聞いたけど書きとめて置かなかったので忘れてしまった。また聞くのも悪いので聞けずにいるという状況だ。今度学生君にでも聞いてきてもらおう。さて、手術の方は実に素早かった。9時の時点ですでに固定は全て終了し閉創に取り掛かっていた。骨折は2週間以上前の受傷だったそうで、既に仮骨が出来つつありちょっと苦労していた。そこをエレバではがしてテコの要領で整復していた。Approachはminimalなdeltopectoralのようだった。遠目での観察だったが、手順・要領にスキはない。AOテクニックをしっかり踏襲している。シンセスのPHILOSのゾロ製品?(ドイツ製らしくコストが結構安いのだとか・・・)を使用していた。ちょっとの見学だったが細かなテクニックを若干盗めた気がする。この先生は上手に違いない。久し振りに新鮮な体験をした。AOのfellowshipと言いながら、ORIFを殆ど見学していなかったので良かった。
上腕骨近位端骨折.jpg上腕骨近位端骨折術後正面.jpg上腕骨近位端骨折術後側面.jpg
9:15 Rahmanianが母指CM関節OAに対しての関節形成術(こないだと同じEpin法)を指導しながら行っている。執刀はJaminet医師だ。もう佳境に入っており、FCRLのhalf slipを縫合するところだった。ちらっと挨拶してまた他の所をうろつくことにした。
9:50 休憩室で軽食をとりつつ休む。学生のクリストフ君(今週から来た新参)が良く話かけてくれる。彼はしきりに写真を撮って欲しいというので、手洗いして手術に参加している光景などをおさめてあげているのだ。隣の大学病院からではなく、ハンブルグの方から2週間研修で来ているのだと。真面目そうだが結構楽しい奴だ。
10:00 次の手術は、下腿への遊離皮弁(ALT)術後の皮弁部の美容的問題を主訴に来た女性の脂肪吸引術だ。女性ならではの訴えであるが、美容的問題よりも足関節の可動域制限の方が他覚的にみた時に困るのでは?と疑問に思っていた。術前回診の際に歩き方を見たけどスムースではなかったし。まあしかし本人の希望だそうだから良いのであろう。これは皮弁術後なので保険はきくそうである。手術は小切開(1cm弱)から脂肪を吸引し易くする溶解液(エピネフリン・リドカイン・あと大事なもの忘れた・・・)を注入し、まんべんなく行きわたるように皮膚上からローラーのようなものでmassageしあとはひたすら専用のカニューレを用いて吸引していくという手術である。もう皮弁の血行などお構いなしのようだ。術後はかなりvolumeが減った。ここから更に皮膚もトリミングすれば更に良いのにとも思ったが、小切開のこだわりがあるようでそれで終了となった。日本でもこの類の手術が美容外科で行われているのだろう。ちょっとそちらの世界を垣間見た気がする。
下腿脂肪吸引の実際.jpg下腿脂肪吸引施行後.jpgTeam liposuction.jpg
11:00 次はこちらでは比較的多い、デュプイトレン拘縮に対する手掌腱膜切除術であった。昨日Schaller教授もしていたばかりだ。週1-2例あるかも知れない。今日はRahmanianが執刀している。助手で入らせてもらった。手術自体は特にこれと言ったことはなかった。しかしルーペを用いないで行っているので結構危険な気がした。
12:30 クリストフ君と昼食に向かう。今日もマカロニっぽいもの(こちらの主食みたい)にミートボールが添えられていた。。。これにソースがかかる。それとサラダ。彼がキウイフルーツの半分をくれた。話を聞いてみると彼は外科系で特に形成外科方面に将来進みたいのだそうだ。大学のいわゆる5年生なのになかなかしっかりしている。日本の学生よりも実に落ち着いているのだ。傍から見たら彼が医者で私の方が良く解っていない学生に映るだろうなとか思っていた。
マカロニ+ミートボール.jpg
14:00 午後の手術は1例のみ脊損で対麻痺の青年の臀部褥創に対する大殿筋部での局所皮弁手術であった。予定開始時間より少し遅れていて、手術室内でウロウロしていたら小さいおばさん(掃除の人?)がほら、ぼっーとしていないで、こっちの手術(隣の部屋の患者だから関係ないんだけど・・)が終わったんだからさっさと手伝いなさいよ。みたいに怒った顔で何だかまくし立てている。何言ってんだ?と思いつつも麻酔科の先生一人で困っているようだったので、搬出を手伝った。やはり、見学の学生か何かと勘違いされたようで、後で自分が日本から来た整形外科医だと挨拶すると、麻酔科の先生はOh! I’m sorry!!と謝られたけど。あのおばちゃんは知らぬままだろう。。まあ良い。
14:30 臀部褥創は感染しており、独特の臭いが部屋中に充満する。学生のGonser君(PJ :6年生なので他の学生より経験がありちょっと偉い)がマスクに匂いの素みたいなものをつけてくれた。まあイイ匂いなんだけど強すぎてムセる。そうこうして腹臥位にして手術に取りかかる。殿部の筋肉が薄く結構皮弁移動後も心配であったが、結局は両サイドにV-Yのように大きく切開をいれて前進させて縫合した。大殿筋を結構切離するし剥がしているのでflapへの血流が心配だったが、mainの血流(Piriformisの頭側・尾側marginから出ている血管だそうだが)が保持されていればまず大丈夫だろうとPhau医師は言っていた。
15:20 もうすぐカンファの時間であったが、Lotter医師が参加してくれて、両サイドで別れて作業できるようになったのでペースが上がった。
16:20 縫合などをassistさせてもらい、何とか両サイドから前進させた皮弁が縫合された。吸引ドレーンは計4本接続した。
臀部褥瘡.jpg褥瘡に対する大殿筋皮弁術後.jpg
16:40 Gonser君とともに手術室を後にする。日本の医者は忙しいんだってね?そうだね外科系はたいがいがね。夜の10時まで働くことも多いよ。クレージーだね?でも金持ちなんでしょ?実労働から考えたら全然大したことないよ。一部の開業の先生で儲かってる所もあるみたいだけど。ドイツが羨ましいよ。でもドイツの医者もそれ程儲からないみたいよ。とか言っていた。ドイツで子供のなりたい職業は、医者かパイロットが多いんだそうだ。日本も同じかな?でも今は違うのかも?
