2009/10/9 ドイツ手の外科学会2日目 [平日]

6:10 起床。昨日と同様7時に迎えが来ることになっていた。今日は余裕がありゆっくりと支度する。外は暗く肌寒い。今は降ってないけど、今日は小雨がぱらつくような気がする。
7:00 折りたたみ傘を持参し、救急受付前に行く(部屋の玄関からは1分とかからない)。10分経過した頃にRahmanianからTELが入る。今どこにいる?救急受付前で待っているよ。そうか悪いけど、あと30分位してから迎えに行かせるから・・・。じゃあ、また後で。。。と勝手に時間を変更して来た。まあ良くあることなので仕方なくCasinoにコーヒーでも飲みに行くかと向かう。
7:20 インドのSunderが一人寂しく朝食をとっている。だいたい7時過ぎにCasinoに来て朝食をとり、7:30からのカンファに向かうのだそうだ。trauma teamは人数が多いので全体のカンファは最上階の大会議室でしているそうだ。しばし、異邦人仲間2人でゆっくりと時間を過ごす。
7:40 ようやく迎えが到着する。昨日のイケメンMartinがベンツに乗って現れた。礼儀正しく学生ながら大したものだ(ドアまで開けてくれるがVIP扱いなのか?)。Martinもそうだが、こちらの学生はたいがい自立しており自分の意見をしっかり持っている。今日はこのまま私だけを会場に送ってくれた。この後にまた誰かを迎えに行くそうだ。
8:00 まだ早いので人出もまばらである。メディア室でRahmanianが最終調整をしていた。ビデオが上手く動かないとちょっと焦っている。頑張ってね!と発表のない気楽な私は展示場へと向かって本などを見ていた。
8:35 朝のセッションは手関節であった。第一席の演者が現れないということで、次のRahmanianがトップバッターになった。昨日は手部の皮弁の発表をしていたが、今日は手関節鏡TFCCについてである。今までの私の研修期間で、彼が手関節鏡をしていることを一度も見たことはないのだが、彼が過去4年間の当院のまとめをしていた。治療成績ではなく、MRIと関節鏡所見の比較という内容で、日本でも以前、盛んに発表された時期がある。Sensivity・Specificityなどを出していた。MRIは1.5テスラだし特別なコイルを用いている訳でもないのでMRIの有用性は・・・。質問も幾つかあったが、最後にShaller教授が補足的なコメントを何か言っていた(内容不明)。次の演題も手関節鏡についてだった。TFCCはPalmar分類、SL離解はGeissler分類を用いるのはこちらも同じだ。この発表は治療成績を述べていたが、評価にDASHスコアを使用している。残念ながら特に新しい内容ではなかったと思う。セッションの真ん中あたりで、Phau先生が、当院における舟状骨骨折の治療成績(208例)についてを発表した。nの大きさはさすがである。近位型の骨癒合率が低く、成績が良くない傾向にあった。そのうち、血管柄付き骨移植(VBG)を行った症例を提示していた(新鮮骨折だが)。VBGにより骨癒合率は良くなっていたが、臨床成績は骨接合のみと比べ有意差はなかった。聞きたいことはあったのだが、この場で質問できる訳もなく、ただスライドを眺めているだけなのであった。全体的に口演内容は理解し難いのであるが、スライドの構成やアニメーションの使い方など勉強になることも多い。こちらの発表者はオープニングのスライドにたいてい自分の勤務している病院の外観の写真を入れる。また、最後にスタッフの集合写真を入れる先生もいる。スライドは病院によって同じスライドマスターを使用していることが多い。病院のロゴなどが入っており、大学や病院により個性が出ていて面白い。内容を理解出来ない分、そのような所をポイントに見ていた。途中、リアクションが可愛らしい女医さんが発表後に大きな拍手をもらっていたので写真におさめておいた(名前がHaというのでChina系か?)
Rahmanian.jpgPhau先生.jpg拍手の多かったHa先生.jpg
10:35 15分の休憩を挟み、次のセッションが始まった。BGの仲間達は左前方に固まって座っている。今日はBGから6人も発表があるから壇上に近い位置を押さえているのだ。このセッションでは手指・手関節の人工関節などについてであった。適応に疑問がある症例も多く、日本ではなかなか流行らない気がする。BG病院では、手の外科領域の人工関節は殆ど使用していない。関節固定の症例が多い。最後に一つだけプログラムに出ていない演題が追加されていた。母指CM関節症に対する手術法で、大菱形骨切除 vs suspension arthroplasty(Eping法)の多施設共同研究の発表だった。結局は両群に最終治療成績に差はなかったというのものだったが、follow up期間が2年と短く、今後はどうなるか解らないなと思った。手術時間は切除だけの方が早いと述べている。しかし、これだけでは切除だけで良いとは言い切れないと思われる。他も幾つか聞いた(というよりスライドを眺めている感じ・・)が飽きてきてしまい、展示場で時間を潰していた。
12:00 展示場をうろついていると、昨日挨拶したロシア人2人組(1人は英語で発表していたGarmaev医師)が寄ってきて声をかけてくれる。もう一人の上司の人はドイツに住んでいたことがあるようでドイツ語で喋ってくる(英語はあまり喋れない)。私がトンチンカンだというのが解ると、Garmaev医師にロシア語で話して英語で通訳してもらっている。妙に人懐っこい人だった。一方のGarmaev医師は真面目そうで、モスクワでは腹部外科もしていると言っていた。イリザロフ法はさすがに本家と言った感じで話してくれた。日本は医療も進んでいるだろうから留学したいと言っていた。日本はヨーロッパでは憧れの地なのだろうか?別れ際に写真を一緒に撮ってくれと言うので(有名人でもないのに・・)、ポーズをとる。せっかくなので、自分のデジカメでも撮ってもらった。異国の地では様々なことが起きるものだ。
なぜかGarmaev医師と.jpg
13:00 ワークショップが3ヵ所で行われていたが、一番人気のStrykar社主催のセミナーに行った。ワークショップと言うより講師の先生が症例を幾つか呈示し、終了後に前方に置かれたデモのインプラントや骨モデルを勝手に弄くるという感じだ。軽食が用意されているので、サンドウィッチやフルーツをつまみながら、機械を触ってみるだけという中途半端なワークショップであった。インプラントは手の外科領域のplate setでロッキング機構がウリなためmonocortical fixationを勧めていた(対側を貫いた場合、屈筋腱や神経に障害を与えているという実例を呈示していた。実際にはそれ程頻度が多いとも思えないが・・)。
14:00~16:00 まではその他みたいなセッションで、様々な内容の発表(基礎的な内容が多かった)。Dupuytren’s contructureの分子生化学的解析(難し過ぎ)やら、神経の再生、人工チューブなどバラエティーに富んでいた。基礎知識のない自分にはさっぱり理解できなかった。このセッションでは、Manoli(今日は縁あり過ぎメガネは外してコンタクトでキメていた)とWerdin(実は結構毛深い)、Jaminet(ルクセンブルグ人、カローシが口癖)、Dolderer(最年長のassistant artzt、あまり目立たないが感じは良い)が発表していた。Jaminetの時に珍しく助っ人のような形でSchaller教授がコメントしていた。多分困った質問をされてしまったのだろう。しかし発表はみな堂々としたものであった。
コンタクトでキメたManoli.jpgWerdin医師.jpgちょっと緊張顔Jaminet.jpgDolderer医師.jpg
16:00 結構疲れてきた。展示場も2階にわたっているが、もう2日目の後半なので全ての場所をcheckして回ってしまった。中には幾つか気になるインプラントもあったので、カタログを日本に送付してもらうようにお願いしておいた。うちDepuyのブースの橈骨遠位端骨折用髄内釘は面白かった(背側から刺入し、screwも背側から固定する。かなり細く頼りないイメージがある)。でも使用することはおそらくないと思う。
16:15 本日最後のセッションは、馴染みのある手部骨折、橈骨遠位端骨折であった。全て聞いてきたが、正直言って新しい知識は得られなかった。手関節鏡assist下にType B、Cの骨折を整復するという内容は、聴衆の反応が比較的良かったと思われる。しかし、日本ではもうすでに議論されてきた感がある。橈骨遠位端はtraumaの先生が扱ったり、手の外科の先生が扱ったりと一定ではないためか、まだ定まった感じを受けなかった。BG病院の場合、橈骨遠位端骨折はtrauma teamが扱っており、比較的traditionalな方法で手術を行っているよう。
18:00 今日も長い一日だった。会場が一つしかないため、プログラムが縦にかなり詰め込まれている。会場を分散させれば、もっとコンパクトにできそうなのだが、全部の発表を聞くことはできないのが難点なのか?でも今後は変わっていくような気がする。展示場内でWelling医師(BGで一番若手医師)が教科書を立ち読みしていた。今日はこの後、食事会のようなものがあるのだそうだが、何となく疲れてしまったのとお腹の調子が良くないと言って帰らせてもらった。彼にみんなに宜しく伝えておいてねと言って別れる。昼間少し雨が降ったが、幸い今は止んでいる。
18:45 部屋でお腹に優しい親子丼でも作ろうかと準備していると、RahmanianからTELが入る(彼はドイツでの世話人のような存在になってくれている)。食事会は来ないのか?悪いけど今日は遠慮しておくよ。ビール飲んだらお腹壊しそうで・・。誘ってくれて有難う。また明日(Bis morgen!)。と言って電話を切った。気にしてくれているので有難い。
20:00 家でゆっくりすることとする。CNNでオバマ大統領がノーベル平和賞を受賞したことを流している。軽く驚いた。

2009/10/8 ドイツ手の外科学会1日目と日本からの救援物資第2弾 [平日]