17:00 Rahmanianの部屋に戻ると彼はまだ仕事している。今から病棟に行こう!とまた金魚のフンみたいに付いていく。明日の手術の回診と今日の術後checkであった。
17:40 彼は帰宅した。そのままいつものように部屋に残って仕事する。本当はもう少し早かったら街に出て買い物しようと思っていたんだけれど。何しろ日曜日スーパーが休みなので。
19:30 まだ何とか明るいうちに今日は帰宅する。しかし少しずつ暗くなるのが早くなってきている気がする。今日はそれ程疲れていない。
20:30 部屋でPCのバックアップなど整理をする。こういう作業をし出すと結構時間がかかるものだ。そう言えばドイツに来てからPCのバッテリーの減りが早くなった気がする。

2009/9/23 教授とのセッションとヘリ搬送 [平日]

7:10 遅くに起床した。急いで準備する。天気を気にする余裕もなかった。
7:35 食事せずにカンファに向かう。今日は意外に出席者が少ない。遅れたので端っこの方に申し訳なさそうに座る。もう3週間以上経つのに相変わらず内容は理解できない。。今日も数例の症例呈示のみだった。カンファ終了後、Dr.Nuscheがつかつかと寄ってきて、ドイツの新聞の切り抜きをくれた。鳩山由紀夫新内閣に関する記事のようである。この間、手術中に話題になっていたからだろう。有難かったのだが、ドイツ語なので殆ど理解できず。。。
8:00 ICUの回診を行う。昨日の広背筋遊離皮弁のおばあちゃんの皮弁状態も良くほっと安心する。元気そうで今日中には一般病棟に戻れるだろうということであった。元気な85歳で良かった。
8:30 今日は外来手術が6つくらいとALTのfree flapがあったのだが、Schaller教授の外来手術(手の外科症例)に一度入っておきたかったので、ALTの方は後で見学することにしていた。しかし、Rahmanianが今からCRONA(隣の大学病院の外科系病棟)に回診しに行くんだけど一緒に行くか?と言うので仕方なく付いていくことになった(Noと言えない日本人・・・)。念のため、今日は教授の手術を見学したいからそれまでには帰らしてもらうからね。と言っておいた。
9:00 タクシーでCRONAに向かい、2人程患者を診察した。うち1例目は上腕部の上腕動脈などの損傷でRahmanianが土曜の朝方呼ばれてこちらの先生と一緒に手術をした症例だった。何でBGに運ばれてこなかったんだい?と聞いたら、出血が酷い血管外傷だったから救急隊の判断で、血管外科のある大学病院に搬送されたのだということらしい。本来ならこういう症例も自分達が見るんだけどと言っていた。血流は良いが、診察してみるとどうも正中神経麻痺がある。手術中に正中神経は縫合したのか?と聞くと、いやしていないと。断裂はあったのか?いや良く解らない?え~?確認していないのか?と思ったのだが、それ以上は口にしなかった。完全麻痺ではないようなので暫く様子をみる他ないのだろうか。しかしこのCRONAには手の外科はないとのことだから、あとはBGで見ればいいんじゃないか?と尋ねると、急患で呼ばれて無償で自分が手術してしまった症例だから、今更BGに送る訳にもいかないのだそうだ。いろいろ大変なんだなと思った。もう1例はDM性の下腿外側の壊疽であったが、心臓のバイパス手術なども行っており、明らかに血管の状態は悪そうだ。このような症例にfree flapを冒険するのは危険すぎるというものだ。しっかりした方針はつかずに病棟を後にする。主治医に血管造影の予約をしておくよう指示していた。自分はそろそろ帰らないと教授の手術に遅れるので焦っていたが、帰りのタクシーがなかなか来ないし。ちょっと解剖棟に寄るからと彼は出て行ってしまうし。。。
9:30 結局遅れてしまった。急いで着替えて手術室に向かうと、前の2例が予定より早く終了していたこともあり、もう手術は中盤に差しかかっていた。お早うございます!と教授に挨拶し見学させてもらう。本当は手洗いさせてもらいたかったが。。。介助Ns.はなかなか挨拶してくれない例の彼女だ(年齢不詳。おそらくアラフォー?)。今日はまあまあ機嫌が良い。教授にもため口っぽく喋る。こういう人なのかなと理解して今後は対応することにした。手術は火傷後の皮膚性の瘢痕拘縮(皮膚性合趾症)であったが、比較的程度は軽くいわゆる水かきの部分の局所皮弁形成(Z plasty)を3ヵ所に行っていた。
Schaller教授の執刀風景.jpg
背側からのみの切開だったので、始め??と思ってみていたのだが、程度が軽い場合は背側からのZ形成のみでOKなんだそうだ。通常は、いわゆる谷間の部分に掌背側から皮弁を作成し、不足する部分には全層植皮をすると丁寧に教えてくれた(自分にディスポの手袋を実際にはめさせて、その上からボールペンでマーキングしてくれた)。色々と質問すると実に親切な先生だった。カンファや回診では、うむ。よし。じゃやってみなさい。みたいな感じであまり言葉を多く発しない人なのでなかなか近寄りがたい存在だったのだが、実は気さくなのであった。術中もギャグっぽいこと(オヤジギャグか?)も言っていたし。皮弁はいったん仮固定しておいてからまた縫合し直していた。また、全てを一気に縫合してしまうのではなく、ある程度コーナーなど肝の部分を縫合しておいた後、駆血を解除して状態を確認しているのだった。手技はとても丁寧でゆっくりしている。かと言って遅くない。いぶし銀のテクニックである。こういう術中のゆとりを持ちたいものである。
10:30 手術が終了し、休憩室で教授と二人っきりで会話する機会を得た。教授からは、どうだね?ここの研修は?みたいなことは全然聞いてくれないし、日本はどうだね?とかの興味もないよう。しかし色々と話していくうちに共通の話題もあった。Micro surgeryはアジアの方が有名だよ。Dr. Fu-Chan-Weiはとても有名だ(さすがに今度そこにも留学しに行きますとは言えなかった)。し・知ってますよ・・。指への足趾移植を開拓したパイオニアですよね。あと、ハノーファーにいた時に(もう20数年以上も前だけど)日本からの留学生でDr. Miyamotoというのがいたよとか(どうも広島の形成外科の宮本先生のことのよう)。途中、隣で手術し終わって入ってきたtrauma teamのドクターに写真撮影を頼んで、休憩室での教授との一コマを収めた。
休憩室で教授とのワンショット.jpg
10:50 教授の2例目のデュプイトレン拘縮(環指メインで小指も。MyerdingⅡ°)の手術が始まった。Lotter医師が引き続き担当のようでsettingしてくれている。ユーキチまだ筋肉痛かい?自分もまだ残っているよ。また今度する時も来てくれるか?多分この筋肉痛が治らないと出来ませんが・・。もちろん。また声掛けさせてもらうよ!。あっは・はい。みたいな会話をしながら教授も準備完了。この手術に関しては、皮切が見て見たかったのだ。どれどれと。部分的にstep させているが、基本的にはZig zagで最終的にはopenにしないでtightに縫合するとのこと(部分的にZ形成やV-Y前進なども併用)。
デュプイトレンの皮切.jpg
11:40 途中ちょっと抜けさせてもらい、他の手術見学(橈骨遠位端骨折やALT flapの進捗状況を確認したり)に行ってしまったのだが、帰って来てみると、ちょうど教授が手を下していて部屋の入口でばったりと会ってしまう。手術見学させて下さいっ!て頼んだのに何だか気まずかった。。
12:00 気を取り直すため昼食に向かう。ちょうどWelling医師が座って食べていたので斜め前に座る。
マカロニとチキンソテー.jpg
途中、隣にJaminet医師がにこにこやってくる。彼は顔が白くて(白人だから当然なんだけど)、なかなか愛嬌のある顔で7-3分けだ。日本語もかじってくれるので可笑しい。今度ミュンヘン(ミューニックと言わないとなかなか通じない)に行くんだけど・・・。おーそうか!オクトーバーフェスタかい?まあそうかな?ところで、同じ方面に車で行く人がインターネットで同乗者を募集をしているって聞いたんだけど(ドイツの若者の間では有名なシステムらしい)、どうやったら調べられるのかな?ドイツ語は理解できないんだけど。。。じゃ今度パソコンで教えてあげるよ。と言うことになった。危険ではないのか?と聞くとまず問題ないよと。この前Apelがハンブルグに行った時も同乗者を募ったみたいだよ。とか言っていた。一度試してみるかな?と思った。
12:20 次の手術はNusche先生の第2中手骨基部のORIFだった。手洗いする積りだったが、学生が先に到着していたので譲ってあげた。この症例は術前Xpがなく良く解らなかったのだが、第2中手骨基部の背橈側の小骨片が若干転位しているのみであった。Imageで方向をいろいろ変えなければその転位の程度が良く解らない。CTは撮らなかったみたいだが手術適応となっている。カンファに出た気がしないんだけど・・・。Nusche先生も実際は自分がみていた症例ではないらしく、しきりにカルテを読み返し、誰かに電話したりして確認している。手術適応なかったのか??とちょっと心配だったが、imageで確認すると関節面の小骨片が若干rotationしている。ということで、しっかり展開してrepositionし2.0mm小皮質骨screw 1本(ストライカー製を用いていた)で固定した。AOのfellowで自分が来ていることを知っているのだろうか、AOのシンセスも好きなんだけどね、ここにはこれが常備してあるから使っていると言っていた。出来上がりは良くなった。これなら手術しても悪くはあるまい(保存でも治療可能だとも思うけれど・・)。
第2中手骨基部骨折.jpg第2中手骨基部骨折術後.jpg
13:00 隣でtrauma teamがアキレス腱断裂の手術を始めていたので覗いた。どうも経皮的に行うらしい。タタミ針のような針が両端についた太めの糸で両サイドの3ヵ所ずつ小切開を加えて、ものの10分程度で終わらせてしまった。助手の学生?に何やら語っていたが、怖いのはsural nerveを巻き込むことと皮膚のひきつれだ。みたいなことを説明している。簡単で良いが効果は果たして!?。。。術後は日本でも良く見るアキレスブーツのようなものを使用するようだ。
13:20 次の手術は学生が食事で抜けていくというので手洗いすることとなる。簡単な第5中手骨骨幹部骨折術後の鋼線抜去である。しかし、鋼線が深く埋没しており、かつ通常より背側からの刺入だったようで少し手こずった。10分程度で終了。しかし、ドイツまで来て抜釘手術の見学に来たのではないんだけどな~。と思いつつも適応するまで我慢と辛抱するのであった。
14:00 ALTのfree flapの症例はかなり手こずっているようだ。この症例は外傷後の下腿前面の軟部組織欠損だったのだが、2週間くらい前にsural flapをしたが生着しなかった失敗症例なのだ。そのためかどうか解らないが、下腿の血管同定が非常に難渋している。おそらく側副血行路の発達のためと血管が細いためだろう。まだ皮弁は切離されていなかった。Phau医師とWerding医師が苦労している。閉創の手伝いにでもと思っていたのだが、まだ切離前だし。。ということで、外からしばし眺めているのだった。
15:15 カンファも近いしいったん手術室を後にした。ICUに立ち寄ると昨日の85歳のおばあちゃんは無事一般病棟に戻った。flapも順調らしい。ICUの部屋の前で女学生のMaudaviが突っ立っている。どうしたの?と尋ねると、Rahmanianがここで待っていろと言うから今来たトコなんだけどね。彼なら今Saal 9(ALT flapの進捗状況が気になり見に来ていたた)に入ってるよ。今さっき着替え室であったから。その後はすぐカンファに行くって言ってたけど。。。あ~そうなの?とちょっと不機嫌そう。どうも包交の手伝いを頼まれていたようだ。もう時間もないから取り敢えずカンファに行こうよということで向かった。
15:30 夕方のカンファ開始。一人患者が入ってくる。以前flee flapをした女性(年齢は50そこそこか?)が、そのflap側の美容的問題を主訴に受診したそうだ。明日、defatting(膨らんだ脂肪を除去する手術)を行うとのこと。もう血管の問題はないのか?とちょっと遅れて入ってきたRahmanianに聞くと、もう辺縁からの血行で大方問題ないんだけど、やっぱりちょっとリスキーだ。しかも傷は目立たないようにしてくれと注文しているから厄介なんだ。どうも細いチューブのような物を用いて脂肪吸引をするそうだ。果たしてどんな手術なのだろうか?