6:20 起床。今日は7:00に病院に迎えが来ることになっていたので、少しだけ早起きだ。外はあいにく小雨がぱらついている。
7:00 こちらに来て初めて日本から持参の背広を使用することになった。準備を済ませ外に出てみるがあたりはまだ暗い。Rahmanianから連絡が入り、病院救急受付前に行くと、彼ではなくバイトの学生が豪華なベンツで迎えに来てくれていた。まず私をpick upし、その後にRahmanian、最後に教授夫妻も迎えに行くそうだ。運転は情報工学を勉強しているMartin君(イケメン)だった。彼は来週から研修で韓国に11週間行くそうだ。本当は日本に行きたかったのだが、ツテがなくてダメだったらしい。日本にとても興味があるらしく、日本人と会えたことが凄く嬉しかったようだ。日本に来る際に事前に連絡くれれば何か情報を教えることもできるからと名刺をあげておいた。
7:20 同じような立派な家が立ち並ぶ住宅街で少し迷って、Rahmanianをpick upする。彼は今日の発表の準備を車内でまだしている。読み原稿は作らないようだ。
7:40 少し郊外の落ち着いた場所に教授宅があった。それ程大きくはないが落ち着いた綺麗な家である。夫人に自己紹介して一緒に会場に向かった。夫人は良く喋り、助手席(教授、私、Rahmanianは後部座席)でずっと話し続け良く笑っていた。
8:00 会場に到着。学会は市内の中心にほど近い市民ホールのような場所で行われた。
ドイツ手の外科学会(テュービンゲン).jpg学会会場前.jpg
これから受付開始の時間だったので、スタッフはすでに揃って準備している。徐々に参加者が増えてきた。女性が多いと思ったら同じホールでNs向けのセミナーもあるようだ。Op室Nsのスザンナやクリスティアーナにも会った。
9:00 学会なので日本と同様に機械展示や書籍売り場がある。まだ準備中の場所もあったが、一通りざっと目を通しておいた。後で興味深い展示所にはじっくり見学させて貰おうと思っている。
9:15 開会式が始まった。主催のSchaller教授をはじめ、お偉い方々が何やら話していた。面白いのは、その合間にクラシック音楽の生演奏が挟まれるのだ。音楽の盛んな国ならではだろうか?朝から優雅な気分に浸れる。
Schaller教授の開会の挨拶.jpg檀上でクラシックの生演奏.jpg
10:15 口演が開始される。この学会の口演発表は基本的に大会場1つで行われる(昼のセミナーの時のみ3ヵ所に分かれていた)。まず始めは、Buck-Gramko先生(かなり有名な先生らしい)による、ドイツ手の外科の歴史みたいな講演をしていた。年の頃70後半くらいであろうか?日本の津下先生的存在なのかも知れない。
11:20 何人かの先生が基調講演的な内容を発表されていたが、写真だけの理解だったので、殆ど意味不明だった。ようやく休憩時間となる。こちらは休憩時間に軽食が振る舞われるのが一般的で、20分くらいはしっかり休めるようになっている。時間になると会場内に戻るようにと鐘の音で告げられる。
学会休憩の風景.jpg
11:40 infectionの演題が並ぶ。BGからもManoliが発表する。会場は400-500人収容できるくらいの広さなので、発表者も緊張しそうである。しかし、発表する人々は皆自信ありげで、原稿などは作らずアドリブでこなしている。質問にも堂々と答えている(内容は汲み取れないが・・・、時々笑いが入ったりすることもある)。日本の学会で良く見受けられる共同演者の○○ですが・・・みたいな助っ人が介入してくる場面は全くない。発表する者がその内容を一番知っておくべきだからであろう。手の外科領域の感染の発表で、ある演者は始めにちょこっと壇上に立っただけで、あとはビデオを流し客席に座っているという方もいた。発表内容を予め録音しているのだ。なかなか面白いなと思った。このような手法が主流となれば、そのうち自宅でも学会をリアルタイムに聞くことができるかも知れない。
13:00 ワークショップと題して、難治症例を専門家が壇上でディスカッションしながら進行していた。他に2ヵ所で異なるコースが用意されていたので、それぞれ覗いてみた。一つは日本のDPCのようなもの説明と病名のコード(ドイツにも同様のものが存在するのだ)について話していた。参加者も少なく人気はイマイチのようであった。もう一つのハンドトラウマセンターの紹介というのは興味があったのだが、残念ながら会場に行った時には時間前だというのに何故かもう終わってしまっていた。。従って、ワークショップの方に人が流れていて立ち見が出るほどになっていた。内容は、PIPなどの人工関節を扱うメーカー(B社)主催だったこともあり、そのような内容が多く盛り込まれている印象であった。
14:00 午後の口演はまたinfectionであったので、いったん会場を抜けてBG病院まで戻ることにした。バスで10分くらい。日本からの救援物資(第2弾)が届いていたからだ。昨日は取りに行くことができず、秘書さんの部屋で保管してくれているのだ。以前、妻に食糧難を告げていたので、帰国が近づいていたにも関わらず、食材や帰国前に各部署に配るお礼の品々を送ってきてくれた。量が多く、食べきれないかも知れないので余ったら仲間に配ることにしよう。
15:00 会場に戻る。本日唯一英語で口演していた先生がいた。モスクワからの発表で自分の病院の手の外科500症例のまとめをしていた。難しいマイクロの手技は用いずに、植皮、有茎皮弁、骨移植、イリザロフなどでここまで治しましたという内容だった。内容よりもカタコトのドイツ語を織り交ぜて発表したのが良かったのか、拍手が大きかった(発表後の聴衆の反応としては、机を叩くのが一般的なのだが、内容が良いとそれが拍手になったり、拍手の音も大きくなるというのが特徴である。聴衆は正直なのでその反応で内容の良し悪しが解ってしまう)。内容を聞くと、ロシアにはまだまだ重度外傷が多く発生している印象を受けた。日本のように労働災害を防ぐ手立てがまだ十分に発達していないのだろう。
16:50 一般口演終了となり会場でうろうろしていると、BGの仲間たちが集まってきた。何やら話して盛り上がり(行くか~?みたいな雰囲気)ちょっと軽く一杯やりに行こうということになり、会場を後にする。係りの女性が車(またも高級なベンツ)を出してくれて街のバーまで送ってくれる(歩いても10分くらいだったけど)。
17:00 私とApel、Werdin、Rahmanian、係りの女性(運転手)5人で街のバーに入る。まだ開店したばかりで、客は誰もいなかった。若い女性マスターに注文する。ちょっとした打ち上げのような感じであった。ビールやカクテルを飲んで、ほろ酔い気分(空腹だったから)になってしまう。Apelは昔メキシコにいた頃(彼はコロンビア生まれ)、バイトで寿司を作ったことがあると言っていた。ユーキチは作れるか?と聞いてくくる。こちらの人々は日本人ならたいがい寿司は握れるものだと勘違いしている。寿司はネタが大事で、職人が握って始めて美味しいのだ。Apelに日本の美味しい寿司を食べさせてあげたいと話す。また、ドイツ人は議論好きなので、良く解らないが急に真面目そうに熱く語り始めたりすることもしばしばだ。そういう時は自分の存在は忘れられているかのよう・・・。
Apelとドライバー学生.jpg学会の小打ち上げ.jpg
18:30 会場に戻ると、スタッフが片付けをしていた。PhilipやHelenaたち(女学生)はクローク係りをしている。ちょっとほろ酔いになってしまっていたので、先に帰らせてもらうことにしバスで戻る。しかし、間違えて一つ手前のバス停で降りてしまった。
19:00 今日到着した食材を並べてみる。かなりバラエティーに富んでいる。一人では食べきれないので、斜め前の部屋のインド人にも日本のカレーを近いうちに(今日はキツイ・・・)御馳走してあげることにしよう。

2009/10/7 Tuebingen cadaver courseでお手伝い [平日]