16:00 Rahmanianと学生2人は火傷患者の術後包交に向かって行った。大変そうだし人手もあるのでお暇した。ALT flapの状況が気になるのでまた見に行く。カンファが終了すれば帰っても良いのだが、まだ時間が早いので何かしていなければ落ち着かない。日本ならまだまだ手術真っ最中という時間だし。ようやくマイクロ下の縫合に取り掛かっていた。しかし集中しているようで声もかけ辛い。手持無沙汰で見ていると、Nusche先生が現れた。皮弁採取側の閉創に参上したよう。まだ私には任せられないということだろう(本当は当然なのかも知れないけど・・・)。少しがっくりくる。しかもマイクロ導入中なので術場にspaceもないので手伝うこともできず、結局何もできず手術場を後にするのであった。
17:00 Rahmanianの部屋(今は二人の共同部屋みたいになっている)に戻る。彼が電話しまくっている。大概電話で済むような用事は出かけずここで済ましているのだろう。今度部屋を引っ越すことになっているんだ。もっと広くなるぞ。ユーキチもこのままここに残るか?などと冗談っぽく話している。今日彼は手術していない訳なのだが、結構対外的な活動(今度の主催学会の事務的なことなど)もしており、教授に信頼されようと頑張っているようだ。
17:20 彼は帰宅していった。そのまま部屋に残り記録を残すことにしよう。
18:50 外でヘリの音がする。また来たみたいだ。この間も屋上まで見に行ったのが、少し到着が遅くて搬入の様子を見ることが出来なかった。今日はすぐ駆けつけてみた。いつもは閉じている屋上の鍵が開けられ、救急隊とともに現れた。時々手術場で声をかけてくれるtrauma teamのドクターが今日の担当のようだ。
屋上にヘリ到着.jpgヘリからの患者搬送に立ち会う.jpg
興味があるのかい?日本では整形外科なもんで。救急にも興味があるんです。そうか、じゃ一緒に行こう!と急患室(HPRVで使用する場所とはまた違う所、Trauma platzという区画)に行き、初療を目の当たりにさせてもらった。バイク事故の中年男性で、どうやら頚椎損傷(完全麻痺ではないよう)と四肢外傷のようであった。PolytraumaはBGでは見れないので(脳外科・腹部・胸部外科などの科がないから)隣の大学病院に搬送されるんだと言っていた。ここには整形外科的多発外傷は多いよう。とは言っても他の外傷を合併していることもあるのでTrauma teamはFASTなど外傷初期診療に関しては習得していなければならない。部屋に搬送後(もう既にルートは取られている)、ものの数十秒でFASTが行われた。特に現時点で出血はないようである。骨盤の用手的不安定性checkもしている(JATECでは奨めていないけど)。
外傷初療室風景.jpg
全身をimageで確認しながら必要な部位をレントゲン撮影。続いてCT検査へと流れて行った。ABCDに異常はなく全身状態は良好だ。チーフっぽいドクターに挨拶をしてその場を去った。たまにはこういう現場に立ち会うのも新鮮で良いなと思った次第である。
20:30 今日の出来事をまとめblogにアップし帰宅する。

2009/9/22 全身筋肉痛の中での長時間手術 [平日]

6:00 いったん目覚めるが体がとても重い。。。目覚ましを合わせ直し二度寝してみる。
7:00 遅刻してはいけないのでもぞもぞと起き出す。体中痛いのだが特に左脚が痛い。日頃の運動不足がたたったようだ。湿布を貼って出勤の準備をする。
7:25 天気はまあまあだ。足を若干引きずりながら病院に向かう。途中患者さん達が怪訝そうな顔で眺めている。
7:30 昨日のフットサルメンバーもだいたい揃っている。みんな一様に筋肉痛だと言っているが、程度はどうも自分が一番酷い感じである。カンファは昨日の当番だったStahl先生(彼は雰囲気からして真面目そうなのだ)が数例のみ呈示していた。
8:00 今日は広背筋の遊離皮弁があるので長丁場になることが予想された。早くに学生(昨日から来たばかりの新しい彼。来ていきなりフットサルに付き合わされていた。なかなかイイ奴)と二人で手術場に向かったが、まだ麻酔導入中だったので、休憩室で軽食をとる。途中、Welling医師も入ってきた。彼もふくらはぎが筋肉痛だと言っている。学生時代はスキー部だったからサッカーはあまりしていないんだと言っていたが、結構上手なのである。
9:00 少し麻酔導入に手間取ったようで少し遅れて手術開始となった。TKA術後に表層感染を来し皮膚・軟部組織欠損となった部分を遊離皮弁でカバーするという症例だ。広背筋採取班は、RahmanianとWelling医師、下腿の血管剥離・同定班はNusche先生と私、学生の3人で分担。Nusche先生がmicroの手術に入るのは珍しく、自分でもflapの経験はあまりないんだと言っていた。膝窩動脈周囲の解剖もあまり詳しくはないということでそこに整形外科医である自分が配置されたよう(そんなに詳しくもないけど・・・)。しっかりassistしようと張り切ったのはいいが、不自然な体勢での鈎引きとなるので筋肉痛のbodyにはかなり応える。あまりばれないように時折体を動かし何とか頑張った。
11:00 以前にtrauma teamで腓腹筋の局所筋皮弁を行っていた影響もあり、炎症性の瘢痕・癒着が結構強く、動静脈の剥離に手間取ってしまう。theoryとしては、健常な部位から攻めていくということがあるのだが、始めは展開が狭くやりにくそうだった。切開を拡げることを提案しつつ、何とか膝窩動静脈のmainが現れる。85歳と高齢(術直前に知って驚いた!)なこともあり、動脈壁が硬化し脆い。これは非常に危険な操作である。下手したら大出血して止血困難な可能性もあるからだ。
11:50 縫合する予定の動静脈の分岐(superior lateralis genusだと思われる)を同定し終了。途中、膝窩動脈の壁に穴が開いて大噴射したけども・・・。こういう時は落ち着いてクランプし縫合するものだ。血管外科や血管を扱うことの多い再建外科医達は血液が大噴射してもそれ程焦らないようだ。例えば、flapの血管縫合の際、比較的多いleakがあった場合でも、いったん遮断してしまったら血栓が生じてしまうのでクランプせずに噴射させたまま縫合している。最善策はleakさせずに一度で的確に縫合することだと思うけど。
12:00 広背筋の採取は特に問題なく、もう既に終了していてRahmanianは休憩に入っていた。戻ってきて皮弁の血管茎を結紮し、Nusche先生と交代した。flapの抗凝固処置を施してからflapを仮固定。マイクロを導入した。自分らNusche先生チームも休憩から 戻る時、もうNusche先生は手を下すだろうと思っていたが、マイクロのassistをすると言って手洗いし出す。そうなるとあまり人数がいても邪魔なので外から見学することにした。
13:00 Welling医師が皮弁採取側の閉創を終えて手を下して出て行った。外からの見学も今日は辛い。同じ姿勢で立っていると左膝窩部や左足関節が痛む。時々、休憩室で時間を潰したり、いったん外に出て、事務的な手続き(AO財団から振り込まれる給付金の受け取りの件などの調整。もう3週経過するのにまだ振り込まれてきていないというのである!)に病院の秘書さん(と言っても強面の男性)の所に面会に行くなどして過ごす。
14:20 ふらふらとマイクロしている所を覗きに行く。うまく行けばそろそろ終了だろうか?と思っていたが、何だか今日は雲行きが怪しい。。さっきまで学生もいたが何故かもういなくなっているし。。。Nushe先生が疲れてきている感じだ。代わりたいが、それも出しゃばり過ぎだな?とか考えてちょっと部屋を空けていた隙に戻ってきたWelling医師が代わっていた。手柄を取られた感じである。
14:40 そうこう手持無沙汰にしているのが解ったのだろうか?ちょっと大変だから手伝ってくれと頼まれたので手洗いして参加させてもらった。しかし、マイクロ手術の3人目はたいがいマイクロ下での作業ができないのでassistしにくいのだ。静脈の流れが悪いので静脈吻合をやり直したりした(最終的には膝窩静脈にend to sideで縫合することになった)。
15:00 なかなか静脈からのleakが止まらなくイライラしている所に、膝窩動脈の壁が裂けた!!ビュッーと大噴射が一直線にマイクロ本体、レンズ、Rahmanianの顔面、私の左肩に飛び散る。指で押さえても止まらない。とてもヤバい雰囲気。慌てつつもクランプして噴射が弱まったところで駆血を入れることにする。2針8-0ナイロンでrepairし噴射は何とかおさまる。
15:20 ものの15分位の攻防であったが、かなり出血はしてしまった。85歳の身体には応えているのだろうか?と不安にもなった。麻酔科医師も結構慌てていた。結局、輸血は6単位で済んだよう。血栓の形成が不安であり、ヘパリン温生食(生食は保温されている)やニトロのスプレーを散布したりしている。最終的に静脈吻合が終了し駆血をoff。吻合部のleakやflapの血流状態を確認する。緊張の一瞬である。少し時間をおいて(10秒程度だろうか?)徐々にflapに赤みを帯び、capillary refill timeも1秒程度と早く状態は良好であった。若干静脈からのleakはあるものの、止血用のメッシュ?(名前不明)で圧迫しておき暫く様子をみることとする。
15:40 dopplarを用いて血流が良好なことを再度確認。佳境は終了した。最後のflap縫合前に洗浄したのだが、今日はしっかりjet洗浄器が出ていた。しかし洗浄時間はあっさりしたものであった。TKAのインプラントが見えているのにと。。。結構心配。
16:00 flapの血管茎に緊張がかからないように、部分的に植皮をすることとして終了。形成外科なのに皮膚の縫合はいい加減だ(skin staplar:タカを用いる。表皮のadaptationがちょっと良くない)。今日はいろいろ勉強になった手術である。
17:00 術後管理はICUにて行われる。途中まで搬出を手伝ってようやく手術室を後にする。着替えの際に脚が筋肉痛で上がらない!これは4-5日続くかも・・・。
17:30 Rahmanianと術後のcheckに行き、血流が良いことを確認し安心して部屋に帰ってくる。彼も今日は疲れているハズだ。手術中は顔面シャワーを浴びて仁王のような形相になっていたし。ちょっとコーヒーでも飲んで休むか?彼の部屋にはイタリア製の結構上等なコーヒーメーカー(エスプレッソも作れる)が置いてある。
Saeco社製コーヒーメーカー.jpg
しばしくつろいでから自宅に電話した後、足早に帰路についていた。お疲れ様!と言って別れる。
18:30 私は引き続き彼の部屋でこの日記をつけている。今日はそう言えば写真を撮っていないことに気付いた。
19:00 帰宅。昼食はあっさりしていたので空腹だ。頼りの日本からの食材を使って今日も夕食としよう。
22:00 筋肉痛の身体を休めるには、ぬるめの風呂にじっくり浸かることだろうと思い、本を読みながら小一時間入った。

2009/9/21 なぜかドイツでフットサルを・・・ [平日]

6:30 起床。どうもいつもの癖でギリギリまで寝ていたいという欲求が勝ってしまい、起きるのが遅くなってくる。
7:15 新しい白衣に着替えて(汚れたら何着でも替えてくれる)病院に向かう。
7:30 1週間の始まりの朝のカンファレンス開始。教授が入ってきた。今日はNusche先生はいないようだ。また女医さん達の姿も見当たらない。みな休暇なのだろうか?さて週末の症例呈示が始まった。土曜に激しい前腕~手部外傷が搬送されてきている。Trauma teamが前腕の粉砕骨折に対して創外固定を施し、HPRV teamで軟部組織欠損の初期治療を行ったようだ。それ程深くはないが伸筋腱が露出しているので、今後二期的再建が必要になるであろう。薄いflapであれば側頭筋膜弁+植皮がbetterなのか?と一人想像してみる。他には金曜日の腹部の激しいデブリの症例が呈示されると、一同、どうしたもんかとため息交じりに議論し始めている。広背筋皮弁は?みたいな会話が飛び交っているが、手術に入らせてもらって内部を見てみたが、吻合血管を同定するのも難しそうだ。さてどうなるのだろうか?次々と合計7-8例の症例呈示が終了し、そのまま教授回診へと流れて行った。