6:10 今日は若干早めに起床した。外はまだ暗い。早朝は肌寒いが天気は良さそう。
7:10 隣の大学の解剖棟で行われるCadaverを用いたflap courseに参加することになっているのでいつもより早目に部屋を出る。このコースは明日からShaller教授が主催のドイツ手の外科学会のプレセミナーの位置付けで、Rahmanian責任者のもと準備されていた。私も昨日からその準備の手伝いをさせられている。今日も手伝いがてらcourseへの参加を許可されているのである意味ラッキーである(参加費は通常かなり高額)。
7:25 BG病院の中庭から大学への近道があるのだが、まだ閉まっていたため、遠回りになってしまったが早足駆けつけに到着。既に係りの学生(ボランティアではなくしっかり報酬をもらえるのだそう)や、directorのRahmanianがいた。少しずつ参加者が集まりつつあった。総勢20名の予定になっている。
良く働くpretty students.jpg
7:40 Schaller教授の挨拶の後、簡単な説明が始まった。参加予定者に一人欠員が出たらしい。私はビデオやカメラ係りをしつつ、欠員が出たグループのassistをするよう指示された。
7:50 デモ用1体、参加者用5体の計6体のCadeverが並べられている。四肢を扱うcourseでは左右使えるので、2人1組で実習することとなる。解剖と言えば、医学部2年生時のあの強烈なホルマリン臭の記憶があったのだが、このAnatomyは近代的でさほど臭わない。保存法に工夫があるのだろうか?参加者はざっとみる限り、中堅からベテランの方が殆どを占めていた。女性の参加者も比較的多い。
8:00 1例目は橈骨遠位の橈骨動脈からの分岐を利用した血管柄付き骨移植だった。ここら辺の解剖は橈骨遠位端骨折MIPOの発表の時に調べたことがあったので、たまたま良く知っていた。BGのShaller教授が10年以上前にこの解剖で論文を書いている。講師はドイツの有名な先生のようだ。KO大のToshiを知っているか?と聞かれたり声をかけてくれる。
熱弁を奮う講師の先生.jpg
方形回内筋筋膜表面に橈骨動脈に対して垂直に走行するarteryをメルクマールに方形回内筋を鋭的にcut、骨膜ごとノミで採骨していく。muscleに含まれる血管と骨膜が剥離しないように注意しなければならない。この手技はキーンベック病や近位型の舟状骨偽関節の症例などに良い適応があると思われるが、その他にも幾つもの血管柄付き骨移植の方法が発表されているので、それぞれのメリット・デメリットを考えることと、あとは自分の慣れた手技が結局は良いのではないだろうか?
9:20 終わった班から自由に休憩に入っている。あまり時間に縛りがないのが面白い。講師の先生がデモをしている最中から、勝手に始めちゃっている班もあれば、貴方達何しに来たん?というくらいやる気のない班もある。朝のコーヒーブレークでは飲み物各種とクッキー、サンドウィッチなどが振る舞われている。
休憩タイム.jpg
9:40 2例目は血管柄付き遊離腓骨移植だった。このような手術は自分には関係ないと最近まで思っていたのだが。。。しかし、この手技をマスターすれば難治性の偽関節治療などに多大な効果を発揮することになるだろうと期待する(もちらんイリザロフとの使い分けも重要と思う)。bone sawを用いたりするので、デモのassistを頼まれた。本当は写真を撮ったりしたかったのだが仕方がない。解剖は昨日のスタッフの仕事により、動脈にラテックス製の蛍光塗料(赤)が注入されているので、細動脈までも鮮やかな赤に変色しているので比較的同定し易い。当然動脈を切っても出血はしないのだが、この固まった塗料が若干にゅるっと出てくる感じが新鮮である。デモでassistしたこともあり、手技の流れは良く解った。腓骨骨膜にはSoleusとPeroneusの筋間(腓骨骨軸よりやや後方に位置)からアプローチし、骨膜下に剥離を進める。EDL・EHLを骨膜下に剥離していくとseptumが解る。必要な長さ分(後脛骨動脈からの腓骨への栄養血管は腓骨長の近位1/4程度のところから出ていたので、その場所が確認できる位置で)をbone sawで両端をcutする。cutしてFHL・TPが付着しているだけで不安定になった遊離腓骨をコッヘルでつまみ、それをjoy stickにして、septumをcutするとTPが露出してくる。すると同定すべき動静脈が容易に確認できる。遠位から剥離していき、血管系を遠位で切離(臨床的には結紮)する。血管の周りのmuscleはあまり剥離せず、一部muscle(TP・FHL)ごと切離してしまった方が安心である。Cadeverでは思い切って手技が出来るが実際は出血のコントロールがあるため始めは苦労するに違いない。何となく解った気になってしまうのが怖い。
血管柄付き腓骨挙上.jpg遊離腓骨に重要な解剖.jpg
11:30 だいたい参加者が手を下ろし始めた。これから昼食タイムとなり、場所をBG病院のCasinoに移動する。講師陣は車で送迎、参加者とスタッフは案内を兼ねて、中庭を通って徒歩で移動。天気が良く今日は暑いくらいだった。7-8分のちょっとしたピクニック気分。
12:00 Casinoで参加者とともに昼食をとる。学生のPhilipは誘導係を任され、迷子者が出ないように気を配っていた。今日もパスタにした。デザート(チーズ風味のババロア?)も食べてしまう。
12:30 午後は13:30からなので多少時間が空いた。Rahmanian部屋でインターネットをして時間を潰す。彼も戻ってきたので2人でコーヒーを飲みつつゆっくりしてからまた大学解剖棟に戻った。
13:30 3例目は骨弁付き後骨間動脈島状皮弁だった。講義の後にデモが行われるのだが、併せて1時間以上もかかってしまったので、食後で眠たげな参加者もいるし、既に勝手に始めてしまっている人もいる。血管が比較的細く、深い位置にあるので講師の先生も結構手間取っていた。この手技は、DRUJと上腕骨外上顆を結んだ直線上に皮弁をデザインする。後骨間動脈は上腕骨外上顆から60mm(体格によっても違うと思うけど・・)くらいの位置で尺骨動脈から分岐してくると言っていたので、だいたいそこが皮弁の近位端となる。後骨間動脈はECUとEDMの間を走行しているので、それをメルクマールに展開していく。皮膚側にfasciaを付けて皮膚への穿通枝が剥離しないように注意していく。尺骨動脈からの分岐までは確認できなかったが、後骨間動脈のorigin近くでcutして、遠位側に皮弁を剥離していく。尺骨に入っている分枝が2ヵ所程あるので、そこで骨も一緒に採取して挙上することもできると言っていたが、実際の臨床上では術前計画を綿密に行わなければ難しい手技と思われた。手背部の軟部組織欠損(先日前鋸筋筋膜の遊離皮弁を行った症例など)に良い適応があると思われる。
デモを熱心に見学する参加者.jpg
15:30 休憩に入る。隣のグループは中年女医さん2人(うち1人はスプーンおばさんを若くしたような人だった)だったが、正直言ってやる気がなかった。遊離腓骨の時などは骨切りはしたことないし嫌だからと、代りにやってくれと言ってくる始末。。。一方、休憩にはいち早く駆けつけ、三時のおやつのとても甘そうなパイをパクついている。何を勉強しに来たのだろうか?
15:50 4例目はRahmanianが講師で、大腿骨内顆部の骨弁採取についてであった。外からのassistで関節鏡を用いて超マクロ映像を参加者に提供することができた。ビデオだとイマイチ接近画像に難があったので良い案だった。大腿動脈からhiatusに入っていく手前でdecending genicularisを同定する。vastus lateralisへの分枝はcutして、大腿骨遠位骨幹端骨膜への分枝を同定し、採取する骨をマーキングしてノミで採骨する。
16:50 だいたい参加者たちは満足したようで帰路について行った。2組だけ最後までしぶとく弄くり回していたが、他の参加者はあっさりしていた。私も片付けを理由に迷惑にならない程度に弄くってきた。有難うございました。しかし、基本的に全てドイツ語のコースなので、講義のfigureやデモで見て理解するしかなく、理解度はイマイチだったと思う。
セミナー終了後解剖棟前にて.jpg
17:20 病院に戻ると、Nusche先生にばったり会い、今カンファ室で明日のcongressのデモをしているよ。と言われたので顔を出してみた。4-5人の発表の予行会をしていた。内容が解らないので早く出たかったのだが、最後まで付き合ってしまった。発表のあとに机を叩くのが面白い(こちらでは叩くものがあれば机などを叩いて拍手の代わりにする。なければ拍手でも良いそう。始めはブーイングかと思ってみんなの顔を見てしまったけど)。
18:20 病院で今日の出来事をまとめることにする。今日もPhau先生にデジカメ画像をメールで送ってくれと頼まれていたので送付する(回線が良くないので、送付にえらい時間がかかることは他の先生は知らないハズ。簡単に頼むけど結構大変なのだ)。
19:50 帰宅。丁度急患入口前でSunder(インド人)に遭遇した。こんな時間にどうしたの?急患?いやただCasinoに食事に来ただけです。とのこと。たぶん彼も1週間ほどで飽きてくると思うけど口にはしなかった。
21:00 部屋にいると、ヘリコプターの音がする。ここは夜でもヘリが飛んでくる。今日は何の急患だろう?

2009/10/6 AO fellowshipドクターのインド人登場 [平日]