8:10 恒例の月曜教授総回診である。この時間は他のteamも手術は入れておらず、月曜朝の手術開始は全体的に遅くなっているということに最近気付いた。やはり月曜朝というのは1週間の始まりなので、このようなある意味伝統的な儀式的回診をしているのかも知れない。教授は一般診療にはあまりしゃしゃり出てこないので、この場で全体を把握しているのであろう。何人か自分が関わった術後患者が気になっていた。大腿部に採皮したALT flap術後の方は殆ど綺麗に生着してくれていた。色素沈着もそれ程ないので目立ちにくい。白人は傷が比較的目立ちにくいのかも知れないと思った。Lotter医師(サッカー好き)が時に患者の解説をしてくれるので助かる。回診中はなかなか質問できる雰囲気ではないからだ。そうこうして2病棟全ての患者をcheckして回った。
9:10 軽くCasinoで朝食を摂った後、手術室に向かう。今日も2列平行に進行している(幸いseptic区画とambulantz区画なので、着替えせずに移動可能なので助かる)。1例目はRAによる示指MP関節破壊(滑膜増生強い)に対するsynovectomy+関節形成であった。もう大方終了していた。執刀はWerdin医師。関節形成は少し関節軟骨を削ったのみで、あまりいじっていないみたい。ギプスシーネ固定を施し終了となった。
9:45 他の手術室では変形性手関節症(外傷後)に対する関節固定+自家骨移植を開始している。執刀はLotter医師でPhau医師が指導している。背側から伸筋支帯をstep cutしている。日本と同じ手法だ。採骨をしておいてあげられれば時間の節約になるのだろうが、ここは自分の庭ではないので出しゃばらないように注意する。次の手術がそろそろ始まる頃なので部屋を移動した(*最終的にはplateを用いて関節固定していた)。
10:00 2例目は多発外傷後の症例(骨盤骨折もあり)で当科では月状骨周囲脱臼に対して観血的整復固定(鋼線刺入)を行っていたのだが、その鋼線が折損したので抜去するという(鋼線が径0.9mm?と細いし、SL間は1本でしか固定していなかったためだと思う)。Rahmanianはレントゲンを見るなり、おもむろに皮切して展開し出した。皮膚上からは触れなかったが、ほぼ良い位置に的中している。解剖がしっかり頭に入っている証拠である。ここら辺の経験などはなかなか大したものだ。月状骨間に埋まっている残存K-wireはそのままとして(途中で教授にTELで確認を入れていた)難なく終了。
11:00 3例目開始まで少し間が空いた。Ambulantzの前室は術前後の患者待機に用いているのだが、ここには雑誌がいっぱい置いてあるので時にぱらぱら見させてもらっている。ドイツ人は車がお好きなようで各種車雑誌が置いてある。日本車の紹介も結構されている(少し驚いたが意外とヨーロッパではマツダ車も人気があるよう)。同クラス車の徹底比較(性能・価格・快適性など)何かの特集が盛んだ。ついつい時間を忘れて眺めてしまっていた。
11:20 すでに搬入され準備しているようだ。執刀のWerdin医師が現れていないので、ベテラン看護師(スザンナ:いわゆる手術室の肝とも言える看護師。彼女に対して多くの医師が信頼を寄せている。お~い、スザ~ナ?あれはどこだっけ?この使い方はどうするんだっかな?シーネあてておいてチョウダイ。みたいに・・・)に教えてもらいつつ、一人でsettingしておいてあげた。大方準備出来た頃に彼が現れた。手術はキーンベック病術後(STT関節固定を行っていた!?)の鋼線抜去である。こういう簡単な手術には何故か学生が現れない。ちゃっかりしているのか?こんなのはユーキチに任せておけば!とでも思っているのか?どこかで休息を取っているに違いない。手術はものの10分程度で終了した。
12:00 RahmanianがICUで何やら電話しまくっている。金曜日の腹部デブリの患者の管理に追われているようだ。腹部外科に連絡を取ったりして忙しそうだ。ここら辺の管理も面白くて、執刀したPhau医師ではなくICU担当の彼が術後管理をしているのである。見事に役割が分担されている。連携が良くなければなかなかできないだろう。
12:20 ちょと落ち着いたようなので一緒に昼食をとる。今日はハンバーグ+マカロニだ。サラダにトマトも加えて色合いを良くしてみたりする。
マカロニとハンバーグ.jpg
13:00 今日は手術も少なくゆっくりできそうだ。こういう日もあって良いだろう。今週中にShaller教授にtrauma team研修の件をそろそろ打診してみようと思う。
14:00 まだ手術が残っていたようである。母指CM関節症に対する関節形成術である。Welling医師が執刀しRahmanianが指導、私がassisitする形になった。術式はEpin?法とか言っていた。CM関節症のXp程度はそれ程強くない(Eaton Ⅱ°くらい)ので固定はないだろう。実際は大菱形骨をpiece by pieceに切除し、FCRLのhalf slipを第1中手骨基部に固定し、腱を縫合(interlacing sutureはしなかった)していた。ここではだいたいこの術式で行っているとのこと。もっとsevereだったら固定するかもと言っていた。
15:00 閉創前にはいつもの如くRahmanianは手を下して出て行った。
15:30 夕方のカンファレンス開始。患者は1人しか来なかったのであっさりしていた。カンファ後にみんなで何やら話し込み出した。どうやら本日夕方からサッカーをすることになったらしい。HPRVのメンバーは殆どが参加する(学生2人まで)らしいので、断ることはできなかった。。。。何となくヤバい。
16:00 17:30頃から始めるから現地集合でみたいな感じになって別れた。足のない私は、Apel医師にくっついて行かせてもらうことになった。彼はまだ外来患者が1人残っているとのことなので外来見学に一緒に付いていった。
17:00 結局、1時間近く一人の患者に費やした。いつもこんなに時間をかけるのか?と尋ねると今日は時間がかかったと。普通は20分くらいかかることのこと(紹介が殆どでその返事やら場合によっては手術の説明などもする。当然、すぐ終了する症例もあるようだけど)。解らないことがあるとconsultant医師をPHSで呼び出して意見を聞き、治療方針を決めているようだ。だからちょっと時間がかかるのだろう。
17:20 急いで部屋に戻り、簡単に準備(サッカーウェア何て持ってきていないし・・)して、Apel医師と学生のGonser君とコートに向かう。彼の車はトヨタのイーリスだった。これは小回りも利くし、燃費もいいからねと自慢していた。ドイツでは日本車は燃費が良くて小回りが利く車種の人気が高いようである。コートを借りたり、色々とorganizeしてくれているLotter医師に途中で場所を電話(ここではIphoneが流行っているようで、結構みんな持っている)確認して10分程度で到着した。
17:40 もう既にPhau医師やLotter医師、顔面口腔外科の先生などが先に到着していた。奥さん子供たちとともに来ている先生もいる。結局総勢12名も集まった(Schaller教授、Nusche先生の上2人と当番のStahl先生以外の男性医師・学生が集合)。4人ずつ3チームとなり、10分程度の小ゲームを延々と繰り返していく。途中、実力の均衡化を図ってなのかメンバー替えを何度か行う。自分は始めはフィールドで出ていたが、開始5分くらいで既にへたばってしまった。
フットサルに興じるドクターズ.jpgばててるRahmanian.jpg水をがぶ飲みApel君.jpg
18:30 パンやチーズ・ハム(たぶんCasinoから誰かがゲットしてきている)、ビール(ちょっとアルコール低めの甘い奴だったけど)、水など飲食物は充実している。みんなバテながらも元気である。ビールを飲みながらプレーしているのには驚く。Phau医師は院内ではクールだが、必死にボールを追い回し、時にスライディングし膝にかすり傷を作ったりしている。まるで子供のようにみんながそれぞれ楽しんでいる。途中でWerdin医師のご発声で乾杯(HPRVの今後の発展を祝して・・みたいなことを言っている。日本と同じ感じだ)して、全員でコートで記念撮影をした。
19:00 まだ終わりではなかった。。。フットサルコートは四方が壁で囲まれており、普通のサッカーと違い壁プレーなるものが存在して、この壁の跳ね返りをうまく利用して行うのがポイントである。フルコートでないからとタカをくくっていたが、結構動き回る!!古傷の左脚(膝PCL損傷と足外側側副靭帯損傷)が徐々に悲鳴をあげてきた。後半は主にゴールキーパーを買って出ることにした。途中、Phau医師、Lotter医師など家族連れの先生方は帰ったが、まだ明るいのでもう少しやろう!ということになり、重い体にムチを打つのだった。プレー中、日本語を使うのが今日の流行りだったみたいで、「カローシ」「サムライ」「アリガトー」「オツカレサマ」「ヨクヤッタ」などを連発していた。
20:00 さすがに暗くなってきたので帰ることになった。完全に膝が笑っている。明日は筋肉痛間違いなしだ。幸い大きな怪我はしなくて済んで良かった。ドイツでアキレス腱でも切ったら笑いごとではすまないから。。
20:30 Apel医師に病院まで送ってもらった。去り際に記念写真を撮ってくれた学生君に明日写真をくれるように頼んで別れた。いつもは何てことない病院の坂道が今日はとてもきつく感じる。
21:00 早速、風呂に湯を入れてゆっくりマッサージしながら浸かる。Lotter医師がTシャツを忘れて帰ってしまっていたので持ち帰って親切にも洗ってあげた。明日までに乾けば渡してあげよう。
22:30 ちょっと動けなくなり、ベットで横になってテレビを眺める。
23:00 お腹が空いてきたので、遅い夕食とした。今日はカレーライスにしよう。旨かった。
24:30頃 疲れた一日であった。いつの間にか就寝。

2009/9/20 急遽予定変更日曜観光 [休日]

8:30 起床する。何となく天気は良くない雰囲気だが外はまだ見ていない。
9:00 朝食をとる。昨晩はサラダだけだったので何となくお腹が空いている。ラーメンにチーズとハムとふえるわかめちゃんを入れてみた。意外にイケるので驚いた。さて窓を開けてみよう!残念ながら小雨がぱらついていた。今日の観光は中止として部屋でスケッチでもするかな・・・とちょっとがっくりする。
11:00 日記をつけたりしていると、何となく外が明るくなってきている。どうも雨が止んだようだ。雲も少なくなってきている。さあどうしよう・・・。出かけるには少し遅いが。でもせっかくだから出かけよう!と急いで支度をする。
11:30 駅に向かう。昨日の予定では早めに家を出て、古城街道の起点でもあるハイデルベルグに行こうとたくらんでいたのだが、この時間だともう余裕がない。急遽変更して、シュトゥトガルト近郊の観光名所に向かうことにする。
12:00 駅で時刻表をじっくり見て時間調整をする。う~む、タイミングがあまり良くないようだ。
駅に貼り出されている時刻表.jpg
仕方なく、またバーガーキングに立ち寄る。少しでもヘルシーにとチキンバーガーにしてみた。途中、切符の自動販売機で少し困っていたら、隣でやはり困っている女学生もいて、お互いつたない英語同士で無事何とか解決する(自動販売機の購入の仕方がちょっと複雑で解りにくいのだ)。
12:35 シュトゥトガルト行きの快速に乗り込む。二階建てのやはり二階に乗り込む。そう言えば、ここの駅はプラットフォームの高さが低いな。チュービンゲン市内では何だか人が多いな。マラソン大会でもしているのか?などと車窓から眺めている。途中、線路沿いにちょっとした庭のようなスペースが続く区画がある。住宅の密集している駅近郊に多い風景なのだが、その庭では子供たちが遊んでいたり、おじさんがリクライニングチェアで本を読んでいたり、家庭菜園をしていたり、またバーベキューを楽しんだりしているのだ。どうも家の庭とは別の離れの庭とでも言うのだろうか?比較的安価で購入できるのかも知れない。土地の有効利用なのだろう。しかし、線路沿いなのでちょっとうるさいかも知れないし、車窓から見知らぬ人に見られてしまうという欠点もあるかも。
13:30 天気も次第に回復してきて、気分も乗ってきた。シュトゥトガルトに到着した。この駅ももうだいぶ慣れた。日本から始めて来た時はホント右も左も解らなかったけど・・。