6:30 起床。天候は曇りだ。最近は起きてすぐだと外がまだ暗い感じ。徐々に日が短くなってきているのを感じる。
7:30 朝のカンファレンス開始。昨日から来ている学生に加えてもう一人新参の学生(大柄な金髪女性)も加わっている。学生によって研修の期間が異なるので(短い学生は2日間とかもある)、彼女達がどの位いるのかはまだ不明だが、人数的には増えてくれたので少し安心する。今日は奥さんが出産したばかりのApel医師が担当で症例呈示している。またネコ咬傷の患者が来ていたようだ。この地域はイヌ咬傷は少ないけど、何故かネコは多い印象あり。
8:00 今日は滞っていたAOからの支給金がようやく手に入ることになっていたので、秘書のTumaさんに付いて教授秘書のもとを訪れた(病院の口座番号記載ミスで暫く振り込まれて来なかったのだ)。住居費・食費などが引かれたが、生活費は残ったので有難かった。
8:30 まだ早いのは分かっていたが、手術室に向かった。今日の手術は、多発外傷症例(骨盤骨折、右大腿骨転子下骨折、右前腕両骨開放骨折)の術後で、右手背部の軟部組織欠損に対するflap手術の予定であった。麻酔科の先生方が準備中であったので何気なく見学していた。準備の際には多い時で3人の麻酔科医が協力している。今日のmainの麻酔科医は何となく酔っ払った雰囲気の喋りをするちょっと面白い医師だった。挨拶すると妙に話かけてくれる。麻酔の見学をする積りはなかったのだが、流れで何かと手伝わされたり、外頚静脈からのカテーテル手技(患者は体重140Kgの巨漢女性で血管同定が難しかったのだが、いとも簡単に入れてしまう!)を細かく説明してくれたりした。また、時には気管チューブを人工呼吸器から外して、自分の手でバックを押して呼吸を感じていたりする。風貌は頼りないが麻酔職人のような人だった。分野は異なるがその道の達人みたいな人を見るのは新鮮である。
9:00 今日のflapは前鋸筋の筋膜のみ血管茎ごと遊離で採取し、尺骨動静脈に吻合する予定。広背筋皮弁で、肩甲下動静脈系の解剖は何度か見たので、だいたいポイントは頭に入った。胸背動静脈からの前鋸筋への分枝が重要となる。アプローチは広背筋皮弁の際とほぼ一緒だが展開は少なくて済む(筋膜弁のため皮膚は採取しない)。長期休暇明けのZwick医師とJaminetが採取側、前腕の血管同定側は、Lotter医師と学生のPhilipとなる。自分は今日他の手術見学もしたかったので外からの見学とした。
手背部軟部組織欠損.jpg
10:00 両方の進行具合を高みから見学させてもらう。尺骨動静脈の同定はそれ程困難な手技ではないが、思いのほか血管系が細くてショックを受けていた。
11:00 比較的薄い筋膜弁が採取出来そうである。広背筋の前縁から前鋸筋を露出し、前鋸筋への分枝をdopplarで確認後、血管を含む筋膜弁をデザインして採取していく。muscleと一塊となっている箇所もあり、剥離が難しそうなポイントもある。分枝を血管茎とするので、それ程長い血管茎は採取できないのが欠点かも知れない。側頭筋膜弁でも再建可能であるが、こちらも悪くない手術のように感じた(素人目には・・・)。
前鋸筋筋膜弁挙上中.jpg採取した前鋸筋筋膜弁.jpg
11:20 休憩しながら、隣で行われる骨盤骨折の手術の準備具合をcheckする。休憩室でオマーンから来たというインド人のAO fellowshipドクターに遭遇した。今日でまだ2日目だということ。1ヶ月間trauma teamで研修するそう。部屋は自分の斜め前を借りているということで話が弾んだ。機会があれば食事に行きましょうと言って別れる。
11:20 trauma手術を見にいく。骨折は左の仙骨に縦に入って殆ど転位はないが、恥骨結合の離解が若干みられる。あの長身のOpの上手なStuby医師が執刀なので見学させてもらった。Imageをしっかり確認しながら、小切開で仙腸関節を固定するscrewを2本(ワッシャー付き)刺入していた。
仙腸関節screw刺入中のStuby医師.jpg
ものの10分くらい。おそらく骨盤の立体的な解剖が頭に入っているので恐れずに固定できるのだろう。その後、下前腸骨棘に創外固定pinを刺入し固定完了となる。片側を助手の先生にやらせていて手間取ってしまったが、それでも素早く終了。閉創は任せてまた颯爽と部屋を後にしていった。
12:00 昼食を急いで取りにいく。次のtraumaの手術も興味深い症例だったからだ。上腕骨遠位の関節内骨折に対するORIFだ。執刀は引き続きStuby医師。Settingから見たかったがちょっと間に合いそうもない。今日もマカロニメインの料理であった。ちょうど昼時だったので、たまたまStahl医師やBratani医師などと一緒になった。Wie sagt man das auf Deutch?(これはドイツ語で何と言うの?)Wie bitte jetzt?(今、何と言いました?)が最近のマイブームセンテンス。
12:30 traumaの手術室に戻ると、もう既に肘頭をV字に骨切りして関節内を展開していた。体位は腹臥位で、肘屈曲90°位で遠位はfreeだ。Imageが容易に入るようsettingされている。この手術は側面が重要なので、ポイントではimageが側面で見られるような位置で固定してある。手術は実にsmoothな流れで進んでいる。関節内の遊離骨片は手術台上でパズルの如く組み合わせてK-wire(適度な長さの各種径の揃ったK-wire setなるものが常備されている)で仮固定。そのK-wireを用いて上腕骨側に固定していく。骨欠損も生じていたが気にしていなかった。関節面の整復に特に力を注いでおり、細かく仮固定しネジ切りの吸収ピン4本くらい使用していた。骨折は滑車部より外側部のみであったので、シンセスのDHP外側用5穴(つば付き)を使用(このDHPもplateむき出しで各種取り揃えてセットとして常備されている、日本ではいちいち滅菌されたパックから取り出さなければならないことを考えると楽チン)。
シンセスDHPセット.jpg
スクリュー長の計測も手慣れたものだ。やはり熟練の技・センスを感じたのは、関節内骨折固定終了後、肘頭の骨切り部の固定(tension band wiring)の際だ。Imageに頼らずにK-wireを見事にパラレルに良い位置に簡単に入れている。こういう手術が見たかったのだ。自分はどうもimageに頼る傾向があるので、もっと感覚を大事にしていかなければならないなと改めて思うのであった。
上腕骨遠位関節内骨折.jpg上腕骨遠位関節内骨折術後.jpg
14:00 固定性は良かったが、外側側副靭帯がなく不安定性があるということで、術後は2週間ギプス固定(石膏で巻き込んでいた)をするそうだ。腹臥位の際に手術台に設置する肘関節固定のホルダーはradiolucentであるし使い勝手が良さそうであった。
14:30 flapのマイクロ吻合は見学しなかったが、いったん吻合完了し休憩に入っていた。これから最後の仕上げに入る段階であった。今日は来週からのtrauma team研修の話をしに、Prof Weise(この病院の最高責任者でもある)のもとを訪れるため、手術室を出なければならなかったのだ。
15:00 教授秘書さんのもとを訪れ、HPRVのSchaller教授には承諾を頂いて来週から1週間の研修をお願いしたいと思っておりますと告げる。すると、教授は今不在なので、また16:30に来て下さいということになった。仕方なくRahmanian部屋に戻る。
15:30 夕方のカンファレンス開始。Schaller教授は不在だ。手術予定表を見ると、明日は小手術だけが結構たくさん並んでいる。また、明日は学会前のプレコングレス的なcadeverを用いたflap courseが隣の大学構内の解剖棟で行われることになっている。Rahmanianはその責任者のため準備で忙しい。私も明日参加させてもらえるのだが、その準備手伝いもさせられることになった。
16:30 無事Weise教授の承諾も頂き、来週月曜から1週間のみtrauma teamと行動をともにさせてもらえることになった。用事が済むや否やRahmanianから連絡が入り、カンファ室で明日の打ち合わせをしているから来てくれないか?と呼び出された。
17:00 UKTの学生達を集めて(ボランティアのよう)、手配やら必要物品などを指示している。同じ年齢ながら大したオーガナイズぶりだと思った。これから大学の解剖棟に行って準備するから一緒に行こうと付き合わされる。
17:30 解剖ご遺体が6-7体あり、スタッフが準備している。血管から塗料のようなものを注入してflapで挙上すべき血管を染める処置をしている担当者もいた。なかなか労力のいるコースだなと感じる。物品手配は学生がしている。学生達はそれぞれしっかりしている(始めはスタッフなのかと思っていたほど)。
18:00 明日、朝7:30にここの解剖棟に集合ということで別れた。
18:15 部屋に戻るとちょうどインドのfellowship医師(Sunder)がいた。今お帰りですか?遅いんですね?traumaは特に何もなければ16時には帰れるみたいです(年上だが何となく丁寧な感じで話す。しかし酷い訛りなので聞き取りにくい)と言っていた。街にでも行ってみますか?ということに急遽なったので急いで準備して出かけた。
18:30 街の中心に一番近いバス停で降り、ぶらぶら歩いて座る場所を探す。何と彼は食事に誘っておきながら、ついさっき食べたばかりでお腹はいっぱいなのだとのこと。。。お酒も今日は止めておくと。。。え~?と思ったのだが、雰囲気の良いオープンカフェのテーブル席に座り、私はビールとチーズ風味のほうれん草パイ、彼は何と水だけ頼んだ(何しに来たのかと思ったが、多分研修に来てすぐだから仲間が欲しかったのかも知れない)。年齢は40で、13の娘と10の息子がオマーンのマスカットにいるらしい。そこの病院は病床数30床の個人病院でそれ程忙しくないとのこと。面白いのは、朝9時~昼13時まで仕事して、夕方17時~夜の21までまた働くのだとのこと。昼間は暑いので休むのだそうだ。しかし、終わる時間が遅いので大変でしょう?(日本も変わらないけど・・)と聞くと、そうでもないそうだ。公的な施設は16時なると閉まってしまうらしい。彼も週末はfreeなので色々と観光してみたいと言っていたから、今まで行った場所を説明してあげた。先週言ったオクトーバーフェスト情報も教えてあげた。
インド人Sunder.jpg
20:00 バスに乗ってBG病院まで戻り帰宅する。同じ境遇の仲間が増えるということは何となく心強いものだ。

2009/10/5 Trauma teamとのコラボ手術 [平日]

6:30 起床。昨晩、洗濯物を室内に干していたにも関わらず乾燥していたのだろうか?喉が若干痛い。持参の常備薬を使ってみる。天候は曇天である。こちらに来てからまだ体調を崩したことはないので気を付けなければ。現在、体調不良なし。
7:30 いつも通りカンファレンス開始。土日の分があるので症例は多かった。急患手術も幾つかあったようだが、小外傷で興味深い症例でなかったので、呼ばれなかったのだろう。
8:00 いつもなら教授回診になるのだが、カンファには顔を出していた教授がどこかに行ってしまった。おそらく、今週木曜日から開催される教授主催のドイツ手の外科学会の準備で忙しいのだろう。Rahmanianも対外的な仕事があるらしく、今日は不在だ。彼は仕事が早い(強引?)ので教授からは重宝されているのかも知れない。
8:40 途中からPhau先生もいなくなり、若手二人(StahlとWelling)だけになった。月曜日にしては寂しい回診である。一病棟終わった所で回診を抜け出した。現在、学生は一人だけ(Philip)になってしまった。多い時は4人もいたのだが。このまま学生一人だと、来週からTrauma teamへ派遣させてもらう話は大丈夫なのだろうか?
9:00 本日の手術もflap failureのリカバリー手術である。Sural flapで下腿遠位前内側の軟部組織欠損をカバーした症例だが、flap先端部が部分的に壊死に陥っている。areaはもとの欠損の半分程度を占める。本日は、ALTかGlacilisのfree flapでリカバリーすると言っていた。欠損の状態により判断するそうだ。この手術はtrauma teamと合同で行われた。骨傷は関節内粉砕のあるPilon骨折と第三骨片を伴った腓骨骨折であり、本日は腓骨骨折に対してORIFをしてくれるそうだ。しかし、申し訳ないが、failure rateがちょっと高いような気がする。。。
下腿遠位粉砕骨折(正面).jpg下腿遠位粉砕骨折(側面).jpgsural flap先端部壊死.jpg
9:30 右足関節にtrauma team(Oberartztとassistant)、左大腿部にflap team(Phau医師とJaminet)が配置される。人数が多いので私は外からの見学になった。もう一人trauma teamのPJ(学生)のバングラディッシュ人(産まれはフランクフルト):名前は覚えられなかった・・も一緒に外から見学している。彼の風貌は何となく今香川にいる同門のT君に似ている。背格好や毛深さもそっくりだったので写真を撮らせてもらった。なかなか良く動く彼であった。flapはGlacilisが選択された。どちらでも良かったようだが。。。
T田君に似たバングラ人.jpg
10:30 右腓骨骨折は、MIPOでシンセスのメタフィジアルプレートを用いていた。第三骨片を寄せるのに若干苦労していたが、assistant医師がOberartzt指導のもと問題なく終了した。脛骨天蓋部の骨折はwireを用いてHybrid固定にし直していた。Trauma teamがいなくなって暫くするとWerdin医師が現れ、手洗いを始めた(ちょうど良い時間に現れるのは看護師がPHSで連絡していたためと思われる)。私もassistに入って欲しいということで声をかけられる。いつも思うが、flapの技術を持ち合わせた外傷外科医でないと、一貫した治療方針を立てにくく連携が良くなければ良い結果を得るのは困難なのだ。
11:00 壊死している前回のsural flap先端部を血流の良い所まで除去した後、後脛骨動静脈を展開した。今日は癒着もなくsmoothに露出可能であった。
11:30 flap teamが挙上を終えて休憩に入った。血管同定も大方目途がつきつつある。
Glacillis flap展開中.jpgGlacillis flap挙上中.jpg
12:00 flapを切り離し、早速ヘパリン処置を行ってからマイクロ導入。その間、Jaminetと私は大腿側の閉創をする。今日のmusculocutaneous flapは挙上領域が少なかったので、閉創は容易であった。ドレーンは2ヵ所に留置した。
12:40 暫く、マイクロチームの動きを術野に残ったまま見学していた(あまり術野をじっくり眺めているとマイクロの光源が眩しいので目が痛くなってくる。高倍率のマイクロ程光源の明るさが強いので、時に光源で火傷をすることがあるそうだ)。今日はPhau医師が指導し、Werdinが血管吻合を行っている。ある程度見届けていったん手を下させてもらう。
13:00 Casinoに昼食に向かう。今日はピラフ風のライスにカルボナーラクリームをかけたものだった。ちょっと味が濃かったが、久し振りに当たりだった。
ピラフ+カルボナーラ.jpg
13:40 再び、手術室に戻るとPhau医師がちょうど手を下していた。flapの血管吻合が終了しいったん休憩しているところだ。動静脈1本ずつend to endで縫合したとのこと。現在は皮弁状態良好だそうだ。Phau医師はGlacilisのfree flapは始めてだそうで、皮弁の状態が良いのを見ると、肘90°屈曲位で後ろに引く歓喜のガッツポーズをしていた。この瞬間がやはり嬉しいものなのだろう。
14:00 休憩中なので、隣の手術を覗く。先ほどのバングラ学生が手洗いをして手術に参加している。しかし見ればやはり似ている。。。可笑しくてこちらがにやけてしまう。手術は下腿のプレート抜去であった。動きも面白いので手術内容より彼を観察していた。
14:10 再び、flapの方に戻る。既にマイクロを導入し吻合部を確認している。追加縫合を行っているよう。ここでは、吻合はtightにせず、漏れがあったら追加縫合を入れるというやり方をしているよう。
15:00 だいたい手技も終了したので、お暇させてもらうことにする。始めのうちは良く解らないから色々と興味を持って聞いていたが、最近は質問するのは遠慮がちになっている。聞くのも悪いかなと言うことも時にはあるからだ。そうなると見ているだけの見学は味気ないものになってしまう。やはりある程度症例を経験したら、結局は自分でやってみなければ解らないというものだ。手術室からの移動中、外をふと見てみると小雨がぱらついていた。
15:30 夕方のカンファレンス開始。長期休暇から戻ってきた、Zwick医師、Bratani医師
(ともに女医さん)も元気そうだ。Apelも元気に声をかけてくれる。Bratani医師は、ギリシャに里帰りしてきたのよ、あなたは行ったことある?いい所よ~。とrefreshしてきたのだろう、口調も軽やかである。人間時に骨休めというものは必要である。休んだ後はrefreshされて、たいがいは気合いが入るもの。自分の場合、この研修はrefreshになるのか?、それとも修行なのだろうか・・?どちらともというのが本当なのかも知れない。
16:00 カンファには教授は現れなかった。Nusche先生もいつもの調子で喋っていたが、いそいそと出て行ってしまう。今週は学会のため何となく慌ただしい。
16:30 指のひょう疽の急患が入っているそうだが、ここは知らない振りをしておこう。なかなか自分に興味深い外傷症例はやって来ないものだ。
17:30 今日も明日も留守のRahmanian部屋を自由に使わせてもらった後、帰宅する。

2009/10/4 バーゼル・フライブルグ強行記 [休日]

8:00 明らかに寝坊した。今日は目覚ましが鳴っていた筈だが全く気付かなかったようである。そんなに熟睡していたのか?しかし天気は快晴で絶好の行楽日和だ。
9:00 予定していた列車にはもう間に合わないので、時間を変更してスケジュールを立てる。
今日は、シュトットガルトからカールスルーエでICEに乗り換え、バーゼル(スイス)を目指す。帰りはフライブルグからライドシェアを利用して車で帰ってくる計画だ。
9:32 テュービンゲン発の快速に乗り込む。部屋から持参したパン・チーズ・オレンジなどでゆっくり朝食を摂る。2階建てのこの列車には幾度となく乗ったが、椅子の背もたれが固定されてしまっているのが難点だ。何度も聞いているので、車内アナウンスはだいぶ聞き取れるようになっている。
10:38 シュトットガルト中央駅到着。バーゼルまでは途中で乗り換えがあるので切符を買うのがややこしい。窓口で買う方が簡単なのだが、まだ時間に余裕があるので、試しに自動販売機で買ってみることにした。意味の解らない単語もあったが、何度かやり直したのち、無事希望通り購入することができた。来た当初は意味不明であったこの自販機も、実は使いこなせればかなり便利なのかも知れない。
11:11 カールスルーエ行きIC(急行)に乗り込む。スピードも速いし車窓からの風景は大したことはない。
11:50 カールスルーエ到着。大きな駅だが終着駅風にはなっていない。フランクフルト方面とシュトットガルト方面からの列車が交わる駅になってるため交通の要所である。
12:00 ICE(特急)に乗り換える。この特急はベルリンを6:30に出発してきている。最終到着地のインターラーケン(スイス)には16:00着なので9時間半ものロングランだ。ICEはドイツの誇るレールスターで最高時速300km/hr。日本で言うと盛岡から博多まで休まずに新幹線で走っているようなものなのだから凄い。
13:00 帰りに寄るフライブルグに到着。ここもかなり大きな駅だ。ここフライブルグにAOのfellowshipとして留学された先生が何人もいるので噂で聞いたことのある街だった。2-3分待ち時間があったのち出発(日本の新幹線のようにものの1分以内で出発するようなことは殆どない)。
13:40 スイスバーゼルSBBに到着。もう国境を越えてスイスなのだが全くのno border感覚である。駅の雰囲気はドイツとは少し異なるが、基本的には一緒。行き交う人々も特別変わらない。言葉もドイツ語が主流のようだ。ここに来た目的は三国国境地点(Dreilaendereck)を見たかったからだけなのだ。寝坊の影響で滞在時間が限られてしまった。まずはインフォメーションセンターに向かう。前にいるオーストラリアから来たというお客が長々と世間話風におばさんと喋っているので、多少イラつきつつ、時間がないので割り込んで、Entschuldigung!(すみませ~ん)、Ich moechite die Dreilandereck gehen?(三国国境地点まで行きたいんですが?)、え~、知ってますよ、それはこの路面電車に乗って、ここで降りて、そこから10分位歩いたら着きますよ。でも周りには何もないですよ?他にも名所はありますけど宜しいですか(ドイツ語で聞いたのに何故か返事は英語・・?)。すみません急いでいるので結構です。有難うございました。と言って路面電車に乗り込む。
14:10 目的地に到着。ここから歩いて10分だと言っていたが、なかなか到着しない。しかもそこら辺一帯は貨物列車の引き込み線のような一角でお世辞にも観光名所とは言えない感じ。若干不安を覚えつつも、早足に標識に従ってその地点を目指す。時々すれ違う人もいたが多くはなかった。途中、観光バスが横を走り抜けていったのでここら辺で間違いないだろうと安心するのだった。
14:20 ようやくそのポイントに到着。ライン河の畔にそれは聳え立っていた。コンコルドのような形のモニュメントで、スイス、フランス、ドイツのそれぞれに面する位置に国旗が描かれていた。足早に訪れ触ってきた。橋を渡って対岸に行くとフランスで、パスポートに判を押してくれると言っていたがそんな余裕はないので滞在時間10分そこそこで後にする。そもそも国境地帯には所縁がある。19歳時に初めて海外一人旅に行ったのがタイだった。その時にもタイ・ラオス・ミャンマーの国境地帯(ゴールデントライアングル)を目指した。当時怖いもの知らずだった私は、そこら辺一帯がアヘンの一大産地であったことを後で知ったのだった。今では記憶の片隅にある懐かしい思い出。
バーゼル三国国境標識.jpg
14:40 駆け足で帰りの路面電車に何とか間に合った。路面電車は街中をゆっくり走ってくれるので、この往復だけでもざっと市内観光ができた気分である。今日はサッカーの試合があるのか、サポーター風の若者の姿がちらほら見られる。中田浩二(鹿島)が一時期所属していたのがここが本拠地のFCバーゼルだった。市内の人々をざっと見た感じでは黒人の比率が何となく高かったような気がする。少なくともドイツよりは。
15:00 バーゼルSBBに到着。急いでフライブルグ行きのチケットを購入。ユーロしか持っていなかったのでそれで支払うとお釣りはスイスフランを渡された。持っていても使う機会もないので、ピザを購入する。ドイツ語で注文し挨拶すると、受付の女性はメルシーとフランス語だった。
15:15 出発。何とバーゼルには1時間半くらいしかいなかった。。。しかし、昔AOセミナーで訪れた懐かしのスイスを少しは感じることができて良かった。
バーゼル駅前.jpg
15:50 フライブルグ到着。こんなに急いでいるのには理由がある。今日は17:00にフライブルグからテュービンゲンに車(ライドシェア)で帰ることを約束してしまっているからなのだ。従って、フライブルグも1時間ちょっとしか居れないことになる。ここに来て朝の寝坊が悔やまれる。仕方ないのでタクシーで最大の名所ミュンスターを目指した。交通事情のせいでエラく遠回りになったがようやく到着。迫力十分の大聖堂だ。
フライブルグ大聖堂.jpgフライブルグ大聖堂広場.jpg収穫を祀る聖堂内.jpg
先日訪れたウルムの大聖堂は高さ世界一だが、色合いや迫力と言う点ではこちらの方が勝っている。多分ケルンの大聖堂が更に凄いのかも知れないけど、これを見ただけでも来た甲斐があったと言うものだ。内部も無料で見学できて、素敵なパイプオルガンの音色に聴き入り、色彩豊かなステンドグラスの芸術にしばし見とれていた。隅っこの方には懺悔室もあった。
重厚なパイプオルガン.jpg聖堂内のステンドグラス.jpg聖堂内の懺悔室.jpg
16:30 そうこうしていると約束の時間が近づく。電話で最終確認してみる。明るく人の良さそうな女性で子供連れのようだ。では30分後に駅前でということとなる。まだ時間はあるので歩いて駅まで帰ることにした。歩いてもさほど時間は変わらなかったかも知れない。
16:50 小腹が空いたので駅前のトルコ料理店でケバブ風のパイを頼んで急いで食べる。
17:00 今駅前にいますけど、どこまで行けば良いですか?駅の目の前に停めている黒の小さいプジョーなんですけどね~。今、目の前に何とかバンクが見えますが・・。あ~、じゃすぐそこよ、などと会話していると対面で手を振っている女性が見えた。こちらも手を振って無事に遭うことができた。そこには、もう一人の同乗者の学生Victor君(テュービンゲン大学で生体化学を勉強中の学生さん、小柄で真面目そう)もいた。ネットの掲示板で募集していた方が先ほどの電話の主、アモン?アミン?(聴き取れなかった)さん(30後半だろうか)、娘のカミラちゃん(5歳)も一緒だ。テュービンゲンの自宅に今から帰るそうだ。
17:10 私とカミラちゃんが後部座席で助手席にVictor君が座った(もし自分が助手席だったら会話に困ったと思う・・)。始めは人見知りしていたカミラちゃんもアメをあげて、三色ボールペンをあげて、メモ帳にドラえもんや今日行った大聖堂の絵を描いたりしてあげると仲良くなった(モノで釣ってるだけか?)。かわいいドイツ語でいろいろ話しかけてくれんだけど残念ながらまだ理解できない・・。雰囲気は汲み取れるので、簡単な手品をして見せたり、日本語で過美羅(裸は止めておこうと思った)と書いてあげる。余り喜んでくれなかったが、お母さんに見せるとお母さんが喜んでくれたので良かった。意味を聞かれたけど、too beauty・・・とお茶を濁すのだった。
少し打ち解けたカミラちゃん.jpg
18:40 途中渋滞の区間が少しあったが、高速(有名なアウトバーン)を順調に飛ばしてTuebingenの標識が見えてくる。この区間なら車の方が列車より早いようだ。
19:00 中央駅に到着。値段は10Eurで良いと言う。こちらとしては良い経験も出来て割安だったからとても良かった。カミラちゃんが写真を撮ってと言うので最後にパチリ。Victor君にも挨拶し、彼は足早にバス停に向かっていった。
最後は笑顔で手を振ってくれた.jpg
19:30 駅でカレーブルストを摘んでからバスに乗り込んでBGに向かう。
19:50 到着。もう外は暗くなってしまっている。今日も良い思い出ができた。