13:50 Sバーンという近郊都市線に慌てて乗り込む。S4・5に乗れば良いと思って安心していたのが間違いで、S4は良かったけど逆方面行きに飛び乗ってしまった。3駅目で気づいてまた戻ってくる。ちょっと時間をロスしてしまう。
14:20 ルードヴィヒスブルグ駅に到着。ここにはベルサイユ宮殿に似た庭園の美しいお城があるというのでやってきた。バスの行き先表示が良く解らず、運転手にドイツ語で聞いてみると、早口でまくし立てられさっぱり解らない。下手にドイツ語を使うと相手もドイツ語で返してくるので、重要な場面では全然役に立たない。。。
14:40 何とか目的地にバスで到着(ものの5分くらいだった)。入口まで歩き(広いので遠い)、入場券を購入する。中は広く庭園内の池では何やら催し物をやって司会者がマイクで騒いでいる。池の中にかぼちゃのボートを浮かべて選手が競争しているようだ。何となく微笑ましい光景だった。この時期は収穫祭のようなことをするようだ。有名なThanks givingやハロウィン何かが代表的な行事である。どうやらアメリカの方が盛んみたいだけど。
ルードヴィヒスブルグ城.jpgルードヴィヒスブルグ城中庭から.jpg
15:20 宮殿内のトイレを拝借した(途中、急に少し腹の虫が騒ぎだした)。だいたい公共の場での便所は料金を取られる。相場は50セントくらいのようだ。決められている所もあれば(駅などは表示されている)、up to youみたいな場所も多い。たいがい掃除のおばさんが座っているのだが、一日中働きつつお金を徴収している。残念ながら1EURしかコインがなかった。お釣りをもらうのも変なので、そのままチャリンと格好良く、おばさん釣りは要らないよとは言わなかったが、そのまま颯爽とトイレを後にした。
15:30 次の目的地ミュールアッカーへ向かう。ここは有名な修道院のある場所で、ルードヴィヒスブルグから列車で30分ほどで到着する。ちょうど乗り継ぎは良かった。
16:00 ミュールアッカー駅到着。急に小雨がぱらつく。修道院方面行きのバスが1時間後と先なので、仕方なしにタクシーを利用した。久し振りのタクシーだ。こちらはだいたいベンツのタクシーなので乗り心地は良い。田舎道だがスピードをかなり出し怖い。
16:15 少々焦りつつも無事目的地マウルブロン修道院に到着した。ラッキーにも雨は上がって晴れ間も見えだした。ここは900年くらい前に建立されたらしく非常に歴史がある。ユネスコの世界遺産にも登録されているようだ。
マウルブロン修道院.jpg
有名なヘルマン・ヘッセの小説の舞台にも使用されているとのこと。ヘッセ自身もこの修道院で学んでいる・・・などと言う知識を地球の歩き方からゲットした上で見学する。ガイドフォンは借りずにぶらぶらと内部を散策する。当然修復はされているのであろうが、中世の修道院がここまで温存されているのには驚いた。華やかさはないが重厚な歴史を感じる。中の長い回廊にいたっては何となく静けさを感じてしまう。
17:00 出口付近で中学生か高校生くらいの子達が即席で合唱を始めている。ソプラノ・テノール・バスと4人で揃っていて結構上手に歌っている。帽子が床に置いてあるので小遣い稼ぎなのだろう。結構貰ってるな~と感心。写真も撮らせてもらったから2EURプレゼントしてあげた。
修道院内で即席合唱団.jpg
17:20 修道院付近もちょっと雰囲気の良い建物があり土産物屋が並んでいる。特には買わなかったが、結構レアなものも置いてあったので、時間があればここら辺で買い物なんかするのも良いかも知れない。さて帰ろうかな?とバス停を探すが見つからず、仕方なくタクシーを呼ぼうとしてうろついていると、修道院内でも見かけたおじさん二人組の一人が声を掛けてきた。どうしたんだ?何か困っているのか?バスで駅まで戻りたいんだけどバスがないみたいで・・・。タクシーもいないし困っていました。そうか、タクシーは普通ここらでは待っていないから呼ばないと来ないぞ。どこまで帰るんだい?シュトゥトガルトまでです。そうか、では近くの駅まで送ってあげよう。えー本当ですか?大変有難うございます(ここだけ変なドイツ語)。ということでハンスと名乗る男性ともう一人名前を忘れてしまった(こちらは英語があまり話せないみたい)運転する方と3人で駅まで向かってくれることになった。車はアウディの高級車だった。せいぜい一番近い駅まで乗せてくれるのだろうと思っていたら、シュトゥトガルト近郊のSバーンも発着するBietgheim-Bissingenという駅まで30分くらいかけて送ってくれた。これには驚いてしまった。途中、あまりにも時間がかかるので拉致されるのでは?とちょと不安になり、今ここはどこですか?って尋ねると、心配要らないよ。Sバーンの止まる駅まで送ってあげるからと。とても親切だったのだ。靖国神社とか日独同盟国とかどうも古い歴史も知っているようでちょっと親日家だったよう。付近の工場の説明なんかもしてくれたり。。。
18:00 何とも駅の構内まで送ってきてくれて最後にお別れした。手造りの名刺(顔写真入り)をお礼に手渡した。メールをくれるとのこと。メールが来たらお礼をしなければ。列車に乗り込みシュトットガルトに向かう。
お世話になったハンスさんと.jpg
18:25 白ウィンナーパンを購入し、シュトットガルト出発。今日は何とか明るいうちに帰れそうだ。あの二人組のお陰で時間短縮できた。
19:20 チュービンゲン中央駅到着。尿意を催していたが、バスが来ていたので急いで乗り込む。バスの小刻みな揺れがタマラナイ。軽く腰を浮かしつつ隣のおばさんに心配されつつようやくBG病院前到着。
19:50 帰宅しすっきりした次第であった。まだ何とか明るいので少しゆっくりしてから病院に向かう。
20:30インターネットを楽しむ。Rahmanianの部屋はこの週末でとても片付いている。奥さんでも連れて来て一緒に片付けたのだろうか?しかし、書類はまだ少し残っているみたいだ(書類と言っても日本と違い最後にサインするだけみたいだけど)。
22:00 部屋に戻る。少し夜食を食べる。溜まったレシートやら切符やらを整理する。
25:00頃 今日もゆっくりと風呂に入り就寝する。明日も頑張ろうか!

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