2009/10/3 テュービンゲン市内サイクリング [休日]

9:30 一度目覚めたが休日だったのでゆっくりしてしまった。天気はとても良い。
10:30 休みの病院に向かう。昨日ライドシェア(車の同乗システム)をネットで調べ幾つか連絡を取ってみたが、急に気が変わってしまったので断ることにした。今日は遠出せずにテュービンゲン市内を自転車で回ろうと思い立ったのだ。その代わりに明日は出かけることにしよう。明日の列車の時刻やライドシェアの連絡先をメモしておく。
12:00 Casinoで昼食をとる。いつも愛想がないおばちゃんも今日は笑顔だ。もう顔なじみになったからだろうか?他の職員はお金を払うのだが、私だけはfellowshipのため食事は全て無料になっていてレジは素通りなのだ。今日の主食は太くて平麺のパスタ風だ。
13:00 病院受付の女性にレンタルサイクル店の場所を聞いてみたが、知らないと言われてしまった。部屋に戻って自転車に乗るため軽装に着替える。こちらでは、自転車に乗る人達はきちんとヘルメットをかぶり、体にフィットしたウェアでばっちりキメている。それに比べると明らかにダサい格好だが仕方ない。取り敢えず、街のインフォメーションセンターに行けば情報を教えてくれるだろう。
13:30 バスに乗り市内に到着、インフォメーションセンターを訪れるが、今日は急遽13:00までで終了したという張り紙がしてあった。。残念。あてもなく歩き出そうとした時、明らかにレンタルっぽい自転車に乗った3人組が通りかかる。自転車を降りた場所を見てみると、そこはレンタルバイク駐輪所(セルフサービス)であった。広告に書いてある場所に電話をし、その指示に従っていくと自転車の鍵の番号を教えてくれて、それを外して借りていくというシステムのようだ。
レンタルサイクル置場.jpg
14:00 案内に従っていくとコールセンターのような所につながり、氏名、住所(街と通りの名前だけだった・・)、クレジットカードナンバーを聞かれた。借りる自転車番号を告げるとそのカギの番号を教えてくれる。教えられた番号に合わせると、カチッとカギのロックが解除された。無事借りることができたのだ。1日8Eur、1時間で1Eurということだから結構リーズナブルだ。
14:20 市内地図を片手に街をぐるっと一周する積りでいた。ある交差点で地図を広げて確認していると、自転車ファッションでキメた中年のおばさんが、May I help you?と言って寄ってきてくれた。山の方に行きたいので道を確認している所です。それならちょうどその前の道を行けば坂がありますよ。結構キツイですよ~みたいに笑っていた。有難うございます。彼女は先に颯爽と走り去って行った。何となく格好良かった。
14:45 確かに坂はキツカッた。自転車専用の道が車道の外れにあるので危なくはないのだが、自転車もそれ程軽快なタイプでないのでこぐのに疲れる(一応3段変速ギア付きだった)。普段の運動不足、体力のなさを露呈してしまう。途中、すれ違う人がいるとその時だけ頑張って見せて、あとは押して歩いたりした。途中何度も休憩が必要だった。ミネラルウォーター(病院でもらえる)を持参してきておいて良かった。なかったらきっと脱水症状があらわれてきたかも知れない。
坂道途中で休憩.jpg
15:00 途中寄り道したりしながら、キツイ坂も終わった。すると、見覚えのある場所が現れてきた。そこは先々週に病院の先生たちとフットサルをしにきたコートなのであった。ここら辺一帯はスポーツ施設が充実しており、老若男女が色々なスポーツで汗を流しているようだ。先日のフットサルコートでは、平均年齢50くらいのおじさん達が、熱く声を出しながらプレーしていた。
15:20 少し走っていくと、一度バス停を降り過ごして先まで来てしまった場所まで来た。そこには植物園があった(BG病院まで戻るのに10分以上かかったけど)。近いのに隠れた穴場だった。入場料無料だし、何となくのどかで雰囲気が良いので中を見学させてもらう。そこは大学施設の一角で、様々な植物が植えられている(東大の施設だった小石川植物園みたいなものか?)。日本でもお馴染みのコスモスがちょうど良い時期だったようで綺麗だ。、老夫婦カップルなどが日向ぼっこして楽しんだりしている。優雅な時間が流れているようだ。
植物園入口.jpgコスモスとともに.jpg
面白かったのは各種ブドウが栽培されていたこと。どれもワインの品種のようで、おばさん達が勝手にいろいろな品種の実を摘んで食べているのだ(味見?)。私もマネして3品種くらい(赤も白もある)摘んでみたが、ちょっと酸っぱい気がした。きっとワイン用だからだろう。ちょっと楽しかった。
ある赤ワイン用のぶどう.jpgある白ワイン用のぶどう.jpg
15:50 以前、散策したことのある大学の一角に抜けて、BG病院を通り過ぎ、後はずっと下り坂が続く。帰りはかなり快適だった。
16:00 坂の麓に目立つ駐車場がある。Parkhaus Koenigという所だが、街にある唯一の大きな駐車場だと思われる。遠くから車で来た人はここに停めて、大学施設、病院、市内へと向かうのであろう。建物は周囲の景観に合った落ち着いた造りである。その上にUni klinikenTal(谷間の大学病院)がある。BGの隣にあるのはUni kliniken Berg(山手の大学病院)と大きくは二つに分かれている。Talの方には眼科・皮膚科・精神科などがある。
パークケーニッヒ.jpg
16:20自転車を停めてから大学病院近辺を散策した。景色の良いネッカー川沿いを目指す。
16:30 ネッカー川ではボート遊覧で楽しんでいる人々が多い。観光の一つとなっているのだが、残念ながら今のところまだ行く機会がない。川沿いの公園は木々が紅葉し始めており、落ち葉も増えてきている。ドイツも日本同様四季がしっかり分かれている。今はもう秋なのだというのを感じる。
自転車もお疲れさま.jpg観光名所とシルエット.jpg
16:40 自転車を借りた場所に戻り、再度電話してレンタル終了である。しかし、電話なのだから借りている途中で電話して終了を宣言しても解らないと思うのだが・・・。3時間以上借りたと思うのだけど、2Eurだということだったので得した気がする。少額だがクレジットカードで引き落とされる。しかしこのビジネスは割に合うのだろうか?
17:00 途中、いつも行列が出来ているアイスクリーム屋に立ち寄り(今日はダブルにしてしまった)、バスに乗って帰路に着く。
17:20 帰宅。今日は良い運動になった。この程度でばてていてはイケない。無理なく継続できる運動を帰国後開始しなければと思うのだった。
18:00 病院の部屋に行きインターネットで明日の行き先の情報を調達する。明日も晴れることを祈っておこう。
19:00 Casinoで食材をゲットしてきて帰宅。部屋で夕食を作ることにしよう。

2009/10/2 観光明けのんびり金曜日 [平日]

6:30 起床。昨晩はテレビや電気をつけっ放しで寝ていたようだ。やはりビール・ワインが効いていたようで若干頭が重い。
7:20 今日はクリストフが研修最後の日ということで、朝のカンファで食べ物を振る舞うそうだ。お世話になったお礼としてこのようなことをすることがあるよう。学生でもしていく奴と知らない間にいなくなっている奴がいる。
7:30 カンファでサーモンを挟んだパンを頂いた。準備はおそらく彼女と二人でしたのだろう。お疲れ様。彼は自分が慣れてきた頃に研修にやって来たので、結構教えてあげたりも出来たし、仲良くなったから彼がいなくなるのは残念だ。
8:00 昨日までのメール確認などを行う。手術の進行具合を気にしながら作業する。
8:40 2列で行っている1例目のNusche先生の小指PIP関節固定術が佳境に入っている頃なので見学に向かう。ちょうどmicro bone sawで関節を形成しているところだった。こちらは比較的関節固定をする傾向が強い。固定角度は40°くらいを目指している。soft wireとK-wireでtensionband wiringで強固に固定する。並列の手術の2例目が準備できつつあるので(各PCのモニターでリアルタイムに各部屋の手術進行状況が解るようになっているのだ)、隣の手術を少し覗きつつ(下腿骨折に対するMIOをTrauma teamの上手な手さばきのStuby先生がしていた。専門はPelvicとのこと。Pelvicを扱う先生は大概その他の手術も上手である)、Septic区画の手術室に移動する。
9:10 こちらでは臀部褥創(以前大腿直筋の筋皮弁でカバーしたが、感染も併発しまた開放創を生じてしまった症例だった。今日は薄筋を用いた有茎の筋皮弁でリカバリーする。
9:30 執刀は、Phau医師で助手はJaminetと私。Phau先生とJaminetは前の病院でも一緒に働いていたこともあり仲が良さそうに見える。手術中は殆どおしゃべりをしている。時々自分にも振られるので(その時だけ英語になるので何となく解る)、手術だけでなく、会話にも集中したりする。ドイツ人は質実剛健のイメージがあり、あまり術中に無駄な話はしないのかと思っていたが、たいていのドクターはおしゃべり好きだ。
10:00 手術は腹臥位で薄筋を展開していき、前方にある縫工筋、後方の半膜様筋・半腱様筋を確認し、遠位で切離(この症例は腱成分がはっきりせず遠位側はfatty degenerationしていた)し、近位側に飜転しつつ剥離していく。優位な栄養血管は近位からの内側大腿回旋動脈からなので、遠位から何本か細い栄養血管が存在したが結紮していった。この薄筋を遊離で採取して腕神経叢全型損傷に対するdouble muscle transferが行われる。小郡の土井先生・服部先生の華麗な手術を思い出した。筋の運動神経は閉鎖神経の前枝からなのだが、今日は手技上重要なポイントではないので良く解らなかった。
Glacilis muscle flap挙上.jpg
11:10 だいたい挙上も完了し、欠損部に充填してdead spaceが生じないように周囲と縫合していく。Phau先生は血腫の貯留が問題だからと言い、吸引ドレーンを5ヵ所ほど留置していた。閉創にも結構時間がかかった。
閉創終了.jpg
11:30 終了したので、ガーゼ固定・ベッド移動などまで手伝い手術室を後にする。トイレで用を足していると今日は昼から出勤のRahmanianから連絡が入り、今何してる~?と妙に明るい声で聞いてくる。今日は半日だし手術もないから明るいのか?トイレにいるよ。。。そうか悪い。昼ごはん食べに行かない?了解。でもちょっと待っててね。
11:50 昼食時間だ。今日は魚のソテーを注文。またマカロニがついていると思いきや、大根を小さく刻んだものだった。少し意外な味であるが悪くはなかった。もう席を立とうと言う時に女医のManoliが隣に座ってきたが、みんなちょうど出て行ってしまう。ちょっと可哀そうだったので、家に持って帰る予定だったイチゴヨーグルトを献上し慰めてあげる。
ちょっと意外な味の昼食.jpg
12:40 今日はもう手術の見学もせず、ゆっくりしている。頼まれた写真の整理(最近自分のデジカメが好評で、Phau先生やNusche先生とかが、あの写真メールで送ってくれるかな?みたいにして頼まるようになってしまった。。。最新のCannon 12.1Mega pixelのixyデジタルはドイツで評判になった。直前に買い替えておいて良かった。仕事は増えたけど)。
13:30 カンファレンス開始。早速今日の手術のデジカメ写真(助手で入っていたので、撮影は見学している看護師の兄ちゃんに頼んだ)が呈示される。
14:00 今日でお別れのクリストフがインターネットをしたいと言って入ってきた。一番機関の長いフィリップも加わり賑やかになりながらPCで作業していた。I Tunesで日本の歌を聴かせてあげたらリズムに乗ってくれた(若者はやはりノリの良い曲が好みのよう)。
Rahmanian部屋を学生が占拠.JPG
15:00 今日はRahmanianが待機当番なので、興味深い症例が急患で来たら呼んでくれるということになったので、早めに帰宅することにした。
16:00 部屋でCNNを見ていると、今日は2016年のオリンピック開催地決定のための投票があるとかで特集番組をしている。
18:00 シカゴと東京が落選したところまでは中継を見ていたが、お腹が空いてきたので市内に食事しに行くことにした。実は、昨日歩いていて気になったアジアン料理屋があったのだ。まだ明るいし時間にも余裕があるのでちょっとバスで出かけることを思い立つ。
18:45 料理屋に到着。店内は暗くお客はいない。大丈夫かな?と思ったが他をあたるのも面倒だったのでここに決める。ちょっとおかしげな音楽のかかったタイとも中国とも判らない雰囲気のお店で、メニューも中国・インドネシア・ベトナム・タイ系とまさしくアジアン料理なのだった。
19:00 ビールを飲みつつ、ベトナム風春巻き、ワンタンスープ、ナシゴレンとイマイチまとまりのない組み合わせをオーダーする。そうこうしていると何組かお客が入ってきた。
今晩はアジアン料理.jpg
19:30 味はなかなか美味しかった。タイのチリソースが酸っぱくて良かった。
19:40 本屋で立ち読みした後、スーパーが開いていたので(20時までだった)、ちょっとした買い物をして帰路に着く。
20:05 帰宅。まだ余力があるので、ちょっと病院に仕事をしに行く。テレビでリオデジャネイロが2016年のオリンピック開催地に決まったことを放映している。東京生まれの私としては残念だったが、あまり東京都民もそこまで盛り上がってなかったのでは?
21:00 部屋に戻る。明日の天気次第で行動を決めようと思う。

2009/10/1 ダッハウ強制収容所跡地にて [平日]

8:30 起床。先晩、夜中の3時頃に相部屋仲間が帰ってきて(男1人・女2人)途中で起こされてしまった。しかも1回ではなく2回に分けて帰ってきてその都度起こされたのでちょっと眠い・・。ドミトリーの欠点はプライベートがなくなる所だろう。しかしベッドが3つしかなかったのに私を入れて4人泊っていたというのは何か変!?
9:00 ロビーのバーが朝食会場になっていた。セルフで食べ物をチョイスできる。病院のCasinoよりは品数が多かったが基本的には同じ感じ。今日はロビーの掲示板で見つけたツアーに参加しようと思っていた。10時集合とあるので、それまでロビーで日記をつけたりして過ごす。
オイロホステルの朝食.jpg
10:00 check outし予定の時間に来てみたが、担当者の到着が遅れていた。予定より15分遅れでようやく担当者(20代後半の陽気な女性)が現れる。自分のイメージとしてはツアーバスでここから行くのかと思っていたのだが違った。担当者の後に付いて歩いて市庁舎まで行き(15分くらい)そこでまた集合なのだった。
11:00 出発。何だかんだでこんな時間だ。しかもこれから列車に乗っていくようだ。ツアーというより遠足のような雰囲気である。参加者は25人程度で、20代後半のKevinという男性がガイドをする。日本人は自分だけで他はオーストラリア、イギリス、アイルランド、メキシコ、スペインなど国際色溢れていた。目的地はダッハウ強制収容所跡地という日本人には馴染みの薄い場所である。欧米人には好評のツアーなようで毎日同様のツアーが各社から催行されている。昨日、ドイツの明るい一面を十分見ることができたので、今日はドイツのナチス時代の負の遺産とも言うべき強制収容所を目指すことにしたのだ。
11:30 地下鉄とバスで目的地に到着。いちいち人員確認をするので結構面倒なのだが、他の参加者とも若干関われたという点では良かった。
12:00 せいぜい2時間程度のツアーだろうとタカをくくっていたが、実に詳細に案内・説明を随時してくれる。自分ひとりで回ればもっと早く見終えたハズだが。。。
ガイドのKevin.jpg
13:30 強制収容所と言うとポーランドのアウシュビッツが有名だが、ここはドイツで初めてできた強制収容所(1933年建設)で当時はその名を聞くだけで人々を恐怖に陥れていたそうだ。敷地内は広大で見どころが点在しているので結構疲れる。毒ガス室や焼却室などは実際に入ることができ、目を背けたくなるような事実を目の当たりにしてしまう。ここで多くの観光客に遭遇したが、日本人の姿はおじいさん二人組だけだった。ドイツでは小・中学校の社会科見学みたいのでも来るそうだけど。
ダッハウ強制収容所.jpg焼却室.jpg背筋の寒くなるガス室.jpg
14:30 内容紹介のビデオ上映があった。疲れもありちょっと良いnap timeになった。
15:10 もう内容いっぱいで十分で、帰りの時間が気になっていた頃ようやく帰路につくということになった。
15:30 ミュンヘン中央駅に到着し解散。急いでDB窓口に行き帰りのチケットを購入。ちょっとの時間差でICEに乗れなかった。次の出発まで1時間以上空いてしまった。ツアー解散前に結構長い説明があったから、あれさえなければ乗れたのに・・・と残念がる。
16:00 構内で軽食を済ませ、駅2階のカフェで休憩し時間を潰す。暫く行き交う人々を2階から眺めていた。
16:30 ストラスブール行きEC(ユーロシティエキスプレス)に乗り込む。ドイツの列車は出発前の早めから乗り込めるので2等席の場合は早い方が良い。比較的込んでいる。
16:45 出発。フランスまで伸びている国際列車のためかフランス語っぽい言語もちらほらで飛び交っているよう。今日の出来事をまとめることとする。
18:50 プロチンゲン駅到着。ここでチュービンゲン行き普通列車に乗り換えるのである。ICEはこの駅を通過してしまうが、ECは停まってくれる。
19:00 出発。いつもの快速ではなく2両編成の鈍行だ。何となく帰ってきた感じがする。これほど列車に乗るのであれば、会員(会費を払えば割引となる)になっておくんだったなと後悔する。計画性がないので結構無駄をしてしまっているかも知れない。でも次からは大丈夫だ。
20:00 もう暗くなってしまう。バスに乗り換え帰宅する。今日はクリストフと食事に行こうか?と話をしていたので携帯に連絡をしてみる。もう遅いから中止になるかと思いきや今から行こう!ということになった。
20:30 再びバスに乗って、クリストフと彼女(カタリーナ)の3人で市内に向かう。彼女は彼と同じ大学の後輩だそうだ。今はまだ夏休み期間中なので一緒にくっついて来ているとのこと。明日ハンブルグに一緒に戻って、それからスペインのマョルカ島に観光に行くと言っていた。堂々と手なんかつないで実に仲が宜しい。ハネムーンか?と聞いたら、いや~まだ違うよと照れていて可愛かった。
21:00 昼間には来たことのある場所も夜はまた違った雰囲気を醸し出している。今日はドイツらしい料理を食べようといおうことで彼がチョイスしてくれた店に入った。少し寒かったが外で食べることになった。ビールで乾杯(Prost!)して料理を頂いた。餃子風のマカロニクリームソース的な食べ物をオーダーした。雰囲気も良く美味しかった。
さよならクリストフ.jpg仲良しカップル.jpg
22:00 ビールは控えめにして楽しいひと時を過ごさせてもらった。バスの時間があまり良くなくてカップル2人は買い物して帰るとのことで別れた。まだ20分位時間があったので、バス停裏のKINO(映画館)のバーに一人で入り、名物白ワインだけ頼んだ。
22:50 ほろ酔い気分で帰宅する。楽しい一日であった。

2009/9/30 ミュンヘンオクトーバフェストとサッカー観戦 [平日]

6:30 だいたいいつもこの時間に起床するようになった。天気はあいにくの曇天である。せっかくの旅行というのにちょと冴えない感じだ。
7:30 朝のカンファレンスに参加する。今日はベガ(女学生のマウダビの名前)がケーキを振る舞っている。時々誰かがこのような振る舞いを行っている。カンファは特に変わり映えしない感じ。あまり興味深い外傷が最近来ない。Plastic surgeryのカンファでは写真が大事だ。というか写真さえあればその症例は大方予想がつくのである。
8:00 回診に少しだけついてから、今日は留守のRahmanian部屋に行った。今日は手術には入らないで早めに出発する積りだ。朝、教授にミュンヘンに行ってきますと告げてあるので問題ない。教授の反応は何で朝来てるのか?というような感じだったけど。時間には余裕がある。本日宿泊するオイロホステルという若者向けの宿(通常は安くて便利が良いのがウリなのだが、只今オクトーバーフェスト開催中のため値段が吊り上ってしまっている。しかも空室は少なくドミトリー(共同部屋)になってしまった。そこの宿は色々ミュンヘン観光などの情報をメールで教えてくれるとてもフレンドリーな所なのだ。メールでちょっとした情報をゲットする。
8:40 Casinoで朝食を摂り(+食材もゲットしておく)ゆっくりする。
9:10 部屋に戻り出発の準備をする。昨日、Jaminetに調べてもらったカーシェアのドライバーに(なかなか連絡が取れなかった)連絡を取ると、申し訳ないけどもうダメになったんだ。と言われた。理由は言わなかったけど。たまにこういうこともあるらしい。仕方なく高くつくけどICE(Inter City Express:ドイツの誇る新幹線)で向かうことになった。
10:10 中央駅に到着。最近良く列車に乗っていたので、シュトットガルト行き列車の発車時刻に法則性があるのに気付いていた。奇数時のちょうどの時刻に急行が出発し、その37分後に快速が出発するのだ。快速が1時間かかるのに対し、急行は45分くらいで到着する。シュトットガルト発ミュンヘン行きICEの発車時刻にはどちらでも良かったのだが、のんびり行く快速を選んだ。
10:25 いつも美味しそうにビールを飲みながら楽しく食事している人たちが集うスタンド風の店にフラッと入って、名物カレーブルスト(2.8Eur)を頼む。ここのも旨かった。
10:37 出発。平日なのに意外に人は多い。
11:38 到着。フレッシュジュースの店に立ち寄る。ここのはオレンジなどをその場で丸ごと絞ってくれるので楽しい。今日はバナナミルクシェーキ(味はそんなに甘くない)にした。
12:12 ICEに乗り込む。やはり人は何故か多い。オクトーバーフェストの影響であろうか?
席は空いていたが、前の一角でビールを飲んでトランプをしているおじさん達が妙にハイテンションでウルサイ。仕方ないのでPCを引っ張り出して仕事をすることにした。
13:00 相変わらずウルサイのでビュッフェに行くことにする。ここでも飲んでいる人たちがいるが、一人でビールを飲んで周りの外人に何やら言われている日本人女性に遭遇。東京から1週間ドイツ一人旅をしているそう(仕事は有給休暇)。いわゆるバックパーカー風で首には立派な一眼レフオリンパスのデジカメをぶら下げている。おそらく写真が好きなのだろう。ケルンの大聖堂に行って感動したとか言っていた。自分も1本だけビールを付き合うことにした。彼女は私と似ていてあまり旅行の予定を立てずに行動を決めているとのこと。今日の宿だけ決まっていて、土曜のフランクフルト発の便まで未定だそうだ。なかなか大した度胸である。
14:00 ビール1杯で少し眠くなり、その場をお暇して席に戻る。おっさん達も静かになっておりちょっとうとうとした。
14:30 終点のミュンヘン中央駅に到着。先ほどの女性はオクトーバーフェストに行くかも知れないけど今日は解らない、まずホテルに荷物を置きに行くと言ってお別れした。ミュンヘン中央駅はかなり広い。フランクフルトよりも広い印象だ。天井が高いせいかも知れない。まずはいつもの如くインフォメーションセンターをチェックしに行く。
14:50 市街地図や観光パンフレットを頂き、まず市庁舎方面に向かって歩き出す。さすがに人口132万の大都市だけある。しかし、近代的な高層ビルがないのでどこか長閑な雰囲気も醸し出している街だ。
15:10 カールス門をくぐり、いわゆる目抜き通りの歩行者天国(ノイハウザー通り)をぶらつく。銅像を真似たパフォーマンス(何カ所かでやっていたが、女性が王妃風の格好に扮してパフォーマンスしている所は人だかりができている。それに伴いチップも多い)が目立った。途中ミャヒャエル教会という名所があったのだが、工事中でカバーがかかっていた。しかし、景観の配慮からか工事カバーがペイントされて外壁が描かれているのには驚いた。
カバーのかかったミヒャエル教会.jpg
マリエン広場に近付くと大きな仕掛け時計のある新市庁舎が目の前に迫ってくる。観光名所のようで人が多い。特に今晩はサッカーUEFAチャンピオンズリーグの試合がここミュンヘンで行われるとあって、awayのイタリアユベントスサポーターが集まって歌ったりしている(まだ試合開始5時間前なのに・・)。平日にも関わらず、街中がお祭り騒ぎで賑やかだった。
しかけ時計がある新市庁舎.jpg
16:00 地下鉄に乗って世界最大のビール祭りオクトーバーフェスト会場に向かう。地下鉄内では明らかに会場に向かうであろうという人々でごった返している。女性は(若い子からおばあちゃんまで)少し胸を強調したような民族衣装(アルプスの少女ハイジ風)、男性は皮のつなぎズボンのこれまた伝統的ファッションでキメている。日本で言う所の花火を浴衣で見に行く感じなのだろうか?なかなかドイツっぽくて良い。
16:20 会場駅はすでに長蛇の列が出来ている(週末だったらどんなことになるのだろうか?と心配してしまう)。16日程度の開催期間に600万人以上の観客が訪れるということだ。入場料は無料で駅を出るともう既に会場内だ。そこは観覧車やジェットコースターお化け屋敷など、さながら遊園地のようになっている(開催期間が終了すると撤去してしまうとか)。たくさんの店が軒を連ね、やはりメインのビール会場があちこちにあり。多くのスペースを占めている。ビアホールはビール会社の運営するテント状の会場内にあって、どこも中は多くの人で賑わっている。私のように一人でうろついている人は殆どいない。一人でビールは淋しい限りだからだろう。会場内に入るにはセキュリティチェックを2度も受けるという徹底ぶり。怪しい東洋人が一人でPCの入ったリュックを背追ってウロついているのだから、ちょっと警戒されていたかも知れない。ビアテントの雰囲気を味わうべく内部にも侵入する。生バンド演奏もノリノリで踊っている人達もいた。
多くのアトラクションのある会場内.jpg賑わうビアホール内.jpg
17:00 小腹も空いたので白ソーセージ、ザワークラフト(キャベツの酢漬け)を頼む。ビールはこれからまだ移動があるので1杯だけ控えめに飲んでみた。乾いた喉にはかなりしみた。
ささやかな食事.jpg
17:20 一杯でも最近酔いが早くなってしまっているようで疲れた。女神バヴァリアという巨大な銅像(30m以上あり中から頭部まで登れるのだそうだ)付近で休憩した。ほろ酔い気分で急な階段を登るのは止めておいた。
17:50 さすがに一人ではこれ以上いても楽しめそうもないので会場を後にすることにした。しかしドイツの一番ドイツらしい一面を味わえたことは大きな収穫となった。本当は仲間とワイワイやりたかったものだ(この期間中にドイツで開催される国際学会を狙ってみるのも楽しいかも)。
18:10 今日宿泊するオイロユースホテルに到着した。ここはミュンヘン中央駅のすぐ近くで便利が良いので決めた。ドミトリーしか空いてなかったので誰かと相部屋になってしまうのだが。雰囲気は悪くない。ロビー階には楽しげなバーもある。
オイロユースホステル.jpg
18:30 部屋の中のロッカー(鍵は1.5Eurで買わされた)にPCなど貴重品を入れ、サッカー会場に出発する。
18:50 試合開始2時間前となり、更にサポーターたちが増えてきた。地下鉄内では何故かawayのユベントスチームサポーターの集団に囲まれてしまう。イタリア人集団で、ドイツ語とは違うまた独特のイントネーションで騒いでいる。全然知らない人でも、ユベントスの服を着ているだけで、お~同志よ!みたいにはしゃいでいる。
19:10 騒がしい列車もようやく目的地に到着。アリアンツアリーナという巨大なドーム型の会場が見えてきた。駅構内にファンショップがあったので、FCバイエルンミュンヘンのマフラー(15Eur)を購入し、にわかサポーターに扮する。
19:20 試合会場は大きく見えるのだが、歩くと入口まで結構時間がかかった。ドームは赤色にライトアップされ今日が特別な試合と言う印象を与えている。
アリアンツアリーナ会場前.jpg
苦労してゲットしたチケットを入口で見せていざ会場内へ。66000人収容の会場はかなり広い。指定された席がなかなか見つからない。警備員の数も半端ではなかった。また、今日はビール販売はノンアルコールのみとなっていた。酔っ払って暴徒化するのを防ぐためであろう。
19:45 開始1時間前になった。少しずつ観客が増え始める。ユベントスサポーターは3階席(一番上)に陣取っていたが数はそれ程多くない。殆どがバイエルンミュンヘンサポーターだろう。
チケットと会場内.jpg盛り上がるサポーター.jpg
20:15 両チームの選手が練習している。サッカー素人の私でも知っているようなビックネームが名を連ねている。中でもバイエルンのロッペンは今年加入の期待のゴールゲッターであり、彼の動きに注目して観察していた。ちょっと食べ物を買いにいくと、全てアリアンツカードと言うプリペイドカードを購入してから買い物することになっていた。一度しか来られないような私は今日中に使い切らねばならない。10Eur分購入してぴったり買い物した(本当はいらないスナック菓子まで買ってしまう)。
20:45 いよいよ試合開始。席は2階席のほぼセンターライン真ん中で全体が見渡せ、良くテレビ中継で見ているようなアングルの良い位置だ。サッカー専用会場だからコートまでが近く感じられ臨場感に溢れている。試合内容は素人の私が解説するまでもないが、全体を通じてバイエルンペースで3回ほど決定的なゴールシーンがあったが決めきれなかった。前半終了間際にロッペンが負傷退場してしまうが、それまでは彼が起点になり攻撃を組み立てている。左のリベリーの動きも良かった。
22:40 残念ながら試合はスコアレスドローに終わった。終了間際にぼちぼち席を後にする人たちが目立ち始めた。イングランドやスペイン、イタリアのサポーターは結構熱狂的に騒いでいるイメージがあるが、ドイツ人の応援は何となく大人しい雰囲気で女性や子供連れでも安心して楽しめる感じが良かった。
23:30 帰りの地下鉄は東京の通勤時のラッシュと同様の込み具合であり閉口したが、何とかホテルに着いた。ちょっと喉が乾いたのでロビーのバーでビールを1杯だけ飲んで休むことにした。
深夜のホテルバーカウンター.jpg
24:00 部屋に戻ってみるとドミトリーの相部屋仲間はまだ戻っていないようだった。シャワー(共同)を浴びて先に休ませてもらうことにした。

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